神との対話 1

 

 十歳くらいの、とても可愛らしい少女だ。白銀色に輝く美しい髪をしていて、豊かなそれはソファーの上で毛先が遊ぶほど長い。清楚なブラウスとスカートがよく似合っている。

 僕を見る紅い瞳はどこか挑発的で、口元には笑みが浮かんでいた。

 と、すぐ後ろからすみれさんの声が響いた。


「――わぁ、彼女が神様なんですね!」

「は? すみれさんは知ってたんじゃないんですか?」

「いえ、知りませんでした。実はこの扉を開けるまで、神様は固定された姿を持っていなかったんです。ですよね、神様」

「ああ、その通りだ」


 すみれさんの言葉に仰々しく頷いた少女は、どう見たって立派な姿を持っている。

 日本人離れした髪色と可愛らしさだけれど、普通の人間にしか見えない――


「――いいや、儂は神だぞ、ナオト」

「な、なんで僕の名前……って、え?」


 心を読まれた、としか思えない反応に動揺してしまう。

 そんな僕の様子に楽しげに笑いながら、自称神様が立ち上がった。


「自称とは心外だな。儂には水月という立派な名がある」

「…………」


 さらりと髪を揺らしながら、自称神様――いや、水月が僕の前へとやってくる。身長は僕の胸ほどだった。


 ――僕の心を、読んだのか。 

「ああ。心だけでなく、過去も全て知っておるぞ。儂とナオトは繋がっているのだからな。右手のアザがその証拠だ」

「じゃあ、あの大量の文章は……」

「儂がナオトに書かせた。故にナオトは『執筆者』なのだ」

「執筆者……。ってことは、やっぱりあの文章は意味を持って……!」

「落ち着け、順を追って説明しよう。蓮華もこっちにくるといい」

「……私のこともご存知なのですか?」

「ああ。ナオトの知る限り、ではあるがな」


 警戒を滲ませる蓮華とは裏腹に、水月が妖艶に笑う。そして僕の右手を取った。

 小さく、暖かい手だ。

 血の通った温度だ。

 なのに、神様?

 浮かび続ける疑問に混乱しながら、僕は手を引かれるまま、水月の座っていたソファーに腰掛けることになった。

 その隣に蓮華が座り、当の水月はどうするのかと思えば、

「よっと」

 あろうことか、僕の膝の上に腰掛けた。

 その予想外の行動に慌てる僕の前で、すみれさんが微笑んだ。


「では、説明を続けます」

「ちょ、ま、」

「続けますねー」


 押し切られてしまった。それに嫌な汗を掻く僕を無視し、すみれさんが言葉を続けた。


「――つまりですね、神様のその姿は、直人君の頭の中にある『神様』のイメージが反映されたものなんです」

「ぼ、僕の?」


 驚く僕に、水月が鷹揚に頷いた。


「ああ、そうだ。神は執筆者の想像によって姿を得る。故に、ナオトが西洋の女神のような神を思い描いていたのなら、儂はその姿に。荒々しい男神を想像していたのなら、その通りの姿と性格になっていた、という訳だ。すみれにそのことを説明させなかったのは、ナオトの想像に余計な影響を与えたくなかったからだ」

