神との遭遇 3
寝巻きから着替え、スマホと家の鍵だけを持って玄関へ。
僕が住んでいるアパートは、市の中心から少し離れた場所にある。周囲は閑静な住宅地で、学校が休みであるこの時期は朝も人気が少ない。今日は燃えるごみの日だけれど、出している余裕はなかった。
「蓮華に連絡しないと……」
電話をした時とは状況が変わってしまったから、蓮華を巻き込むのは躊躇われた。
蓮華は神仏を信じ、礼を持って接する方で、その方面にも明るい。こういう状況下でも心強い味方になってくれるのは確かだ。
でも、蓮華を面倒事に巻き込みたくない、というのが正直なところだった。
どう説明したものかな……。と悩みつつ、僕は玄関を出て鍵を掛ける。すみれさんには駐車場で待ってもらっていた。
その時、右手にある外階段を上ってくる足音が聞こえてきて、
「――直人」
凛とした声が耳に届き、その姿を視界に納めた瞬間、色褪せていた僕の世界が色彩を取り戻すのを感じた。
御神・蓮華。
最愛の『親友』が、そこにいた。
「すまない、少し遅れてしまった」
申し訳なさそうに言って、蓮華が隣にやってくる。
僕よりも背が高く、すらりとした印象ながらも、その体には女性的な曲線がある。緑の黒髪は今日もさらさらで、いつものように高い位置でポニーテールに纏め上げていた。
きりりとした眉、ぱっちりとした瞳には迷いがなく、通った鼻筋は歴史を変えそうで、桜色の唇は思わず奪いたくなるほどに艶やかだ。白磁のように白い肌には傷一つなく、だからこそ痕を残したくなる。
蓮華を構成する一つ一つが宝石のようで、大切で、胸が詰まる。だから、こうして顔を合わせると痛感するのだ。
蓮華ちゃんは美人だなぁ、と。
宝石箱に蓋をするしかなかった過去に、心が痛むのだ。
「直人?」
「……ん、なんでもない。それより、今日は制服なんだね」
「稽古が終わった後、部活にも顔を出そうと思っていたんだ」
僕達が通う春咲高校は、女子が黒セーラー赤リボン、男子が詰襟の学生服という、古風な学校だ。
蓮華は、そこで華道部に所属していた。
「そっか……。実は、ちょっと状況が変わってさ」
「状況? それは、下にいた女性が関係しているのか?」
「鋭いね」
「このアパートの現状を考えれば、すぐにピンとくるさ。――何があった?」
普段の蓮華なら、『口説いてきていいのか?』なんてギャグを挟んでくるところだけれど、今日は違っていた。
蓮華の目には、心配と、若干の警戒がある。その視線が下へと向いた。
それを追って駐車場を見下ろすと、すみれさんが駐車場の中ほどまで下がり、僕達の様子を確認しようとしていた。けれどすぐに視線に気付いて、あたふたと慌てた様子で影に引っ込んでいく。
「……可愛らしい女性だな」
「それは認めるけど、ちょっと、ね」
右手の甲を見せた途端、蓮華の表情が曇った。
「これが、言ってたアザ」
「…………」
「下にいるのは、白銀・すみれさん。蓮華以外には誰にも話してないこのアザのことを知ってて、これがなんなのか、その謎が解ける場所に連れて行ってくれるって言うんだ。……その上で、僕の腕を操ってるのは、神様なんだってさ」
「かみさま? それは……」
にわかには信じがたい話だ。蓮華が戸惑うのは当然で――けれど、蓮華は何かを真剣に考え始めてしまった。
「蓮華?」
「……少し、気になることがあるんだ。私も同行させて欲しい」
「それは嬉しいし、心強いけど……でも、」
「私達は『親友』なんだ。こういう時くらい気兼ねなく頼ってくれ。……それに、学校の外で逢うのは一年ぶりだろう? 一日くらい、一緒にいさせて欲しい」
そんな風に言われてしまうと、僕は反論出来なくなってしまう。
一緒にいたいのは、僕も同じなのだから。
「……解った。僕の背中は蓮華に預けるよ」
「了解した。では、下に行こう。女性を待たせるものではないからな」
微笑む蓮華と共に階段を下りると、すみれさんがソワソワと興味深そうな様子で待っていた。
「お待たせしました、すみれさん。彼女は、僕の親友の蓮華です。一緒に来てもらおうと思いまして」
「初めまして、御神・蓮華と申します」
「は、初めまして、白銀・すみれです」
深々と綺麗な礼をする蓮華に驚いた様子をみせながら、すみれさんもまた頭を下げる。
こうして並ぶと、蓮華とすみれさんはどこか似ていた。背格好や雰囲気は違うものの、二人とも色白で、黒髪で、目元がぱっちりとしているから、並んでいると姉妹のように見えるのだ。不思議な感じだった。
「私がご一緒しても大丈夫でしょうか」
「えっと、はい、大丈夫だと思います」
蓮華の問いに、すみれさんが頷き返す。それに蓮華が微笑み、
「ありがとうございます。それと――」
「え? あっ――」
背後に花が舞いそうなイケメン笑顔で、蓮華がすみれさんの手を取った。
「つかぬことをお聞きしますが、すみれさんはおいくつなのですか?」
「じゅ、じゅうなな、です」
「私よりも一つ上なのですね。では、お姉様とお呼びしても――?」
「は、はひっ!」
「――蓮華、蓮華。すみれさん困ってるから」
微笑む蓮華と、真っ赤になっているすみれさんとの間に入る。
蓮華は普段から王子様キャラを演じていて、当然のように女子からモテるし、その強さと気さくさで男子からの人気も高い。高校に入ってから、こうして女の子をメロメロにしている現場を何度目撃したことか。
だから、僕はその意図にも気付いている。
今のは、僕の不安を和らげる為。そしてすみれさんの反応を見る為、だろう。
視線一つで、相手の心を読んでしまうのが御神・蓮華だ。手まで握れば、嘘まで見抜いてしまう。そんな蓮華が来てくれたお陰で、心に余裕が戻ってきていた。
でも、根本的な不安は消えていない。心の奥底に冷たい泥が溜まって、それが少しずつ体を冷やしていくかのような、嫌な不安だ。一度さらったくらいでは、綺麗にならないのだった。
「それじゃあ、案内をお願いします」
「は、はい。――では、行きましょうか」
きりっと表情を改めて、すみれさんが歩き出す。僕と蓮華もそれに続いた。
見上げた空は重たく曇っていて、少し肌寒い。可愛らしい女の子二人と一緒に歩いているというのに、全く楽しい気分になれなかった。
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