過去 3
「ど、どうして……」
蓮華が、ショックを受けた様子で言う。
その目を真っ直ぐに見つめて、僕は続けた。
「例えば……記述された運命のラストに『ハッピーエンド』って付け足せば、その人の人生は幸せな終わりを迎えるんだと思う。だけど、それは結果論なんだ。どんな小説にも起承転結があるように、最後に幸せが約束されているからって、その道中に不幸がないとは限らない。終わりよければ――なんていっても、限度があるんだ」
「だ、だったら、その不幸を全て取り払えば……」
「無理だよ。神様は一柱だけじゃない。そして執筆者は運命改変の影響を受けない。幸せな物語を描いたところで、それに横槍が入る可能性は存在し続けてるんだ。つまり――誰でもないこの僕が、蓮華の『幸せな物語』を破壊してしまうんだ」
「な、直人はそんなことしない!」
「うん、するつもりはないよ。でも、身近な人の運命を書き換えるっていうのは、そういうことなんだよ。僕が側にいる以上、完璧は望めない。なのに、人生からは選択肢が奪われてしまう。だったら、運命なんて書き換えない方がマシだ。その方が、もっと自由に生きていけるんだから。……蓮華は、蓮華の幸せをつか……っ、」
掴み取るべきなんだ。そう言おうとするのに、言葉が出てこない。
蓮華が悲しく笑った。
「……直人は嘘が下手だ」
「……解ってる。でも、そういうことにしなきゃ、蓮華が苦しむ」
僕だって、こんなことを言いたい訳じゃない。今も変わらず蓮華が好きで、大切で、一緒にいたいと思っている。蓮華だけがいてくれればいい、と。
この一年は本当に辛くて、日々は灰色で、楽しいと思えるものが減って、体重も落ちて、眠れない日が多かった。今までは蓮華が側にいるのが当たり前だったから、『親友』としての立ち位置が上手く掴めなくて、高校では距離を置くしかなかったのだ。
一年経っても、慣れなかった。慣れる訳がなかった。
蓮華が何かをしようとする度、真っ先に手伝おうとして、それをぐっと我慢してきた。
何度も何度も蓮華の視線を感じて、それを振りほどいた。その度に胸が張り裂けそうになり、休み時間に少し泣いたことがある。泣きたいのは蓮華の方だと解っていたのに。
それがどうだ。たった一日蓮華と一緒にいただけで、日中の不安なんて全部忘れて熟睡出来て、懐かしい夢まで見た。
嫉妬深く、依存しがちなのは、僕も同じなのだ。
好きな人と一緒にいたいだけなのに、どうして周囲に反対されなければならないのだろう。文句を言いたい。反論したい。……でも、相手は聞く耳すら持たないのだ。
これから僕が成長し、社会的に立派な人物になったとしても、それは変わらない。或いは――ふざけるなと激昂し、殴りかかったとしても変わらない。
何をどうしたところで、蓮華の叔母達は僕を否定し続ける。それはムラ社会的な差別意識だ。他者を認めず、一方的な常識を押し付け、自らの正当性を疑わない。運命を書き換えた程度で直るものじゃないだろう。
家族の縁は切れない。一生陰口を叩かれ続けるのだ。そんな苦痛を蓮華に味合わせたくない。だから僕は、『親友』になることを選び――実際に、蓮華に対する嫌味は殆どなくなったという。
蓮華が苦しまない生活を取り戻したい、という僕の望みは叶えられたのだ。
……でもだからって、蓮華が誰かのものになるのは耐えられない。
その矛盾は――独占欲は、この一年で大きく肥大化していた。
そんな僕の手に、蓮華が指を絡めてくる。見れば彼女は顔を上げていて、その瞳には決意の色が宿っていた。
「――決めた。ずっと考えていたことだったが、腹が決まった。大学を出て社会人になったら、私は家を出る。家族とは連絡を取るが、二度と御神家には近付かない。縁を切る」
「え、縁を?」
「御神家、というしがらみから開放されるには、こうするしかない。そして直人と結婚して、直人の家に嫁入りする。それが私の未来だ。誰にも邪魔はさせない。見えない壁は、破壊すべきだ」
「で、でも、それは今の生活を全部捨てるってことだよ? そりゃ、あの人達は人間のクズだけど、御神家はお金持ちだし、今まで出来たことが出来なくなって、不自由も多くなるんだ。言うほど簡単じゃない」
「直人は優しいな。だったら、休みの間はここに住まわせて欲しい。質素倹約が何たるものか、直人に学びたい」
「それは、構わないけど」
「よかった。なら、一緒に資格の勉強もしよう。直人も講師になってくれれば、教えられることの幅が広がる」
「え、ちょ、本当に道場を開くつもりなの?」
