神との遭遇 5
「神様がいるのは、三階にあるホールです。案内しますね」
「……それも、頭の中に?」
「はい。頭の中に地図が浮かんでくるんです」
不思議な感じです、と微笑んで、すみれさんが歩き出す。その楽観に一抹の不安を感じながら、僕は蓮華と共に彼女の後を追った。
廊下の左手には窓があるものの、風雨と埃で完全に曇ってしまっていて、薄暗い。
これは奥まで進むと真っ暗なのでは――と思いながら廊下を曲がると、すみれさんの行く先を導くように、眠っていた間接照明が目を覚ましたのが解った。
「あの、なんで電気が?」
「これも神様の力なんだと思います。あ、向こうは明るいですよ」
薄暗い廊下を進み、フロントの脇を抜けると、広々としたエントランスが見渡せた。
エントランスは三階部分まで吹き抜けになっており、玄関側は総ガラス。日差しが暖かく室内を照らしている。
そのまま視線を下げると、自動ドアの前には、裏にあったものと同じ目隠しフェンスが置かれているのが解った。外から覗き込んでも、僕達の姿は見えないのだろう。
……ただ、無人のホテルだ。
自動ドアからフロント前までは結構な距離があり、左右にはガラスで区切られた、がらんとしたスペースが広がっている。本来ならば、レストランやショップなどが入る予定だったのかもしれない。
トイレに続く道や、エレベーターホールへと続くのだろう通路は真っ暗で、奥が見通せない。何より、吹き抜けだ。見上げても誰もいないのに、誰かから見下ろされているような、そんな居心地の悪さがあった。
「三階へは、エスカレーターを使いましょう」
すみれさんに促されるまま、僕と蓮華はエントランスを中ほどまで進み、左手にあるエスカレーターへと進んで――
――ごうん、とエスカレーターが息を吹き返した瞬間、僕は悲鳴を上げかけた。
びくりと肩が震え、足が止まる。埃が舞い上がり、一瞬世界が白く染まった。
周囲は真っ暗で、不気味なほど静かな状況で、これだ。
流石の蓮華も驚いたのか、顔は平素を保っているものの、すみれさんには見えない位置で、僕のシャツをぎゅっと掴んできていた。
「こ、これも神様の力ですか……」
「そうだと思います。凄いです」
楽観的に受け入れているすみれさんのハートの強さに若干引きつつ、埃が落ち着くのを待ってから、すみれさん、蓮華、僕の順でエスカレーターに乗り込んだ。
事ここに至ってテンションが上がってきたのか、すみれさんはずっと笑顔だ。脳内の文字が全て事実であると、改めて実感出来ているからこそ、冒険気分になっているのだろう。
僕としては、今にも何かが飛び出してきそうな濃い闇に、不安が高まるばかりだ。何より、この先も安全だという保障は一つもない。
何事もなければいいけど……。そう思いながら顔を上げると、数段先を行く蓮華を見上げる形になった。
タイツに包まれたすらりとした足と、ひらひら揺れるスカートに目を奪われる。
ちょっとだけ元気が出た。現金なものである。
そうして二階、三階へ。
三階には、披露宴などで使うホールが存在するようで、趣が少し変わっていた。
無人のクロークが静かに僕達を出迎え――その向こうには、闇に包まれたエレベーターホールへの道が続いている。
それらを横目に、僕達は広い廊下を進む。
目的地は、エスカレーターの反対側にある部屋のようだ。
すみれさんが部屋の前で足を止め、振り返る。
その顔には、確かな高揚があった。
「この奥です。この先に、神様が」
「神様……」
正面には、物言わぬ二枚扉がある。
木製の重厚そうな扉で、立派な取っ手が取り付けられている。ただ、真鍮製だろうそれは錆で曇り、ところどころ緑青が浮いてしまっていた。
人が全く触っていなくても、物はどんどんと劣化していくのだ。
それは、古びた神社を想像させた。
誰も尋ねることのなくなった神社。
塗装の剥げた鳥居と、錆び付いた金具。
荒れた境内に佇む、苔むした稲荷像――
「…………」
「直人君が、扉を開けてください。私は伝達役でしかなくて、その権利がないそうなので」
「開けたら怖いお兄さん達がズラリ、なんてことは……なさそうですね」
人気がない。
生気がない。
三階に来て、それがよく解った。
今まで歩いてきた通路と違って、ここには毛足の短い赤い絨毯が敷き詰められている。
ちらりと振り返ってみると、まるで真っ赤な新雪が広がっているかのように、僕達の足跡が残っていた。それは無人だった何よりの証拠だ。
舞い上がった埃が、日光を受けてキラキラと輝いていた。
僅かに右手のアザが疼く。
早く顔を見せろ、と催促しているかのようだった。
「……鬼が出るか、蛇が出るか――」
覚悟を決め、取っ手を両手で掴む。少しだけザラリとしていた。
不安と恐怖、そして嫌な緊張で胃が痛くなってくる。今までの状況からして、何もない、というのは有り得ないのだ。手に汗を掻いているのが解った。
「……かみさま、か」
背後で、蓮華が小さく呟いたのが聞こえて――ふと、過去に蓮華から聞いた話を思い出した。
それは、他言無用の内緒話。
『――私の従妹がね、「かみさま」に選ばれたの』
当時、僕はどう返事を返しただろう。信じたか、疑ったか。今となっては思い出せないけれど、秘密の共有は僕達の繋がりを確実に強くした。
この先にいるという神様はどうだろう。僕達の関係を変化させるのだろうか。
……変化しない為に、この関係を選んだというのに。
「……、……」
「直人君……?」
「ああ、すみません。――今、開けます」
ぐっと力を込めて、思った以上に重たい扉を押し開く。
ギィ、と蝶番が鳴き声を上げた。
空気が中へと入り込む。
部屋は暗く、その広さも、様相も見渡せない。けれどその中に、僅かに光を纏ったもやのようなものが漂っているのが解った。線香の煙の如く糸を引くそれは、僕の視線を誘導するように、部屋の奥へ。
扉を明けきり、誘われるがままに中へと入る――と同時に、天井で光が瞬き、
「――待っていたぞ、我が執筆者よ」
突然点った照明の下――部屋の奥にポツンと置かれた革張りのソファーに、一人の少女が腰掛けていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます