神との対話 4


「蓮華ちゃん、道場っていうのは?」

「私は剣術を学んでいるのです。直人も、一年前までは同じ道場に」

「そうだったんですか!」


 凄いなぁ、と驚くすみれさんの反応が、心苦しい。

 凄かったのに、それを無駄にするしかなかったのだ。

 師範への申し訳なさと、あの人達への憎しみで胸が詰まった。


「ただ、剣術といっても、現代では帯刀して歩く訳ではありませんから、基本的には護身術を中心に教わっています。ゆくゆくは、私もインストラクターの資格を取り、護身術を教える講師になりたいと思っているのです。いつかは、自分の道場を開きたいですね」

「え、マジで」


 完全に初耳で、思わず声に出てしまった。だって蓮華は、『お爺様に認められるまでは、一人前とはいえない』と言っていたくらいだったのだ。


「もしかして、免許皆伝がもらえたの?」

「まさか。私はまだまだ未熟で、お爺様から学ぶことは多い。ただ、私も色々と考えている。その一つが、講師への道だ」

「そうだったんだ……」


 ……不味い、蓮華にどんどんと置いていかれている。

 そりゃ僕だって、この一年色々と変化を起こそうとしてきた。でも、結果らしい結果が出せていないから、余計に差を感じてしまう。

 そんな矢先に、この右手のアザだ。未来を語る蓮華を巻き込んでしまった後悔、そして不安が一気に来た。

 それを顔に出さないよう、何より見られないよう、僕は少しだけ歩くペースを落とす。

 胸を張って未来を語る蓮華は、とても輝いていたのだった。




「そういえば、直人君は一人暮らしをしているんですよね?」


 自宅であるアパートが見えてきたところで、すみれさんに問い掛けられた。……何故それを知っているのだろう? まぁ、今更驚くようなことでもないか。


「もう一年くらいになります」

「高校生なのに凄いです!」

「最初はキツかったですけどね。でも、何とか慣れました」

 今までの状況と決別したかった時期だったから、余計だった。


「あのアパート、僕の叔父さんが経営してて、でも最近は入居者が集まらなくて困ってたんですよ。それならいっそ、レンタルボックスみたいに部屋を倉庫として貸し出せば――って考えて、駐車場も月極の契約に切り替えたんです。僕はその倉庫番みたいな感じですね」


 警備会社とも契約しているけれど、それとは別の有人警備。まさしく『自宅警備員』だ。

 叔父さんとしては、僕に一人暮らしを経験させてやろう、という考えだったらしい。

 ……まぁ、アパートの紹介文に、『剣術経験者が貴方の荷物を護ります!』と書いてあったのを見付けた時には、頭を抱えたけれど。


 アパートは風呂トイレ別の1LDKで、そこそこ広い。全室に空調が完備されていることもあって、骨董品や書物など、貴重な物品を仕舞う倉庫代わりにしている人が多い感じだ。そうした情報は叔父さんから聞いていて、実際に荷物を運び込むのを手伝ったりもしているから、全室、全員分のデータを把握している。それ以外の不審者がいた場合は警備会社、及び警察に即通報、という訳だ。

 僕がいて、夜には明かりを点していることもあって、この一年不審な出来事は一度も起きていない。やはり『誰かいる』という防犯効果は高いようだ。 


「じゃあ、料理とかも?」

「しますよ。食費の残りが小遣いになるので、頑張ってます。まぁ、人に振舞えるほどじゃないですけどね」


 ネットで見付けてきたレシピを真似するくらいだ。時には失敗するし、面倒くさい時はトーストにジャムだけで済ませてしまう日もある。たまに母さんが夕飯を作りに来てくれたりすると、その美味しさに感動するほどだ。

 そんな母さんは、父さんと一緒に海外旅行へ出かけている。懸賞でペアの旅行券が当たる、という強運を見せた結果だ。何万か払えば同行出来たものの、その分の食費をもらった方がうれしい僕は、一人日本に残ったのだ。


 世界遺産を巡る旅らしく、両親は暫く帰ってこない。そして叔父さんは仕事で他県へと出張に出かけている。そんな矢先に、右腕に異変が起きたのだった。

 料理中とかは右手が動いたりしないように、水月に頼まないと……。そう思ったところで、路地の片隅に白い紙が落ちていることに気付いた。


 御幣でも置いてあるのかな、と思ったら、違う。ヒトガタだ。

 神社などで無病息災を祈る為に使われるものが、なんでこんな道端に落ちているのだろう?

