神との対話 2

 

「うむ、その通りだ。ナオトは理解が早いな」

「……嬉しくありません」

「そう言うな。だが、確かにその不安も解るぞ。ナオトの改変次第で、世界を変えるかもしれなかった人物が、露出狂として警察に捕まってしまうかもしれんのだからな」


 水月が楽しげに言う。……全く笑えない話だ。

 それに深く息を吐いたところで、すみれさんが水月へと問いかけた。


「で、でも、逆に考えたら、直人君の力で犯罪を未然に防いだりも出来るんじゃないんですか?」

「それも然り、だな。だが、儂は相手を選ばん。無作為なのだ。選べない訳ではないが、それは砂浜に落とした指輪を拾うようなものだ。現代は人口が多すぎて、個人を特定するのは難しい。まぁ、ナオトの身近にいる人物ならば――っと、そう睨むな、ナオト。選ぶつもりはない」

「…………」

「つまり、相手を選ぶというよりは、ふと頭に浮かぶ感覚だな。頭の中に閃いた物語を、ナオトに代筆してもらっているようなものだ。ナオトの部屋にある紙の山の中には、歴史に残るような殺人鬼の記述があるやもしれんし、ないやもしれん」

「覚えて、ないんですか」

「端役のことなど忘れてしまったよ。儂にとっての主役は、ナオトだけだからな」


 平然と告げる水月には、微笑みがあった。

 幸せそうな笑みだ。

 ……価値観が違う。それを痛感させられた――という思考すら筒抜けなのだろうに、水月は変わらぬ様子で言葉を続けた。


「そう深く考え過ぎるな。儂やすみれと知り合っただけで、ナオトの生活は変わらない。他人の人生は他人の人生、だ。殺人が起きようと、事故が起きようと、ナオトの人生に直接の関わりはない。日々テレビで報道されるニュースのように、右から左へと流れていくだけだ。例えその殺人をナオトが防いだとしても、変化は起きない。殺人鬼から助けられた人物は、救われたことにすら気付かないのだからな。誰に感謝される訳でも、理解される訳でもない」

「……なら、どうして執筆者に物語を書かせるんです? 貴女は一体何者なんですか?」


 問いかけに、水月が静かに微笑んだ。


「『神』、だ。それ以上でも、それ以下でもない。言わば自然現象のようなものだ。無から宇宙が生まれたように、水の星に生命が発生したように、猿が人間に進化したように、この宇宙には変化を促す力が存在する」

「創造神が存在するとでも言うんですか」

「そうではないよ。自然現象だと言っただろう? 揺らぎのような、回転のような――今の人類には観測も定義も出来ない力だ。であるなら、便宜上『神』と名乗るのが一番手っ取り早いだろう」

「…………」

「ああ、こうして姿を持って話をしているのは、ナオトがそういう形に『神』を想像したからだ。つまるところ、ナオトから個性を与えられたから、こうして意思があるように振舞っているが、儂という『力』には目的や意図は存在しない。そういう意味では、自然現象より、自然災害と言った方が適切だったな。地震や台風、大雪と同じようなもので、それはまるで悪意があるかのように列島を蹂躙するが、しかし自然のもたらす災害でしかない訳だ」

「変化を促す力……。神という自然災害、ですか」


 そうした自然の暴力に、太古の人々は神を見出してきたのだ。便宜上も何もなく、正しく神である、と言える。僕はその力の片鱗を与えられたにすぎないのだろう。

 でも僕は、強い力には制約が付き物だと思っている。

 であるなら、


「……もしかしたら、僕がすみれさんを巻き込んじゃったのかもしれません」

「え、どうしてそうなるんです?」

「僕は、因果応報って言葉を信じてるんですよ。いいことをすればいいことが返ってくるし、悪いことをすれば罰が当たるって。そんな僕が、他人の人生に干渉出来る力を手に入れてしまった。その時点で、無意識に、止めてくれる誰かを求めた可能性は高いんです。水月がそれを感じ取って、すみれさんを選んだって可能性もありそうで」

 

 蓮華は何も言わない。僕も蓮華には言及しない。

 何故なら、蓮華は僕を止めないからだ。

 落ちるなら一緒に落ちるし、登るならどこまでも一緒に登ってくれる。

 それが御神・蓮華なのだ。

 

