変化の始まり 3


 僕の実家と道場との中間地点には、小さな公園がある。

 幼い頃からの遊び場で、蓮華との集合場所でもあった。


 両親の話だと、かつては丸くて回転するジャングルジムや、四人乗りのブランコなど、様々な遊具があったらしい。でも、僕達が遊んでいた頃には、もうそうした遊具は既に撤去されていて、今では更に減っている。あるのは鉄棒と滑り台、砂場くらいだ。

 いつの間にか道路沿いのフェンスが新しくなり、木々が選定され、滑り台も綺麗に塗り直されていて、記憶の中の公園とは違っている。

 公園は、幼い頃の思い出の象徴に思われがちだけれど、街並みよりも簡単に変化してしまう場所なのかもしれなかった。


 そう、変わらないものなんてないのだ。それを改めて感じながら、僕は右手を、そこにあるアザを見下ろす。

 変わらないように努力するなら未だしも、神の力で固定化してしまうというのは、何か歪みが起きそうな気がしてならなかった。


 若干気分が落ち込むが、これからお花見を楽しもうという時に、暗い気持ちでいては意味がない。笑顔笑顔。

 一歩遅れてやってきた蓮華と合流すると、僕達は住宅地を歩き出した。


 道場からの帰りということもあり、蓮華は木刀袋と胴着袋を背負っている。なので、僕の家に寄って荷物を置き、お花見の準備を整え、そこから土手へと向かう流れになった。

 三人横並びで歩くのは危ないから、僕は一歩下がって、蓮華とすみれさんの背中を眺めることにした。

 眼福である。


「蓮華ちゃん、剣術ってどういう練習をするんですか? 居合い? とか?」

「そうした型も習います。ですが、御神流はとても柔軟な、悪く言えば節操のない流派でして、常に現代の様式に迎合し続けています。剣を持たなくなった現代では、例えばこの胴着袋や、傘、スマホなど、身近にあるもので不審者を撃退する方法を考案し、教えているのです」

「剣術なのに、ですか」

「『最強の剣士とは、剣を持たずとも最強であるべきだ』、というのが、初代の教えなのです。そしてお爺様――師範はこうも教えています。真の『強さ』とは、武術や体術の巧みさではなく、逆境であっても決して折れない心である、と」


 今にも死にそうな状況であろうとも、決して諦めるな。考えを止めるな。『死ぬ』などと考えている暇があるなら生きる術を探せ。活路とはそうして切り開くものだ。


 という言葉を、師範から言われたことがあった。だから僕は、どんな状況でも思考を止めないように意識している……のだけれど、ここ数日を振り返るに、まだまだ鍛練が足りていないのだった。


「ただ、私は免許皆伝を得たいと考えていますので、古くから受け継がれてきた御神流剣術も習っています。新しい時代に合わせて変化する為には、基本がきちんと出来上がっていなければいけませんから」


 浪々と語る蓮華は、いつも以上に真っ直ぐだ。未来への道筋が決まったから、余計なのだろう。それが嬉しく、何より身が引き締まる思いだった。

 いつまでも蓮華の背中を見ているだけでは駄目だ。彼女と共に歩めるように、僕も立派な人間になるのだ――と、改めて決意を固めたところで、

 ふわり、と白いものが風に乗って飛んできた。

 地面に落ちる。


 それは、神社に奉納するヒトガタだった。


 そういえば。昨日も道路に落ちていた。でも、何で空から……?

 不気味に思ったところで、もう一枚、更に一枚――

 無数のヒトガタが、ひらひらと舞い散る桜のように落ちてくる。

 僕は無意識に足を止めていた。


「……何だ、これ」

「どうした、直人?」

「ほら、あれ。神社に奉納するヒトガタが落ちてきてるんだけど、一体どこから……」

「――待て、直人。嫌な感じがする。それに近付かない方がいい」

「ですね。その紙、普通じゃない感じがします」


 そうこうしている間にも、ヒトガタはどこからか風に乗って現れ、大量のそれが落ち葉のように積み重なっていく。

 そして次の瞬間、山となったヒトガタがもぞりと動き――その一枚一枚が自ら体を折り畳み始め、まるでペーパーアートのように、瞬く間に人間の形を作り上げた。


 現れたのは、白い人影が三体。

 それらは、カンフー映画に出てくる役者かのように、各々ぐるりと首を回し、腕を回し、僕達へと向かって構えを取った。


「な、何だあれ!」

「私にも解らん! だが、敵意があるのは確かなようだ!」


 僕に胴着袋を手渡し、蓮華が前に出る。その右手に握られた木刀袋の端を掴むと、彼女がするりと得物を引き抜いた。

 不審者対策として、この程度の連携は頭に叩き込んでいる。まさか実践する日が来るとは思わなかったし――何より、相手はどう見たって人間じゃない。

 神の存在は、どうにか納得した。でも、あんな異形の存在まで出てくるなんて聞いてない!