 それに疑問と、若干の不気味さを感じつつ、僕はその脇を通り過ぎた。


「……で、すみれさんはどうなんですか、料理とか」

「ちょっとくらいなら……。蓮華ちゃんは?」

「私もあまり……。母の手伝いをすることはありますが、自分で全て賄うのは難しいですね。勉強していきたいとは思っているのですが、今いいことを聞いてしまいましたし、先延ばしになりそうです。――なぁ、直人?」

「いや、期待されても困るからね」

「いいや、期待する。直人の手料理というだけで、私にはご馳走だ」

「だからそうやってハードル上げないの……」


 本当に、普通レベルなのだから。そう思いつつ、僕はアパートの階段を上り、ポケットから鍵を取り出した。

 二棟連続して建っているこのアパート『メゾン春咲』は、茶色い外壁の二階建てだ。真ん中に階段があり、左右に一部屋ずつの作りになっている。駐車場は八台。僕の部屋は右の棟、正面から見て右上にあった。


 鍵を開け、誰もいないと解っていても、無意識に「ただいま」と告げながら中に、


「おお、おかえり、ナオト」

「ッ?!」


 全く予想していなかった返答に、僕は反射的に傘立てから傘を引き抜き、構え――相手が水月と解った後も、「なんでいるんですか!」と素っ頓狂な声が出た。

 不安が尾を引いているからか、普段以上に驚いてしまった。だというのに、水月は気楽な様子で笑うのだ。


「言ったろう、一度お開きにする、と。だから部屋に来た」

「言葉遊び過ぎますよ! なら、どうやって中に?」

「おいおい、儂は神だぞ? その程度は容易い。気付いていたかは知らんが、一時的にホテルの電気を点けたのも儂の力だ。ほら、突っ立ってないで入ってこい」

「全くもう……」


 溜め息を吐きつつ傘を戻し、靴を脱ぐ。

 振り返ると、すみれさんが驚いた顔をしていた。


「あ、大丈夫ですよ。水月でした」

「そ、それもなんですけど、直人君の動きにも驚きました」

「動き?」

「ズバッ! シャキーンって!」

「えーっと……これです?」


 すみれさんが、身振り手振りで何かを引き抜き、構える動作をする。そういう姿も可愛いなこの人、と思いつつ、僕は手を伸ばして傘を引き抜いた。

 と同時に、完全に無意識ながらも体が動いていたのだと気付いて、僕は苦く笑った。


「今のが、さっき話してた剣術です。ただ、大分訛ってますけどね――って、蓮華、何その悔しそうな顔」

「見逃した……!」

「あ、ごめんなさい、私が邪魔しちゃって!」

「いえ、すみれお姉様のせいではありません……」


 悔しそうにしながらも、フォローを忘れない蓮華の姿に苦笑する。僕としては、無様な構えを見られなくてよかった、という気持ちだった。


「それじゃあ、上がってください」


 蓮華から『もう一回』と言われない内に、僕は部屋の中へ。そうでなくても玄関が狭いから、さっさと入ってしまった方がいいのだ。

 何より、今日は予期せぬ先客がいる。


「我が物顔ですね」

「我が物だからな」


 ふふ、と嬉しげに笑う水月は、部屋の一番奥にあるベッドの上に腰掛けていた。そのベッドに初めて座った女の子が神様である、という事実に戸惑いつつも、僕はベッドの隣にあるパソコンデスクに鍵を置いた。


 部屋は奥に広い。玄関入ってすぐ右側に風呂とトイレがあり、短い廊下を抜けた先にキッチン、そしてリビングダイニングが広がる。その右奥に木製の引き戸があり、開いた先は洋室となっている。

 ベッドは洋室に置く予定だったものの、読書家である両親が「夜は寂しいだろうから」という理由で持ち込んできた大量の小説、漫画、DVDなどが棚にぎっしりと詰め込まれ、ちょっとした書斎のようになっている。そして実際に、孤独を癒されてきた。なので不満はあっても文句は言えないのだった。


「おじゃましまーす。ここが直人君の部屋なんですね」

「……おじゃまします」

「あんまり片付いてないですけど、適当に座ってください。今、コーヒーでも淹れますから」

「ありがとうございます。でも、コーヒー切れかけてませんでした? 詰め替えを買わないとですよね」

「あ、そういえばそうでした――って、何で知ってるんですか」

「……あれ?」


 すみれさんが、『言われて気付いた』という顔をして、可愛らしく首を傾げた。



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