絶望の始まり 1
追われていないか、背後を確認しながら住宅地を進んだ先。
見えてきたのは、豪邸だった。
「さぁ、早く中へ」
「うん。行きましょう、すみれさん」
「は、はいっ。でも、あの、」
すみれさんが躊躇うのも無理はない。今、僕達の目の前には、見上げるほどの立派な門がある。
堅気の家には見えないこの豪邸こそ、蓮華の実家なのだ。
乗用車二台が悠々と入っていける正門を抜けると、左手には大きなガレージがあり、国内外の高級車が何台も止まっている。右手には蓮華のお母さんが手入れをしている広々とした中庭と美しい池があり、色鮮やかな錦鯉が泳いでいる。
そしてその奥にもう一軒、更に立派な三階建ての住宅が建っており、そこには蓮華のお母さんの妹――叔母一家が住んでいる。
御神家は末子相続なので、叔母の家が家元となる。奥まった場所に難航不略の立派な城を構え、その天守閣から下々の生活を見下し、侮辱し、悦に浸っているのだろう。近付いたことは一度もなかった。
蓮華が玄関の鍵を開け、すみれさんを招き入れる。殿となった僕は、背後を確認しながら引き戸を閉めた。
「……追っ手はなさそう、かな」
深く息を吐く。襲われた直後だからか、軽く走っただけなのに息が乱れてしまった。……いや、体力が落ちている証拠かもしれない。一年という時間は、こういうところにも現れてくるのだ。
「すみれさん、大丈夫ですか?」
「な、なんとか……。でも、普段走ったりしないので、息が上がっちゃいました……」
すみれさんが上り框に腰掛け、大きく息を吐く。額に汗が浮かんでいた。
「突然でしたからね……。――だからこそ、蓮華に確認したいことがあるんだ」
「何だ?」
持ったままだった胴着袋を手渡しながら、僕は真っ直ぐに蓮華を見た。
「昔さ、僕に従妹の話をしてくれたよね。あれって――本家の話?」
問いかけに蓮華が驚き、躊躇い――それでも、僕へと視線を戻した。
「……そうだ。御神家の人間以外で知っているのは、直人くらいなものだろう」
「そっか、本当は喋っちゃいけない話だったんだ」
「それが、さっきの紙のオバケと関係があるんですか……?」
すみれさんの戸惑いに、蓮華が逡巡した様子を見せ――僕を見た。だから頷き返す。
「まだ付き合いは浅いけど、すみれさんは信用出来ると思う」
「……そうだな。私もそう思ったところだ」
蓮華が小さく微笑む。そして息を吐き、表情を改めると、すみれさんの隣に腰掛けた。
「――私には、葵という従妹がおります。母方の叔母の娘で、私や直人と同じ十六歳。そんな彼女が、以前言っていたことがあるのです。『「かみさま」に選ばれた』、と」
「それって、直人君と同じ……」
「……解りません。水月のような神である、という話は聞いたことがありませんから。我が家が祀っているのは、ごく一般的な神であり、葵は巫女として神事に携わっています。だからこその発言だったと思うのですが……」
「……竜巻と津波と噴火」
「「え?」」
「ごめん、何でもない。あと、一般的な神、とは言えないと思うけどね。ネットに記述がないレベルの、古い土地神だし」
「それは……そうかもしれないが」
「どういうことなんです? それに神事っていうのは、一体……」
すみれさんの疑問に、蓮華が背後をちらりと見てから、説明を始めた。
「御神家が祀っているのは、『おんかみさま』という古い神です。葵は巫女として、おんかみさまに奉納する神楽を舞ったり、お札を書いたり……と、神社の巫女が行うような仕事を任されているのです」
御神家が信仰しているのは、天津神ではなく、国津神――この土地に古くから伝わるという土着の神だ。『おんかみさま』と呼ばれ、それが『御神(ミカミ)』の名の由来になったという。
ただ、その神様の本当の名前は秘匿されている。つまり、『おんかみさま』というのは通称であって、キリスト教の父なる神のように、やすやすと名前を呼んではいけない神である、という話だ。それだけ恐ろしく、故に祀れば富を与えてくれるという。
本家長女の娘である蓮華も、その神の名前を知らない。知っているのは巫女となる娘だけ、らしい。
今や、『おんかみさま』を信仰しているのは御神家に連なる一族だけ。敷地の奥には立派な社があり、そこに御神体たる岩が納められているとのことだ。
蓮華の説明が続く。
「そして――御神家は商人の家系でして、親類の多くが商売を行っています。その苦労話を聞くに、相手を特定出来ないとはいえ、他人の人生を操っているとは思えません。何せ、始まりがいつかも解らないほど古い信仰なのです。その頃から人を操っていたのなら、御神家は世界を支配していたでしょう。ですが、そうはなっていません。それが、無関係の証拠だと私は思います」
「そうですね……。神様の力なら、何でも出来ちゃう訳ですから」
「その通りです。だというのに――」
蓮華が、厳しい顔で僕を見る。
「直人やお姉様が襲われたというのに、水月は助けてくれないのだな」
「いや、僕が助けを求めなかったんだ。心の中で念じたんだけど、通じてよかった」
「ど、どうして?」「な、何でですか?」
「僕に水月を呼び出させることが、相手の目的だったかもしれないからです。あんなことが出来るのは、水月と同じ神様だけですから」
竜巻と津波と噴火、だ。
自然と、表情が険しくなるのを感じた。
「確実に、この街にはもう一柱神様が存在します。それは僕と水月の存在に気付いていて、疎ましく思ってるんでしょう。だからこうして襲ってきた、と、……どうやって調べたのか、までは解らないですけどね」
いや、誰かの人生を操っていけば、それも解っていくのかもしれない。執筆者である僕の運命は、十六年前から変わっておらず、これからも変えられないのだから。
「そんな……」
すみれさんが不安そうにする。こんな状況、思ってもみなかったに違いない。
僕も困惑している。神は他にもいる、という話を水月から聞いた時点で、他の執筆者から接触を受ける可能性は頭にあった。とはいえ、あんなヒトガタに襲われるとは夢にも思わなかったのだ。
……本当に勘弁して欲しい。僕はメンタルが強い方じゃないのだ。
「……直人、これからどうするんだ?」
「……解んない。でも出来れば、あのヒトガタを操ってる神様か、執筆者と接触したいかな」
「そうだな。落とし前はつけてもらわなければ」
「襲われた以上は、きっちりとね。ただ、相手が何者か全く解らないのがね……。安易に水月は表に出せないし、どうしたもんか……」
対話のテーブルすら用意せず、いきなり襲いかかってきたのだ。僕は運命改変をする気はない、という話をしたところで、信じてもらえないだろう。
今後、その神と執筆者が、蓮華やすみれさんの運命を改変する可能性だってある。面倒なことになってしまった……
「だが、玄関先で考え込んでいても仕方がない。中へ上がろう。――すみれお姉様、すぐにお茶の準備をしますから、顔を上げてください」
「ありがとう、蓮華ちゃん……。二人とも落ち着いてて、凄いです」
「いや、かなり焦ってますよ。ただ、それが顔に出ないよう、師範からみっちり稽古を受けてきたので」
まぁ、怒ったりするとすぐにボロが出てしまうし、疑いは隠さない方なのだが。
「蓮華は、ポーカーフェイス上手だよね」
「相手に顔色を読まれないことが、勝利への近道だからな。――っと、また話し込んでしまいましたね。さぁ、上がってください」
そう言って、蓮華が立ち上がり――
激しい音と共に玄関が揺れて、肩が跳ねた。
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