「直人君は、個性的な価値観を持っていたんですね」


 すみれさんの笑顔が辛かった。蓮華が無反応なのも恐ろしい。


「や、ちょ、待ってください! 僕は趣味で小説とか書いてて、だから脳内で想像するキャラクターは、いわゆる萌え系というかオタク向けというか!」

「そうなんですかー」

「その笑顔が辛い!」


 絶対信じていない顔だった。

 膝の上で可笑しそうに水月が笑う。


「そういじめてやるな、すみれ。ナオトは嘘を吐いてはおらん」

「解ってます。ただ、突然の性癖の暴露にちょっと驚きまして」


 余計にタチが悪い勘違いをされていた。

 それに言い返したいものの、膝の上に少女を乗せている、という絵面はいかんともしがたいものがあった。


「……とりあえず降りてください」

「そうだな。ナオトに逢えたのが嬉しくて、儂も少々ふざけ過ぎた」

「嬉しい?」

「そういう神として想像されたのだよ、儂は。『誰かに逢いたい』、という気持ちの反映とも言える。心当たりがあるだろう?」

「……まぁ、はい」


 右隣に座り直す水月を横目に、僕は頷き返す。それを言われてしまうと、ますます否定出来なくなるのだった。

 左隣の蓮華を見る。彼女の視線は水月に向けられていた。

 じっと、真剣な様子で水月を見つめている。先ほどから反応がないと思ったら、怒っているのではなく、何かを考え込んでいる様子だった。


「蓮華?」

「――……ああ、すまない、少し考えごとをしていた。あと、直人の性癖については熟知しているから、今更慌てなくても大丈夫だぞ」

「いや、それはそれで大丈夫じゃないっていうかぁ……」


 色々と辛い。

 凹むしかない僕の隣で、水月が楽しげに笑った。


「定まってしまったものは変えられん。諦めることだな」

「そうですか……」

「そう暗い顔をするな。儂はこの体を気に入ったぞ。軽くて動きやすく、何よりナオトと交流しやすくなった。すみれ、ここまでの道案内、ありがとうな」

「いえいえ、私は私の仕事をしただけですから。――ということで、直人君。私の言葉、信じてもらえました?」

「……一応は。でも納得は出来ませんよ。僕はまだ何も知らない。何も解ってない」

「それもそうだな。では、説明に入ろう。まずはそのアザだ」 


 水月の小さな手が、僕の右手に触れる。

 気のせいか、少しだけアザの色合いが濃くなったように見えた。


「これは儂とナオトの繋がりの証。そして執筆者としての証だ。故に、儂は最初に謝らねばならん。本来なら、儂とナオトの意思疎通はそつなく行われるはずだった。だが、何らかの不具合が起き、間にすみれが挟まってしまったのだ。それ自体は偶発的なもので、誰も悪くはない――が、結果的にナオトを苦しめることになってしまった。これは儂の責任だ。すまなかったな」


 申し訳なさそうに水月が視線を下げる。なまじ外見が幼いから、僕がいじめているようで心が痛くなった。

 でも、右腕の異変に大いに悩み、苦しんだのは事実なのだ。簡単には許せない。

 問い掛ける声には、若干の棘が混ざってしまっていた。


「……つまりあの文章は、ただの文字の羅列じゃなく、意味のあるものだったんですね」

「ああ、そうだ。簡単に言えば、あれは神のお告げ、予言のようなものだ」

「予言?」

「本来、人の運命というのは不確かなものだ。だが、神が執筆者にそれを記述させることで、運命が確定する。まさしく小説のように、人間一人の人生がある程度、場合によっては結末まで定まる訳だ。そして、一度定められた運命は変えることが出来ない。『生きる』と書かれれば生きるし、『死ぬ』と書かれればどうやっても死ぬ」

「……、……」

「唯一改変可能なのは、神に選ばれた者――執筆者だけだ。神に選ばれるというのは、それに等しい力を手に入れる、ということでもある訳だな」 


 ぐらりと、世界が揺らぐ感覚がした。

 言葉が出ない。すみれさんはこのことを知っていたのか、ショックは受けていない様子だった。

 深く息を吐きながら、僕は頭を抱える。この三日間もそうだったけれど、人間本当に追い詰められると、文字通り頭を抱えるしかなくなるものだ。

 強く目を瞑り、提示された現実を脳内でどうにか処理してから、僕は顔を上げた。


「さらっと言いましたけど、それって凄まじいことですよね。世界中の人間に影響を与えられる訳ですから」

「え、世界中……? 直人君が書いた人だけじゃないんですか?」


 すみれさんの問いに、僕は首を横に振る。少し考えれば解ることだ。


「どんな人間にも親がいて、家族がいて、友達や恋人がいます。神がその人達のことも記述しているとしたら――間接的に、周囲の人達の運命まで変えていることになります。小説のようにっていうのは、つまりそういうことですよ」

「あっ……」

「友達の友達を辿っていくと、六人目くらいで世界中の人と知り合いになる――なんて話もあります。世界は大げさでも、日本……関東一円くらいなら確実に繋がるでしょう。そこに僕の意思が干渉しないなら、それも『運命』ですけど、これは違います。僕が句読点一つ付けるだけで他人の人生が変わってしまうなら、それほど恐ろしいものはありません」

「句読点一つ?」

「そうです」


 すみれさんの疑問に頷きながら、僕はポケットからスマホを取り出し、文字を打ち込んだ。


「有名なところだと、『ここではきものを脱いでください』ですね。読点を打つ場所を変えるだけで、

『ここで、はきものを脱いでください』

『ここでは、きものを脱いでください』

 という、全く違う意味の言葉になってしまいます。……運命を改変出来るっていうのは、つまりそういうことですよね?」


 水月を見る。対する彼女は、出来のいい生徒の回答に喜ぶ教師のように、満足そうに頷いた。




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