変化の始まり 2
やってきたショッピングモール内を軽く見て回ってから、スーパーで食料品を購入。
「買い物だけだとデートですけど、食料品まで買うと新婚さんみたいですよね」
なんて微笑むすみれさんに上手く返事が出来なくなるなど、自分の対応力のなさを感じさせられつつも、買い物終了。
アザを隠すのをすっかり忘れていたけれど、意外と気にされないものだった。
そうして、予想よりも重くなった荷物を持って部屋に戻ると、僕は両手に下げていたビニール袋の一つを冷蔵庫の前に下ろした。
「よっと。……すみれさん、野菜とかを中に入れといてもらえますか?」
「解りましたー」
別の袋からコーヒーの詰め替えビンを取り出して、それを棚の中へ。他にも調味料、パスタ、お茶請け用のお菓子などを仕舞いつつ、僕は横目ですみれさんの動きを確認していく。
手馴れた動きだった。
「よいしょっと。綺麗に入りましたよ」
「――では、ちょっと確認します」
「えっ」
驚くすみれさんの隣に立ち、閉められたばかりの冷蔵庫を開く。次いで野菜室、冷凍室もチェックする。
見事に、見覚えのある配置だった。
「……僕の心、読んでません?」
「読んでませんよう」
普段置いている通りに、肉や野菜が置かれているのだ。偶然にしては出来過ぎている。
それだけではない。買い物の最中も、すみれさんは僕のメモを確認せずに、買おうと思っていた食材をカートに入れてくれていた。だから、もしや、という気持ちが強まっているのだけれど、違っていたらしい。
「ただ、なんとなーく、こうなのかな? っていうのは感じてます」
「直感、みたいな?」
「ですね。なので、直人君が困ってる時には、先回りして助けられるかもしれません」
「……なんだか、すみません。すみれさんには迷惑掛けてばかりで、僕からは何も返せてないですね」
僕からは、すみれさんの心は読めない。好きな食べ物が解ったのは、まぐれみたいなものだろう。だから余計に申し訳なく思う。
すみれさんの心を読みたい、という訳ではなくて、先回りして何でもしてくれる彼女に甘えてしまいそうで、申し訳ないのだ。
視線が下がる僕に、すみれさんが微笑んだ。
「気にしないでください。知られたくない秘密も知っちゃってるかもしれないんですから」
「知られて不味いことは……あんまりない、かな」
「そうなんですか?」
「言いたくないことはありますけど、これだけは絶対に秘密だ、って話題はないかもしれません」
例えば、今からスマホやパソコンの画像フォルダを見られたとしても、特に問題はない。
僕の人生は常に蓮華と共にあって、性の目覚めも何もかもも蓮華と一緒に体験してきたから、部屋にエッチな本など一切ないのだ。告白よりもキスの方が早かった二人なのである。
そしてこの一年は、一人でしよう、なんて気にはなれなかった。だから、エロい方面での秘密は一切ない。唯一恥ずかしいものといえば、執筆途中の小説くらいか。とはいえ、それも最終的にはネットに公開するのだ。作品の質を上げる為にも、むしろ読んでもらうべきだろう。
そう考えていくと、喋りたくない話題は――両親の惨めさと、御神家との事情の二つだけだ。けれどこれも、蓮華が許可を出すなら話してもいいと思っている。
二人で自立するまでは、僕達の人生に付き纏い続けるのだから。
「なので、フリとして『心を読みました?』って聞くことがあるかもしれませんが、例え読めたとしても気にしないでください。割と平気なので。現に、水月に頭の中を覗かれてますからね」
「あ、そういえばそうでした。でも、私は神様ほど完璧じゃないので、直人君の不安や辛さを見逃しちゃうことがあるかもしれません。そんな時は、すぐに言ってくださいね。直人君のフォローが、私の役目だと思ってますので。といっても、今のところ出来ることは何もなさそうですけど……。あ、そうだ。お部屋の掃除とかしましょうか。お風呂とか、トイレもピカピカにしますよ」
「いや、そういうことを任せる訳には……。水月に頼んで、執筆も寝てる間に限定してもらいましたし」