「当たり前だ。その為の資格だけでなく、経営なども学べる大学を選ぼうと思っている。これについては以前から考えていたから、両親も了承済みだ。私は、御神流の看板を掲げるのではなく、全く別の、私達の道場を開きたいんだ」
「……、……」
明日のことすらぼんやりしている僕と違って、蓮華は遥か先まで見越して行動している――
蓮華が姿勢を正す。その瞳に迷いはなかった。
「相手の人生を背負おうとするのではなく、二人で一緒に歩いていくんだ。それが、私達の理想なんだと思う」
「蓮華……」
「その為にも――大学を卒業するまでは、『親友』のまま我慢する。したくないが、する」
「本気、なんだね……。……正直、驚いてるよ。蓮華が家を出るって言い出すとは思わなかったから」
何を言われようと、御神家、というものには誇りを感じているようだったから、余計だった。
「ずっと考えてはいたんだ。ただ、『それは駄目だ』という気持ちが、心から離れてくれなかった。見えない圧迫感がずっとあったんだ。――だが、こうして直人と一緒にいると、その圧迫がすっと消えていくんだ。直人と一緒なら、大丈夫だって思えるんだ」
「ってことは、今、決断したの?」
「うん。心が萎縮してしまう前に、一気に未来を決めた。私の為とはいえ、私をたしなめる直人は見ていられないからな。それが優しさなのは解っているが――私は、そんなに弱くない。両親とお爺様の手前、仕方なく我慢しているが、いざとなったら一発入れてやれば、」
「待って待って、それは不味いから。それをやると捕まっちゃうから」
慌てて蓮華を止める。でも、蓮華の目は真剣だった。
「大丈夫だ。証拠は残さん」
「だから止めてるんです……。……でも、そうだね。それをすっかり忘れてたよ。殺意を込めて睨み返すくらいしても、罰は当たらないんだった」
「小学校の頃からの畏怖だからな。私達は萎縮し過ぎていたんだろう」
僕達は成長し、大人になっていく。見えない壁がどれだけ厚く、高かったとしても、それを乗り越える方法は沢山ある。選択肢は無限に存在する。
僕達の運命は定まっていないのだ。それを、忘れていた。
「師範は、今の道場の話を知ってるの?」
「いや、まだ話していない。ただ、この一年は護身術をメインに教わっていたからな。何か察しておられる可能性は高い。直人のこともよく話題に出るぞ。残念がっている」
「……怒ってるんじゃなくて?」
「怒りはあるが、それは娘である叔母達へのものだ。お爺様は私達の関係を応援して下さっているし――直人こそ、私の婿に相応しいと仰っている。一般的な護身術だけでなく、御神流剣術も教えて下さったのは、直人に見込みがあったからこそ、だからな」
「そう、だったんだ……」
声が、震えた。情けなくて涙が出そうだった。
長年の疑問が氷解していく。婿入りとなれば、僕も御神流を継ぐ資格を得る。そこまで認めてもらえていたのだ。
なのに僕は、見えない壁に屈して――師匠からも、逃げ出してしまった。
……本当に、僕は無様だ。顔を合わせて謝らないと、申し訳なさ過ぎる。何より、心からの感謝と、お礼と――また稽古を受けさせて欲しい、という思いを、師範に伝えたい。
「――解った。僕も腹を決めたよ。自分に嘘を吐くのを止める。もう過去には囚われない」
でも、
「でもさ、僕は蓮華を護りたいんだ。その気持ちは変わらない」
「うん、解ってる」
幼い頃のように、蓮華が頷く。
蓮華が、今のような男らしい口調になったのは、中学の半ば頃から。学園祭の演劇に借り出されて、王子様役をやったのがきっかけだ。それは蓮華によく似合っていて、今では当たり前のものになっている。
でも、素の蓮華は可愛らしいお姫様なのだ。僕だけがそれを知っている。これからも独占出来る。その喜びを噛み締めた。
「それじゃあ、一度『親友』に戻らないとね。外にいる間は、今までどおりを貫こう」
「……二人きりの時は?」
「こんな感じで」
「あっ、」
軽く腕を引いて、蓮華を抱き締める。
「一年の空白を、埋めていこう」
「うん……」
蓮華の温もり、柔らかさ、匂い、髪の感触……何もかもが懐かしくて、愛しくて、堪らない。
蓮華からもぎゅっと抱き返してくれて、心から幸せを感じた。
「でも、キスはしないよ?」
「な、なんで、」
「前に、寝起きは嫌だって言ってたじゃん」
「む、ムード優先!」
「夜まで待ってて。――今夜、一年分するから」
「っ、う、うん。じゃあ……我慢する」
ぎゅーっと抱き付いてくる蓮華が愛おしい。
だから僕は、自分自身に誓いを立てる。
もう二度と、蓮華を離さないと。
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