一息ついて
「嵐のように去っていった感じだ……」
「あはははは……」「……本当だな」
「えーっと……コーヒーのおかわり飲みます?」
「私は大丈夫です」「私もだ」
「……」
……うん、空気が重い。
水月が場を引っ掻き回してしまったせいで、部屋に戻ってからどうする予定だったのか、完全に忘れてしまった。
どうしたものかな、と思いつつコーヒーを飲んだところで、蓮華の視線が僕の右後ろに向いているのに気が付いた。
と同時に、蓮華がちょっと恥ずかしそうに姿勢を戻す。それに僕は苦笑した。
「後ろの部屋は書斎だよ。両親が持ってきた本とかが収めてあるんだ。……すみれさんは、何か本を読んだりします?」
「私ですか? ミステリーをちょこっとだけ。好きな作家さんがいるんです」
「なんて作家です?」
言いながら立ち上がり、僕は引き戸を開いて、電気のスイッチを入れた。
「もしかしたら、僕も読んでいるかもしれません」
「わぁ、凄い!」
四畳半の書斎には、壁一面に背の高い本棚を設置し、出版社別にずらりと本を並べてある。中央には背の低い棚があり、そこにはDVDやBDが並ぶ。地震対策もばっちりだ。
両親曰く、電子書籍もいいけれど、紙の本の方が好き、らしい。
表紙の装丁、手触り、重さ、紙の質感、インクの匂い。表紙を開く瞬間の興奮、ページを捲る感覚。何より、電池切れに困らされることなく、明かりさえあればいつでもどこでも読み進められる。素晴らしい! とのことだ。
昔は『また何か言ってるよ』くらいに思っていたけれど、本を読む機会が増えてからは、その気持ちが解るようになってきた。
だから僕も読書が好きになって、小説を書くようになって……創作の楽しみに目覚めた矢先にこれなのだから、人生ままならない。
いつか、笑ってネタに出来る日が来るのだろうか……。
そんなことを思いつつ、僕は笑みを作った。
「どうぞ、中に入ってください」
「いいんですか? じゃあ、お邪魔します」
すみれさんがワクワクした様子で立ち上がり、書斎に入っていく。
その横顔を見送ったところで、蓮華が隣にやってきた。
僕の手に、蓮華の指が軽く触れる。それに思わず顔を見合わせ……でも、手を握ることは出来ないのだ。
蓮華が苦く微笑み、僅かに視線を下げた。
「……お母様達は、変わりないだろうか」
「元気だよ。今は、懸賞で当たった旅行に出かけてる」
「よかった、それは羨ましい。旅行先はどちらなんだ?」
「海外の世界遺産を巡る旅だから、今は……どこだろ。ヨーロッパ方面でね。サグラダファミリアがどうとか言ってたから、スペインとかかなぁ。後で日程表を見せるよ」
今更ながら、勿体ないことをした気がする。でもそれは、こうして蓮華と話しているから感じることだ。
食費だ何だといいつつ、実際には興味が死んでいた。心が折れていた。
蓮華といるから、世界への関心が戻ってきているのだ。
灰色だった世界が、鮮やかに色を取り戻しているのだ。
「……なぁ、直人。その日程表を取っておいて、いつか二人で旅行に行こう。私はモンサンミッシェルが見てみたいんだ」
「でも、それは、」
「『親友』と一緒の旅行くらい、普通だろう?」
「蓮華……」
「よし、決まりだ。――ああ、お姉様、高いところの本は私が取りましょう」
「……椅子代わりの脚立、今出しますね」
背伸びをしているすみれさんに気付いて、蓮華が書斎へと入っていく。
その足取りが軽くなっていることに気付いて、僕はちょっと泣きそうになって、慌てて椅子を取りに向かったのだった。
書斎は本棚の分でスペースが狭まっているから、三人入ると流石に狭い。そんな中を、僕達は行ったり来たりしながら動き回る。
蓮華のポニーテールがふわっと頬をくすぐったり、すぐ隣にすみれさんの顔が来たり……今更ながらに、可愛い女の子が二人部屋にいる、という事実を実感する。
いい匂いだし、ドキドキするし、色々と悩んでいるのが馬鹿らしくなってくるくらいだ。
DVDもあるんですよ、と教えると二人が興味を示して、そのまま「これは見ましたね」「こっちは見てないです」「じゃあ見ちゃいますか」と話が弾んで――
――二時間以上ある超大作を見終わり、興奮冷めやらぬ中で感想を話し合い、答えの出なかった謎をネットで調べたりしている内に、気付けば夕方になっていた。
楽しい時間はあっという間だ。そう思ったところで、蓮華が何か思いついた顔をした。
「そういえば、この作品には続編があったな。――よし、今夜は泊まろう」
「ちょ、蓮華ちゃん?!」
「蓮華ちゃんがお泊りするなら、私も……」
「すみれさんまで?!」
「では、着替えを持って再集合ということで」
「家主の意見聞いてー!」
「……駄目か?」
「そういう子犬みたいな目をしないの。……まぁ、別にいいけどね。続編も一緒に見とかないと、片手落ちな気がするし」
やったー! と喜ぶ蓮華とすみれさんを前に、僕も笑う。
冷蔵庫の中身がなくなりそう、という割とリアルな悩みはあれど、こうして誰かとワイワイ騒ぐのは久しぶりだったから、楽しい気持ちが大きかった。
何より――大和撫子然とした、前時代的な立ち振る舞いを叩き込まれている蓮華が、一年前と同じように甘えてくるのが嬉しくて、涙が出そうなくらいだった。
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