「すみれさん、アレが何か解りますか?」

「わ、私にもさっぱりです! でも神様が逃げろって!」

「でしょうね!」頷き、僕は水月に対して念を送る。伝わっていると信じた。「――よし。蓮華、逃げるよ!」

「解った! ――だが、やすやすと逃がしてくれそうにないぞ!」


 ヒトガタの一体が、ざざざ、と落ち葉を揺らすかのような音を立てて飛びかかってきた。

 速い。でも、振るわれた拳の動きは、素人レベルの単純さだった。

 相手に瞳がなく、どこに振るわれるか解らない攻撃だけれど、この速さなら僕にも見切れる。それを蓮華が見逃す訳がない。

 す、っと蓮華が前に出る。滑るような滑らかさでヒトガタの腕を掻い潜ると、低い位置から胴を薙ぎ払った。

 ばっと紙が舞う――が、ヒトガタの形は崩れない。だから、


「――直人!」

「解ってる!」


 僕は右下から思い切り胴着袋を振り上げ、ヒトガタを打撃する。そして、耳の辺りまで上がってきた袋を左手で軽く支え――今度は引く力で叩き付けた。

 紙で出来ているからか、当たった感覚が殆どない。大半を地面に押し潰すことが出来たけれど、ヒトガタは胴着袋を押し上げて復活しようとしていた。

 それに後退りながら視線を上げると、あの蓮華が苦戦している。ヒトガタの打撃は完全に回避出来ているものの、斬っても薙ぎ払っても致命傷にならないのだ。絶望的に相性が悪い。

 剣が振るわれる度に紙が舞い、ハラハラと落ちていく。


 ……落ちていく?


「もしかして――!」

 僕は胴着袋を持ち上げ直し、何度もヒトガタへと叩き付けていく。御神流も何もないが、今は四の五の言っていられない。

 やはりヒトガタは動き出そうとする――が、明らかにその勢いが弱っていた。一定以上の衝撃を与えると、パーツを形成する小さなヒトガタがただの紙に戻る、のかもしれない。

「だったら、これで!」

 胴着袋を押し付けて引きずり、ヒトガタの体をバラバラにする。すると、重なり合った一部が動こうとするものの、全体の動きは殆ど止まったのだった。

「蓮華、頑張れば倒せるかも――、ッ?!」


 荒れた息を吐きながら顔を上げた先で、僕は予想もしていなかった光景を見た。

 舞い散る紙吹雪の中で、蓮華が舞っている。剣が振るわれ、長いポニーテールが揺れ、スカートが踊る度に紙吹雪の量は増していく。

 あれよあれよという間に、二体のヒトガタは紙切れに寸断され――後には、荒れた息を整え、姿勢を正す蓮華の姿だけがあった。


「――無事か、直人。すみれお姉様も、お怪我はありませんか?」

「だ、大丈夫」「す、凄いです、蓮華ちゃん!」

「いえ、まだまだです。効果的な撃退法が解らず、力押しに頼ってしまいました」

「それが出来るのが凄いんだよ」


 本当に、蓮華は規格外過ぎる。

『斬って駄目なら更に斬る。それでも駄目ならもっと斬る』という、単純であり最も難しいことをやってのけてしまうのだから。


「あと、ごめん。胴着袋汚しちゃった」

「構わないさ。直人達が無事ならそれでいい。それより……これは一体何なんだ?」

「解んない……。でも、神様絡みなのは確実だろうね」


 こんな魔法みたいなことが出来るとしたら、神を名乗る存在以外にありえない。

 つまり、水月以外の神の仕業、だ。


「花見は中止かな。一旦アパートに戻った方がよさそう」

「そうだな……。だが、状況から察するに、直人の家は張られている可能性がありそうだぞ」

「あー、それもそうか……」


 外出時を狙われたのだ。帰宅時を狙わない道理はないし、アパートの周囲で張っている可能性は高そうだった。


「……蓮華、頼ってもいいかな」

「当然だ。では、すぐに家へ向かうとしよう。その紙に宿った意思は、まだ完全には消えていないようだからな」


 まだ僅かに動いているヒトガタから距離を取って、僕達は走り出した。




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