幕間

運命の奴隷 1

 

 マイクをオフにすると、氷雨は一つ息を吐いた。


 ここは施設内にある管理室。六畳ほどの広さで、出入り口から見て右側に十二のモニターと各種コンソールが並ぶ。各所に取り付けられている監視カメラ、警報装置などの情報は全てこの場所に集まるようになっていた。

 普段は少人数で警備を行っているが、今回ばかりは話が別だ。施設の内外に人を置いている。巫女の側近である氷雨が管理室に詰めているのも、その為だった。


 巫女の護衛も強化し、最大限の警戒を行っている。この施設内を覆う結界の力により、執筆者は外部に存在する神とはコンタクトを取れなくなっている――が、相手は神の力だ。一樹・直人と神との繋がりが完全に途絶えるまで、軟禁は続く。右手のアザが消えた程度では、油断は出来ないのである。


 何より、巫女以外の執筆者がこの街に現れたのは、実に六十年ぶりだ。文献は受け継がれているとはいえ、完璧ではない。気を休める余裕もないのだった。

 だというのに、左隣の椅子に腰掛けている日向は、いつも通りの笑みを浮かべている。

 今は、彼と二人きりだった。


「こえーこえー。容赦ねぇな、氷雨は」

「当然よ。恐怖を植え付け、逃げられないと解らせなければ、昼間のような反撃を受けてしまうもの」

「アレなー、アレには超ビビったぜ。格ゲーみてぇな動きだったし、マジで殴られると思ったわ」

「助けが遅れていたらどうなっていたか……。少しは危機感を持ちなさい」


 一樹・直人が、御神流剣術の門下生であるのは解っていた。だが、一年のブランクがあり、その実力は師範に遠く及ばないと報告を受けていた。

 にも関わらず、氷雨には彼の動きが全く見えなかった。

 それ以前に―― 一樹・直人から睨まれた瞬間、身が竦んだのだ。蛇に睨まれた蛙のように、身動きが取れなくなった。

 軽口を叩いているが、日向も同様だっただろう。攻撃を受けずに助かった時、日向の顔には一切の余裕がなかったのだから。


 そんな相手だ。淡々と言葉を告げて恐怖を煽らなければ、どんな反撃を受けるか解ったものではない。

 こちらの脅しは効果があったのか、モニターの中で一樹・直人は呆然としている。常人以上の身体能力を持っているとはいえ、所詮は高校生。その精神までは強くなかったようだ。


「んで、医者役の手筈は済んでんのかよ?」

「終わっているわ。機材は明日の昼までに搬入される予定よ」


 本当に手首を落とす訳ではない。ただ、それが事実であると思わせる演出が必要だ。

 そうして、神との繋がりが途絶えるまでの数日間、たっぷりと精神的に屈服させ、こちらに逆らおうという気を起こさせないようにするのだ。

 執筆者は、存在しているだけで神の物語の邪魔になる。出来れば手首の切断といわず、殺してしまうのが一番だが、一樹・直人の場合はそうはいかない要因が多い。面倒な相手だった。


「……今更だけど、それ、どうしたの?」

 見慣れないケースに入ったスマートフォンを、日向が弄んでいた。

「イレギュラーのだよ。車乗る前に拾ってさ、何か情報がねぇか探ってた」

「何か解った?」

「おうよ、既に二人分の記述を見付けたぜ」


 スゲェだろ、と笑う日向を前に、しかし氷雨は絶句しかけた。


「――あ、ありえない。執筆は紙に手書きで行われるものでしょう? 小説を描くのが趣味だって話だから、それは創作じゃないの?」

「そこも確認済みだ。けどな、文体が違ってる。これは明らかに別人が書いたもんだ」

「そんな馬鹿な……」

「氷雨はジジババ共に洗脳され過ぎてんだよ。もっと柔軟性を持つべきだぜ」

「ありえない……。淡々と歴史を積み重ねていくことこそが、何よりも重要なのよ」

「だったら、これが新時代ってやつだ。現にイレギュラーは変化を起こしてるぜ。最新のツールを使って効率化してやがる。まぁ、最も驚くべきは、それを受け入れたカミサマの方かもしれねぇけどな。ほら、これ見ろよ」

「……白銀・すみれの物語? どうしてこれが一樹・直人のスマートフォンに?」

「イレギュラーのカミサマが勘付いて、今まさに書き換えられてる運命を画面に表示させたんだろうよ」

「そ、そんなことまで?」

「おいおい、神の力だぜ? 今更驚くようなことでもねぇだろ。そもそも運命改変ってのは、電波みてぇなもんなんだ。傍受が出来りゃ、表示だって出来るのが道理だろ」


 言われてみれば、確かにそのとおりだ。だが、その可能性を考えたことは一度もなかった。

 自分達の神が厳格であるから、他の神もそうであるに違いない、と氷雨は思い込んでいた。いや――思い込まされていた、のか。


 洗脳。そこからの思考停止。


 氷雨は、目の前の現実を上手く受け入れられずにいた。だというのに、日向は笑みでスマートフォンを操作し、改めてこちらに見せてきたのだ。


「んで、これだ。笑うぜ」

「……ツイッター?」

「アプリがあったから見てみたら、頻繁にやり取りしてる相手がいた訳さ。名前は、三つ葉」

「それがどうしたっていうの」

「コレ、見覚えあるだろ?」


『いとこのお姉ちゃんにもらった!』という言葉と共に、レジンアクセサリーの写真が載っていた。楕円形のペンダントトップで、藍色の地に、ラメやネイルシールがキラキラと輝く、星空をモチーフにしたものだった。

「――――」


 息が止まる。


 そのデザインには見覚えがあった。

 誰でもない氷雨が考え、作ったものだからだ。


 プレゼントした相手は――御神・葵。

 御神家の神に仕える巫女、である。


「嘘――でしょう?」




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