冬の休暇は甘さと辛さを合わせて? 12

(え……?)

 あっと思う間もなくはしごが宙へ浮く。そのまま男は慣れた手つきではしごを引き上げてしまった。


「メイヴィシア様?」

 コーディアは戸惑うような声を出した。


「本当にあなたっておめでたい人ね。わたくしがあなたとお友達になりたい、だなんて思うわけがないじゃない」


 先ほどまでの明るい声から一転、コーディアは低い声を吐き出す。

 彼女の顔がみるみるうちに険しくなり、コーディアは無意識に足を一歩後ろへ引いた。


「あなたのようなつまらない娘がライルお兄様の隣に並ぶだなんて許せない。どうして自分がライルお兄様にお似合いだなんて思えるのかしら。一晩頭を冷やせば冷静になれるのではなくって?」


 コーディアの背筋が凍り付く。


(まさか、メイヴィシア様はわたしをここに閉じ込める気……?)


 コーディアの顔色が変わったのを、メイヴィシアが気づいたのか。それとも声を出すこともできないコーディアの様子に満足をしたのか。

 メイヴィシアは口元をにんまりと歪めた。


「これはね、罰でもあるのよ。わたくしからライルお兄様を奪った。でも、まあ……わたくしは優しいもの。明日迎えに来てあげるわ。だからそのときまで反省してその性根を悔い改めなさい」


 可愛らしい声がコーディアの耳に届く。


「メイヴィシア様! 冗談はやめてください。こんなことをされても、わたしの気持ちは変わりません!」

 コーディアは慌てて叫んだ。


「そんなことないわよ。頭が冷えれば冷静になるでしょう? あなた、本当に可哀そうな子ね。お金で男を釣った気でいるのでしょうけど、そういう男女は一緒になってもすぐに破たんするだけよ」

 言外にコーディアの父の持つ財産を言っているようだ。

「メイヴィシア様、違います。わたしはそんなことはなく―」

「ああもう、いいわ」

 メイヴィシアはコーディアの言葉を遮った。


 下男が木の板を井戸の入口へ置き始める。


「この古井戸、普段はこうして蓋をしているのよ。まあでも、全部閉めたらまずいってこの男が言うものだから少しは開けておいてあげるわ。じゃあね、ごきげんよう」

 それだけ言ってメイヴィシアは井戸の外側から遠ざかる。


「メイヴィシア様!」


 コーディアは無駄だと思いつつもう一度声を張り上げた。

 井戸の入口は半分以上、木の板で覆われている。

 コーディアが声を張り上げたところで気づいてくれる人間がいるものか。


(大丈夫よ、だって明日には迎えに来るって言っていたもの)


 さすがにコーディアの姿が見えないとなれば誰かが探しに来てくれるだろう。

 子供のいたずらのような仕打ちだが、逆に彼女はなりふり構わずにコーディアを罰したいということなのだろう。

 自分からライルを奪っていった女に。


(でも、わたしは明日になっても考えがかわることはない)


 ライルとこの先も一緒に歩んでいきたい。

 彼のことが好き。じっと見つめ合うその先に彼が求めるもの。

 怖いけれど知りたくもある。

 彼になら安心して身を任せられると思う。


 ライル以外の男性などもう考えることもできないし、彼にもコーディアだけを見ていてほしい。

 コーディアはぎゅっと手を握る。


(わたしは……ライル様を譲れない)


◇◆◇


 メイヤーはコーディア付きの侍女として彼女の身のまわりで不足なものが無いかなどを確認していく。

 リネン類の補充は確認して、ドレスの点検が終わったという報告があがってきたから最終的な確認をあとでしておく必要がある。


(それから、予備の石炭も準備しておいた方がいいかしら)


 南国育ちのコーディアは寒さにめっぽう弱い。就寝前は念入りに寝台を温めておく必要がある。

 メイヤーの父は代々デインズデール侯爵家にて家令を務める由緒正しい家系だ。

 このプロムリー領でストリング家といえば領主に代々使える名士の家系なのである。

 メイヤーはプロムリー領で生まれ育ち、小さなころからさまざまな訓練を受けてきた。主のもとに生まれるかもしれないお嬢様の話し相手も務められるように両家の子女が受ける教育などもその一つだ。


 上級使用人ともなれば外国の客人を相手にしたり、主人の海外旅行に同行することもある。語学の習得は必須だし、気の利いた受け答えのための教養も欠かせない。仕える令嬢のお手本になるべく刺繍や詩の暗記、踊りの練習も勤しんだ。


 あいにくと現在の侯爵夫妻の元に娘が生まれることはなかったが、そのかわりメイヤーにはいずれライルが娶ることになる女性付きの侍女になることが確約されていた。


 石炭の予備の準備をしておくよう下男に伝え、コーディア宛に届いた手紙の仕分けを行う。

 それが終わると晩餐会の打ち合わせ。

 年が明けた二日目に晩餐会が行われることになっている。土地の名士や近隣で付き合いのある家の者を招いての晩餐会。


 今年は急きょプリッドモア公爵家のシオリックとメイヴィシアも参加することになったため変更箇所が出てきており例年よりも慌ただしい。


 そろそろプリッドモア公爵家から令嬢用のドレスや追加の使用人が到着する頃合いだ。

 メイヤーにとってもコーディアを美しく、そして次代の侯爵夫人に相応しく飾り立てるという重要な任務がある。


 ライルのお相手について、メイヤーは詳しく聞かされてはいなかった。

 エイリッシュは随分と前から心に決めていたようだが、肝心の花嫁の父からの承諾が難航していたからだ。説得に説得を重ねてようやくいい返事が貰えたの、とエイリッシュは満面の笑顔でメイヤーに自分の努力を語って聞かせた。


