絶望の始まり 3
「な――?!」
人体消失マジックのような、あっという間の出来事。何が起きたのか解らない。でも今は、その『解らない』を納得しなければいけないのだ。
そうだ、落ち着け、考えろ。昨日とは違う。自分のことなら死ぬまで悩めばいい。でも違う。すみれさんが巻き込まれたのだ。巻き込んでしまったのだ! だったら考えろ! 思考を止めるな! 一体どうしたら、どうすれば――
「――直人!!」
「ッ!」
耳元で響いた声に驚きながら顔を向けると、水月が僕の右手を掴んでいた。
「落ち着け! 神による記述は続いておる!」
「くッ!」
混乱、後悔、不安、怒り――多くの感情が混ざり合い、何も考えられない中、スマホに視線を戻す。
文章は勝手に綴られ続けていた。
『――すみれは男達によって捕らえられ、牢に監禁される。邪魔は入らず、抵抗もない。彼女は素直に弁明し――』
「――ふっざけんな!!」
衝動的に壁へと蹴りを入れ、僕は走り出していた。背後から水月の声が響くが、構っていられない。「水月は隠れてて!」と叫ぶだけ叫んで、速度を上げた。
裏口から蓮華の家へと戻り、「蓮華! 蓮華!!」と何度も叫ぶ――が、返事がない。
人気がない。
それに焦りながら身を翻すと、僕は道路へ出た。そして見慣れた道を全力で駆け抜け、転びそうになりながらも角を曲がり、アパートへ。
最初に追われた時以上にデタラメに走ったからか、息が上がり、足を止めると汗が噴き出した。それを手の甲で雑に拭いながら、僕は駐車場に停まっている、見慣れぬ黒いセダンへと近付いていく。
メルセデス・ベンツ、Sクラス。左ハンドル。運転席と助手席に人影がある。予想は当たっていたようだ。
その二人に見せるように、僕は右手の甲を掲げた。
「――出てこい。僕は――執筆者はここにいる」
「――へぇ、意外だったな。そこまですんだ」「……、……」
助手席から降りてきたのは、ブラックスーツ姿の青年。運転席から降りてきたのは、同じく黒いパンツスーツ姿の女性だった。
青年は、十代後半くらいだろうか。何かスポーツをしているのか、均整の取れた体付きに日焼けした肌、やや癖のある茶髪をしている。その表情は獰猛で挑発的だ。
女性は、二十代前半くらいだろうか。太陽とは無縁そうな白い肌に、ショートカットの黒髪。モデルのような細身の長身で、眼鏡の向こうにある瞳は冷たく鋭かった。
「お望み通り出てきてやったぜ、イレギュラー。俺は日向(ひなた)。こっちは氷雨。もう解ってると思うが、アンタ達を襲ったのは俺達だ」
「イレギュラー? 一体何を――って、ああ、そういうことか。大体解った」
「へぇ、理解が早いんだな? だったら話は早い。アンタは俺達の作る物語にとって邪魔な存在なんだ。執筆者は一人だけでいい。解るだろ?」
「……解らないね」
「何だよ、強情なんだな。アンタだってもう理解しただろ? 神の力の凄さ、素晴らしさってやつをさ!」
大仰な様子で日向が言う。けれどそこには、若干の投げやりさも感じられた。
「だからこそ、俺達にとってもアンタみたいなイレギュラーは――」
「――日向、そこまでにしなさい。彼、多分何も解ってないわ」
「はぁ? ……はぁ?!」
その通りである。例え逆境であろうとも、堂々としていた方がイニシアチブを取りやすい。だから、『大体解った』、なんていうのは真っ赤な嘘だ。それに騙されてあっさり話してくれたおかげで、今度は本当に理解出来た。
僕の想像は当たっていたのだ。この街にはもう一柱神がいて、執筆者が存在する。予想外だったのは、それが組織的に運営されているらしい、ということか。
ペラペラと喋るのは、それだけ自分達に自信があるから、なのだろうか。……いや、神がいるのだ。その力を賛美しているところからして、何を喋っても揉み消せる、という考えがあるに違いない――が、知ったことか。
すみれさんが攫われ、蓮華まで捕らえられてしまった可能性が高いのだ。彼女達を助ける為なら、僕は何だってする。
「なんだよクソが! それらしいこと言いやがって!」
チンピラのように日向が睨みつけてきて、僕は若干怯んだ――フリをする。そんなもの、師範の眼力に比べたら月とすっぽん、震える子犬に睨まれているようなものだ。
全く怖くない――が、今度は相手にペースを握ったと思わせる必要がある。どうも日向は口が軽いようだから、僕が苦しむ姿を見せれば、またペラペラと喋ってくれるだろう。
聞きたいこと、聞き出さなければならないことは沢山あるのだ。その為には、精神的な優位を失わず、冷静でいる必要がある。
今にも駆け出し、二人に掴み掛かりたいけれど、それは出来ない。
必死に耐えて、一つでも多くの情報を得なければならない。
落ち着かなければ。
落ち着いて――
落ち着いて――
……、
…………嗚呼、
「――無理だ」
「なッ?!」
一度目を瞑ってから――睨み返す。
そして僕は、握ったままだったスマホを弧を描くように軽く投げ、低い位置から駆け出し――案の定、日向の目がスマホに向いたのを確認してから、体を左へと飛ばした。
多くの人間は、突然動いたもの、自分に向かって来るものに意識と視線を集中させる。スマホを投げたのはその為だ。
そして脳は、左視野の情報を重視する。つまり、彼等から見て右に飛んだ僕は、一瞬視界の死角に入り込むのだ。
蓮華相手だとこんな小細工は通用しないけれど、相手は恐らく素人。とっさに反応した動きが遅過ぎる。鈍った今でも十分潰せると確信し、一気に距離を詰めた。
狙うのは顎だ。全力で掌底を叩き込む。万一防がれたら、股間に膝だ。体重を乗せた一撃を叩き込んでやる。
蓮華はもちろんのこと、全てを投げ打ってでも助けたいと思う『何か』が、すみれさんにはあるのだ。彼女が僕の心を察するように、僕も何かを感じている。
それを知る為にも、僕は――!!
――刹那、視界が揺れた。
「ッ?!」
後四歩、というところで足が何かを踏みつけ、体が前につんのめった。だから二歩目は体を支える為に使わなければいけなくなり――勢いの狂った、転びそうな体で三歩目を刻みながら、それでも僕は拳を握り締めた。
掌底が無理なら、拳を叩き込むまでだ。ここまで加速してきた力と体重を乗せて、日向の顔面に一発入れる――!
「ッ!」
四歩目に思い切り力を込め、跳躍し、振りかぶった拳を思い切り叩きつける。
乾いた音が響く。
白いヒトガタに、打撃を防がれていた。
「なっ、」
恐らく、踏んだのもそれだ。
嘘だろ、と思った次の瞬間、どばっと降り注いできたヒトガタで視界が一気に白く染まり――直後、エスカレーターが上昇する時のような浮遊感と共に、世界が暗転。
脳を振り回される感覚と、三半規管の狂う猛烈な気持ち悪さを感じながら、僕は意識を失った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます