第三章

神との邂逅 1

 

 何もせずに待っていたところで、変化は起きない。

 どんな奇跡も、行動した結果に生まれるものだ。

 そうだ。今にも死にそうな状況であろうとも、決して諦めない。考えを止めない。『死ぬ』なんて考えている暇があったら生きる術を探す。活路とはそうして切り開くものだ。


「初めてなので、上手く出来るか解らないですけど」

「大丈夫です。僕がついてますから」

「……はい。それじゃあ――!」


 声と共に、すみれさんが右手を前に掲げた。

 次の瞬間、僕達を閉じ込めるガラスに亀裂が走り――破砕音と共に、外側へと爆ぜるように吹き飛んだ。


「で、出来たー! 出来ましたよ直人君!」

「凄い! 予想以上ですよ! って、うわ、警報! さっさと逃げましょう!」 


 火災報知器のような音が鳴り出す中、僕は右手でしっかりとすみれさんの手を取り、牢から走り出した。

 数分前まで、絶望で目の前が真っ暗になっていたとは思えない状況だ。それでも、希望に縋ったことが――


「おっぱいに縋った、ですよね?」

「すみませんでした……」

「別にいいんですよ、直人君になら」

「え、」

「どっかーん!」


 恥ずかしさを誤魔化すように、すみれさんが壁を吹っ飛ばし、廊下の途中にあった部屋の壁に大穴が開いた。……照れ隠しでぶっ放すのは勘弁して欲しいレベルの威力だった。


「直人君の手を切断しようとした人達の施設ですし、どんどん壊しちゃっても問題ないですよね!」

「いや、問題あると思うのでそこそこで!」

「どっかーん!」

「話聞いてー!!」


 すみれさんの手を引いていたはずが、いつの間にか彼女に手を引かれながら、僕は廊下を駆けて行く。

 すみれさんが可憐に笑った。


「直人君は、こうした力を使うことに抵抗があると思うので、気にしないでください。これは私の意思ですから」

「だからって、壊し過ぎるのもどうかと思うんですけど?!」

「どっかーん!」

「ちょおおおお!」


 シリアスな空気を返して欲しい! でも若干楽しいのは、ざまぁみろ、という気持ちがあるからだろう。

 手首から先を失うかもしれなかったのだ。脱出出来たのでそれでいいです、と言えるほど、僕は人間が出来ている訳ではないのだった。


「それにしても、ここはどこなんでしょう? 私も気付いたらあの部屋にいたので、よく解らなくて」

「無駄に広いですよね。窓がないから、地下なのか地上なのかも解らないですし」

「外にアクセス出来ればすぐに解るんですけど、圏外なんですよね……。仕方ありません、階段を探しましょう。最悪、屋上から飛び降りるって手もありますから。……んーっと、こっちです」

「解るんですか?」

「風の流れを感じるんです。感覚的なものなので、口では上手く説明出来ないんですけど」

「問題ないです。僕はすみれさんを信じてますから」

 ありがとう、と微笑むすみれさんと共に、階段を探して廊下を突っ走る。


 建物の中は、京都の街並みのような碁盤の目となっていて、中の窺えない部屋が並んでいる。扉は大きくて厳つい、閉める時に空気が抜けて密閉されそうな二枚扉だ。

 中に何が入っているのか、想像もつかない。ただただ、厳重だった。

 普通なら、壁に穴は開かないのだろう。普通なら。


「――誰か来ます」


 一歩前を走っていたすみれさんが足を止めた。直後、数メートル先の曲がり角から、慌てた様子の日向と氷雨、そして彼等と同じ黒いスーツ姿の男達が現れた。その顔には、動揺と混乱がある。