 ともあれ、不安に思う僕に対し、水月からの返事はあっさりとしたものだった。


「ああ、それはないから安心しろ。すみれと繋がったのは、偶発的な事故に過ぎん。だが、ナオトが選ばれたのは必然だ」

「「え、」」


 僕と蓮華の驚きが部屋に響く。

 必然って、どういうことだ。


「執筆者は、運命改変の影響を受けん。唯一の例外は、執筆者自らが己の運命を書き換える場合のみ。故に――今日この日、こうして儂と出逢うのがナオトの運命だった、という訳だ。そして最後になったが、執筆者が自ら改変しようとしなければ、神の定めた運命には何の変化も起こらん」


 優しく、水月が微笑んだ。


「だから安心しろ、ナオト。儂と出逢ったからといって、己の幸せを諦める必要はない。今まで通り、生きればいい」

「今まで通り、ね……。無茶を言う……」

「大丈夫ですよ、直人君。私もいますから」


 すみれさんが、ぐっと胸の前で拳を握り締める。それに苦笑を返したところで、無言を貫いていた蓮華が口を開いた。


「……水月、さん」

「呼び捨てでいいぞ、蓮華」

「では、水月。――直人と貴女の関係は理解しました。ですが、その繋がりというのは、いつまで続くものなのですか?」

「無論、死ぬまでよ。だが案ずるな。執筆そのものは自然災害と思って諦めてもらうしかないが、その時間は儂が調整し、ナオトの都合を優先する。ただ、手のアザだけはどうにもならん。化粧品などで隠してもらうしかないな」

「それが、神に選ばれるということですか」

「それが、神が選ぶということだ」


 僕を挟んで、蓮華と水月が見つめ合う。


 無言が続いて……折れたのは、蓮華でも水月でもなく、僕だった。


「……とりあえず、解りました。納得とかは別にして、ですけどね」

「うむ、それでいい。これから長い付き合いになっていくのに、今からナオトに無理をさせるつもりはないからな」

「長い付き合い、ですか……」


 深く息を吐く。

 ……確かに、水月の言う通りではあるのだ。右手の暴走が落ち着き、執筆が寝ている間だけに限定されるなら、不便はあっても普段通りの生活は出来る。そして書き出された文章を一切読まず、手を付けなければ、何の問題も起きない。

 でも、それを完全に無視出来るほどの能天気さを、僕は持ち合わせていなかった。


「今まで通りって言ったって、良心は痛むんですけどね」

「ナオトは優しい子だからな。その痛みは、儂が分かち合うさ」


 微笑んだ水月が、僕の右手のアザを撫でる。

 神様の執筆者になる、なんて状況に巻き込まれたのは不幸だけれど、水月がこの性格で顕現してくれたのは、不幸中の幸いだったのかもしれない。

 ……まぁ、水月の振る舞いも優しさも何もかも、すみれさんの存在ですら、僕を利用する為の嘘である可能性もあるのだが。


「どっちですか」

「儂は嘘は吐かんよ。ナオトがそうであるように」


 くすくすと水月が笑う。人を食ったような神様だった。

 口に出していない疑問も、水月には筒抜けになっている。今この瞬間の思考だけでなく、過去の失敗も後悔も、彼女は全て知っているはずだ。

 つまり、僕の弱点も理解している訳で――それを利用しようとしてこない時点で、水月に嘘はないのだろう。


「それがナオトの逆鱗であることも、ちゃんと知っているからな」

「何もかも筒抜けですね……」


 それでも、嫌悪や拒絶は起こらなかった。

 自分が想像した神だからか、或いは右手を通して繋がっているからか、僕はすんなりと水月の存在を受け入れいていたのだった。……まぁ、執筆については話が別だけれど。

 溜め息が出る。それに水月が苦笑し、場を改めるように立ち上がった。


「――さて、ざっと説明も済んだところで、一度お開きとしよう。まだ疑問はあるだろうが、頭に入らんのでは意味がないからな」


 水月が僕の頭を撫でる。

 その顔には、優しい笑みが浮かんでいた。


「改めて――これからよろしくな、ナオト」




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