「でも、神様の筆が乗って、直人君が起きても執筆し続けちゃう可能性もありますよね?」
「それは――って、うわっ」
右腕が勝手に動き出し、ジーンズからスマホを引っ張り出した。そしてメモアプリを開き、僕に見せるように文字を打ち始め、
『その可能性はある。手書きよりも筆が乗るのは、昨晩の時点でよく解ったしな』
「……なんで文章で返事してんですか」
『スマホに慣れる為だ。片手打ちだからか、まだまだ速度が足りん』
「十分早いと思うんだけどなぁ……」
確実に、僕のフリック入力よりも早いのだから。
「あはは……。でも、神様がそう仰っている以上、右手が使えなくて大変! っていう日も来るかもしれません。そんな時は、迷わず私を呼んでください。炊事、洗濯、掃除、買い物、なんでもしますから」
「すみません……。ありがとうございます、すみれさん」
そして、楽観していた自分に気付かされる。蓮華に『今夜ね』なんて言っておいて、右手が使えなくて出来ません、じゃあ意味がない。
『心配するな。空気は読むし、場は弁える』
「…………」
そうは言われても、というやつだ。それに苦々しく息を吐きつつ、僕は自由の戻った手でスマホを仕舞った。
「でも、本当にたまにでいいですから。すみれさんにはすみれさんの人生がある訳ですし、そっちを優先してください」
「構いません。直人君優先です」
驚いて顔を上げると、そこには優しい微笑みがあった。
「心が感じられるからなのか、直人君の大変さは自分のことのように解るんです。だから、その苦労が少しでも軽くなるように、直人君を助けてあげたいんです」
「すみれさん……」
嗚呼、この人は慈愛の女神に違いない。
ベランダを背後にしていることもあって、後光が指しているように見えた。
「女神だ……」
口に出ていた。もう駄目だ。でも、照れるすみれさんが可愛らしい。
だからこそ、甘え過ぎないようにしよう。僕はそう心に誓ったのだった。
■
その後、一休みにコーヒーを淹れて、昨日に続いて映画の話に花を咲かせていたところで、不意にスマホに着信が入った。蓮華である。僕はすみれさんに一言断ってから、スマホを耳に当てた。
「もしもし? お疲れさま、蓮華」
『ありがとう、直人。すみれお姉様は、まだ部屋にいらっしゃるだろうか』
「まだいるよ。買い物に付き合ってもらっちゃった」
『そうだったのか。では、午後からの予定を聞いて欲しい。土手の桜が綺麗に咲き始めた、とお爺様が教えてくれてな。もう桜祭りも始まっているというし、花見でもどうかと思ったんだ』
「お花見かぁ。――すみれさん、蓮華からお花見に誘われてるんですけど、午後からの予定はどうでしょう?」
「大丈夫です。ご一緒させてください」
「決まりですね。――聞こえてた? すみれさん、大丈夫だって」
『よかった。それじゃあ、今から道場を出るから、少し待っていてくれ』
「急がなくていいよ。僕達も家を出るから、途中で合流しよう。公園の辺りがいいかな」
『解った。では、また後で』
「うん、また後で」
通話を終えてから、自然と電話していたことに気付く。
必要な時以外は電話せず、メールなどで済ませる――なんて決めていたのに、それが重荷でしかなかったのがよく解った。
本当に、遠回りをしてしまったものだ。
「――という訳で、花見に行きましょう」
「土手の桜ですよね? レジャーシートとかはどうしましょう?」
「あー、そうですね。じゃあ、途中で僕の家に寄りましょう。ちょっと遠回りになりますけど、ジュースとかの買い置きもあると思いますから」
帰りには、家の雨戸を開けて、軽く風通しをしておくのもいいかも――
「だったら、直人君の家の風通しをしておくのもいいかもですね。もう何日も雨戸を閉めっぱなしですし」
「――やっぱり、僕の心、読んでますよね?」
「読んでませんよう」
二人で笑い合う。
こうして、午後からの予定も決まったのだった。
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