 だから僕は、すみれさんの手を握ったまま、右手を彼等に掲げてみせた。

 そこには、桜の形のアザがある。

 日向が驚愕に叫んだ。


「ど、どういうことだテメェ! アザは綺麗さっぱり消えてただろうが!」

「で、でも、この力は神の……」

「馬鹿言ってんじゃねぇよ氷雨! ここは完全に外部から遮断されてんだ! 中に放り込んだ以上、外から受信出来る訳が――って、おい、嘘だろ」

 ハッと何かに気付いた様子で、日向が睨みつけてくる。だから、僕はわざとらしく肩をすくめ、

「さぁ? 僕が答えるとでも?」

「テメェ、最初から仕込んでやがったな――!!」

 ……何のことだろうか? 解らないが、さもそのとおりだ、という顔をしておこう。

「まぁ、まずはここから逃げるけどね」

「だから、ちょっと大きいの行きますよ!」


 すみれさんが右手を前に出す。それに日向達が動揺し――その隙に、僕はすみれさんの手を引いて、右に伸びる廊下へと逃げ込んだ。

 一拍遅れて、「クソが! 逃がすな、追え!」という叫び声が聞こえてくるけれど、構う理由はない。ひょいひょいと曲がり角を抜け、追っ手を撒いていく。

 ちらりと背後を振り返ってから、すみれさんが僕を見た。


「どっかーん、しちゃってもよかったんじゃ?」

「流石に人間ボーリングは駄目ですって……。あと、そのどっかーんの原理は何なんですか?」

「圧縮した空気の爆発、みたいな。つまり、空気砲ですね」

「秘密道具レベル……」


 そんな力を自由自在に扱うすみれさんは、一体何者なのか?

 それは――


「神様、です」


 嬉しそうな声が響く。

 それは昨日の朝にも聞いた言葉。でも今は、その意味合いが変わっていた。


 今、僕の右手には桜の花のようなアザが浮かんでいる。桜と三角形、二つで一つのマークなのだと思い込んでいたけれど、実際には個別のアザが二つ並んでいただけだったのだ。


 すみれさんが神様である、と解ったのは、散々泣いた後、彼女に抱き締められた時だ。すみれさんの胸に手が触れたところで、薄っすらとアザが復活したのである。

 驚いて手を離すとアザが消えて――触れると戻る。それは、すみれさんの内股にあるというアザと一致していた。


 きっかけがあれば、後は一瞬だった。パソコンが外付けのハードウェアを認識したかのように、一気にすみれさんが神としての自覚を取り戻したのだ。

 心なしか、桜の形が大きく、はっきりしている気がする。これが本来の形なのかもしれなかった。

 再接続が済んだ以上、手を離してもアザは消えないと思うのだが……状況が状況で、若干の不安が残っている。だからすみれさんの手を握り続けていた。


 すみれさんと水月の発言が食い違っていた理由も、今ならば理解出来る。

 四日前、僕は水月とすみれさん、二柱の神様と同時に繋がった。でも、水月との繋がりの方が強く、すみれさんは水月を介した不完全な接続になってしまったのだ。

 とはいえ、その時点でアザが浮かんだ為、水月からは僕が真ん中に挟まった形に思えたのだろう。

 それがこの施設に来たことで一旦リセットされ、不完全だった繋がりが正常化した。後は水月との繋がりが復活すれば……と思ったところで、僕は思わず苦笑した。


 あれだけ運命改変を否定してきたのに、それを行う神様を自分から求めるなんて馬鹿げている。このまま接続が切れてしまった方が、僕は幸せになれるだろう。

 そんなことは解り切っているのに――僕は、水月との接続が切れたままなことに、不安になっていた。


 竜巻のように、僕の人生をめちゃくちゃにした神様。

 僕に逢えたのが嬉しいと言っていた神様。

 こうして接続が切れている今――真っ暗なホテルの一室で、不安そうに膝を抱えているに違いない。


「……全く。さっさと出口を探しましょう」

「直人君……」


 嬉しそうに微笑むすみれさんに、苦笑を返す。

 死ぬまで苦労をかけられるのは目に見えているけれど……だからって、水月をこのまま見殺しには出来ない。

 何だかんだ言って、僕は水月のことが嫌いじゃないのだ。




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