 侯爵夫人がそれほどに入れ込む令嬢とはどんな方だろうとメイヤーもコーディアが到着するのを好奇心と期待に胸を膨らませて待っていた。


 到着したコーディアに対面した時。

 正直に言えば落胆を隠せなかった。


 金色のまっすぐ輝く髪に深い青色の瞳をした整った顔立ちの少女。

 彼女は初めて踏んだ故郷の、侯爵家の屋敷が持つ空気に明らかに気後れしていた。

 貴族の血を引いているとはいえ、彼女は幼いころから貴族の令嬢としての教育を受けていなかった。


 自信の無い態度は日々の生活に顕著に表れる。

 明らかに使用人慣れしていない態度は使える側としても誇りを刺激される。


 メイヤーはこの方ならばと思える貴婦人に仕えることを目標に生きてきたのだ。

 侯爵夫人エイリッシュは無邪気でたまに突拍子もないことをすることがあるが、それでも彼女は何かあると毅然とした態度で人をひれ伏させる。上に立つ人間として、人を従わせる風格を持っている。


 晩餐会の打ち合わせや、仕事仲間から報告などを受けていると時間はあっという間に経っていく。


(そろそろコーディア様の準備をしなければ)


 日の暮れが早い冬の時期。室内はそろそろ灯りが欲しいと思うくらい薄暗い。

 コーディアの部屋へ向かうと、あいにくと彼女は不在にしていた。別の同僚に今晩の晩餐用のドレスについて指示を出し、メイヤーは別の部屋へと向かうことにする。


 最初こそ男性に慣れていないコーディアはライルとの距離の取り方に悩んでいたが、彼と打ち解けてからはほほえましいくらいにゆっくりと、けれど確実に互いの距離を縮めてきた。

 ライルと仲良くなるにつれてコーディアは笑うことが増えてきた。


 メイヤーは図書室の扉をそっと叩いた。

「コーディア様。そろそろお部屋に戻りましょう……」


 音をたてないように細心の注意を払い扉を開くもそこに目当ての人物の姿は無かった。

 最近のコーディアは一日の予定をきちんと把握し、夕食前の着替えの時間になると読書を中断してメイヤーらを待つようになっていた。


 それがないということは。

 もしかしたらエイリッシュと話し込んでいて忘れているのかもしれない。

 エイリッシュはたまにそういうことをするのだ。

 エイリッシュ付きの侍女に取次を頼むとほどなくして部屋の中へと招かれる。


「あら、メイヤーどうしたの?」

「いえ。コーディア様を迎えに来たのですが……」

「今日は一緒ではないわ」

「早とちりをしまして申し訳ございません」

 メイヤーは深々と頭を下げた。


「いいのよ。きっと散歩にでも行ったのではなくって? わたくしもさっきまで猟犬の子供たちを見に行っていたのよ。そういえばコーディアとはすれ違わなかったわね」

 きっとすぐに帰ってくるわ、とエイリッシュは微笑んで「あなたもライルの心配性が移ったのかしら」と言われてしまった。


 そういうことではないのだけれど、とも思うが楚々としたコーディアは感情の揺れもあまりなく、また声を荒げることもめったに、いや一度も無いし、健気にライルを慕うのでつい目で追ってしまうのである。


 きっと彼女のひたむきにほだされているのだろう。

 最近では一緒に暮らすデインズデール家の生活様式を肌で感じていき、ようやく慣れてきたのか堂々としてきたようにも思える。

 自ら進んで学ぼうとする姿勢は好感を持つし、メイヤーのことも自分の侍女だと割り切ったのだろう。最近はメイヤーに指示を出す声の調子に迷いが無くなってきた。


 コーディアはこれからの娘である。

 前向きに学ぼうとする姿勢を見せてくれれば、そして結果が伴ってくればメイヤーも彼女に仕える意義を見出すことができる。

 暖炉の火が大きくなりドレスの点検が終わってもコーディアは戻ってこない。


(どこへ行ったというのかしら。庭園とはいえ、半分以上は森なのだし……)


 メイヤーは小さく眉を顰める。

 さすがに待っているだけではなく行動に起こす時間だろう。


「メイヤー様。あの……」

 同僚の少女がおずおずと進み出る。

 メイヤーは視線だけで先を促す。


「コーディア様の、外套が一着見当たらないのですが」

 それを聞いたメイヤーは衣裳部屋に向かった。

 確かに一着、彼女がよく羽織る外套が無くなっている。


「どこかへ出かけられたのでしょうか」

 侍女は心なしか不安そうにメイヤーに尋ねる。

「……」


 メイヤーの記憶に嫌な出来事がよみがえる。

 一見すると大人しい、従順そうな印象を与えるコーディアだが、案外行動力があるのだ。

 メイヤーは過去に二度ほど痛い目にあっている。


「あ、あの。ラントリー卿の、ディルカ様の元へお尋ねしに行きましょうか」

「そうね。……考慮しましょう」

 どこかにいくのならメイヤーに一言、いや、誰にでもいいから言付けをしていってほしかった。

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