とろける苦さの正体

みずみやこ

それは、抹茶とあの記憶

「あーあーアイス食べてぇー」


 扇風機の強い風に打たれて、宇宙人のマネをした後。喉が少し乾くと、その気持ちはやってくる。


「じゃあ買ってくれば?」


 そばのちゃぶ台で宿題を広げていた妹が呟いた。こんな僕のどうでもいい独り言に答えてくれる妹とは有難い。寂しさから逃れられるから。

 何を食べようか。すぐ近くにコンビニがある。あそこは小さいコンビニだけど、アイスの品揃えは抜群だ。自動ドアをくぐってすぐ目につくあの喜びと、ケースの蓋を開けた時の溢れ出る冷気。カラフルなパッケージ達を見比べて、十分くらい考え込むのも悪くない。


「あ、ついでにあたしの買ってきてよー。あれ、アイスの実! ぶどうじゃなきゃダメだからね」

「えー? 自分で買ってこいよー」

「無理無理、金欠だもーん。兄ちゃんバイトしてんじゃん」


 妹にあっさり説き伏せられる。僕はやっと扇風機の呪いから解き放たれて、ノロノロと立ち上がった。




 ……さて、何にしようかな。


 かれこれ15分。僕は悩んでいる。

 カップの抹茶ジェラートか、抹茶アイスバーか。

 どっちも変わらない味だと思われるがそうじゃない。僕の抹茶へのこだわりはピカイチだと思う。


 …うーん、苦渋の決断だな……木のスプーンで開拓しながら食べる感覚か、パリパリとした抹茶と、中のチョコを絡めながら食べる感覚か。

 蓋を閉めたケースの前で腕を組んで、じぃっと悩んでいると、コンビニに入ってきた一人の客が、怪訝な表情でこちらを睨んできた。入り口すぐ近くに立っているんだから邪魔なのか…、僕は下を向いたまま道を退けると、そいつは言った。


「…あれ?」

「え?」


 僕だけの世界から引っ張り出される。呆然としながらその方を見やると、そいつは驚いた顔をしている。びっくりしているのはこっちだけど。なんでこんな時にこいつに会わなきゃいけないんだ。一人の世界に入れないじゃないか。


 奇遇だね、学校以来だ。僕のクラスメートは言う。

 はぁ。コミュ障を患う僕は言ってみる。

 そういえば、あいつとはうまくやってる? 身の程知らずは軽く訊いてくる。

 そこそこ。曖昧に答えて、ひとまずこいつは無視すると決めた。


 しかし、そいつはぐいぐいやってくる。僕の世界に勝手に介入してくるんだ。はっきり言って邪魔。ここは僕しか入れないんだし、しかも、あの事には触れて欲しくない。


 –––宿題やってる?––そこそこ。

 –––何買いに来たの?––アイス。

 –––何食べるの?––抹茶。


 そんなつまらない会話が続いたから、そいつは飽きて奥への入っていった。

 はぁ、やっと静かになった。

 ああやってあいつと話す時、そして、抹茶アイスの味を舌の上で蘇らせる時、あの記憶はやってくる。

 思い出したくもないのに、あいつが目の端にちらついているから、頭の中に流れてしまうのだ。




 夏休み前の学校は、やはり暑苦しかった。教室内は冷房がガンガンに効いているけれど、廊下や体育館に出ると、蒸し暑い陽気に誰もが眉をひそめたものだった。ましてや放課後の部活中など。熱中症対策に、冷えた教室を用意するほどだ。

 というわけで、セミがうるさいあの放課後に、僕は屋上に立っていた。

 真上に登っていた太陽が、呪いをかけるかのように照り付けてくる。けれども、僕はそこを立ち去る気になれず、足踏みをして、待ち人を心待ちにしていた。


 その人はまもなくやってきたが、僕はとっさに苦い味を感じたものだ。

 甘酸っぱいものを期待していたわけじゃない。しかし、その味がするりと抜け行ってしまったからには、やはり僕は期待していたのだ。待ち人、僕の恋した人は、夏を前にして苦い苦い味を残して去って行ってしまった。

 僕の耳から遠ざかっていたミンミンゼミの鳴き声は、徐々に頭に響くようになった。ぶわりと汗が吹き出て、ここにずっと立っていると脱水になると思い知らされる。


 その帰り、僕はそんな味から抜け出そうとコンビニに寄り、アイスコーナーへと足を運んだ。うんと甘酸っぱいものを選ぼうとしたのだが、腕は自然と抹茶アイスバーへと向かっていた。我を忘れて会計を済ませ、ほろ苦いそれを齧りながら帰路を急いでいると、なぜか涙が溢れ出てきた。


 なぜ青春は甘酸っぱいのだろうか。そんな疑問を抱きつつ、家に帰ると妹が驚いた瞳で問うてきた。


 ––––どうしたの。目、真っ赤だよ。

 ––––ねぇ、なんで青春って甘酸っぱいんだろう?


 質問を質問で返すと、彼女は何かを察したらしく、一緒に考えてくれた。


 別に甘いとか酸っぱいとかは人それぞれなんじゃない。兄ちゃんはほら、苦い味が好きじゃん。抹茶アイスとかさ。そんな味でも青春ならいいんじゃない。


 最終的に妹は投げやりにそう言うと、部屋に戻って行ってしまった。しかし、さすが我が妹である。僕はある程度ながら納得して、最後の一口を舐めとった。





 僕は二種類のアイスの審議を終えた後、見事僕の手に取られたアイスバーと、アイスの実を買って帰宅した。


 ぶどう味のそれを妹の前に掲げると、彼女は「わーい」と喜んで、一粒食べさせてあげると言った。けれど、僕は丁重にお断りする。僕に甘酸っぱいのは要らない。苦い味が大好物なのだ。

 あの記憶は確かに苦々しかったけれど、僕が恋をしていた期間は実に甘いものだった気がする。そう、パリパリした抹茶の皮の中に入っている、とろけるチョコのような。


 そんな時でも、やっぱり僕はその苦さを求めたのだ。わざわざ甘酸っぱさに翻弄されようとせずに、ただ抹茶を求めだのだ。


 冷たくて、濃厚で、少し甘い、抹茶アイスバーは、僕の舌の上でじっくりと溶けていく。それと一緒に、あの記憶も甘苦くとろけていった。あのあいつの言葉とか、顔とか、思い出す事はあるけれど、すぐ溶けて無くなってしまうだろう。




















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