冬の休暇は甘さと辛さを合わせて? 9
「もう、いいわ。ライルお兄様も可哀そうよね。よりにもよって租界育ちの無作法者をお嫁にもらわないといけないんだもの。聞けばエリー叔母様のごり押しだったって話じゃない。ほんとう、叔母様にも困ってしまうわ」
「違う。この結婚は私の意思だ」
「そんなはず無い!」
「最初は確かに親同士の決めた婚約だった。しかし、私はコーディアの人となりを知っていくうちに彼女自身に惹かれていった。だからこれは私の意思でもある」
「なによ……それ。あの女に、恋をしたとでもいうの? お兄様が? ほんとうに?」
気が付けばそんな言葉が口から出ていた。
「そうだ」
ライルはあっさりと肯定した。
この従兄がそんなことを言うだなんて信じられない。
「うそ……」
「嘘ではない。私の愛する女性だ。彼女を租界帰りという肩書だけで判断するのは止めてもらいたい。私への非難はいくらでもしてくれて構わないがコーディアを貶めるのは許さない」
ライルがあの女を庇っている。
愛しているからだという。
愛って、愛ってなんなんだろう。だって、ライルは昔メイヴィシアに騎士が姫君にするように傅いて、そっと手を取ってくれた。
そのときの情景は今でも鮮明に覚えている。大好きな従兄からそんな風にされて、心が震えた。
(だって、あれは……わたくしからおねだりをして。お兄様はいつもわたくしの言うことならなんでも叶えてくれたもの)
甘いお菓子が食べたいと言えば虫歯になるから駄目だと言いつつ、食後にメイヴィシアの大好きなお菓子を出すよう料理長に掛け合ってくれたりもした。本を読んで、盤遊戯の相手をして。嫌だと断られたことなんてなかった。
「そんなことを言うライルお兄様なんて嫌いよ。知らない。出て行って頂戴!」
メイヴィシアは金切り声を上げた。
機嫌が悪くなると大きな声で癇癪を起す。
よくない癖だと父に告げ口をした家庭教師はメイヴィシアが辞めさせた。
だって、メイヴィシアはプリッドモア公爵家の姫なのだ。
「わかった。少し頭を冷やすといい」
ライルはあっさりと立ち上がる。
ちょっと機嫌を悪くすれば取り繕うはずだと踏んでいたのに。
「ライ―」
呼びかけようとしたが、寸前で誇りが邪魔をして最後まで声が出ることなかった。
そもそもライルはメイヴィシアをそこまで気に留めてもいなかった。
彼は一度も振り返ることなく部屋を出て行ってしまった。
あっさりとした退出にメイヴィシアは感情を持て余す。
手近にあったクッションを持ち上げて力任せに床にたたきつける。
そんなことをしても気が晴れることはない。
「あああんっ! もうっ」
感情のままに叫んでいると、とんとんと扉が叩かれる。
(もしかして、ライルお兄様? わたくしの好きなお菓子を持ってきてくれたのかしら)
心臓がにわかに騒ぎ出す。
嬉しい心を匂わせることはせずに、冷静な声で「どうぞ」と言うと扉が開く。
メイヴィシアと同じ色の髪の持ち主にがっかりと肩を降ろした。
「なによ、お兄様じゃない。なにしにいらしたのよ」
「あ、邪険にされているなあ。可愛い妹が振られたから慰めに来てあげたのに」
「喧嘩を売っているなら今すぐこのクッションを投げつけてやるわよ」
その声の調子のどこが慰めているのか。完全に面白がっている声色ではないか。
外面のよすぎる兄は、妹には昔から容赦がない。意地悪といっても別に殴られたとかそういうのではない。
なにか、言動がいちいち癇に障るのだ。
だからシオリックよりも年上で落ち着いていてメイヴィシアを立ててくれるライルに恋をした。
「そんなもの投げられてもよけちゃうから余計にメイの気分が悪くなるだけだよ」
シオリックはずかずかと無遠慮に部屋の中央に入り込む。
「慰めるつもりがあるのなら、つべこべ言わずにわたくしの的になりなさいよ」
「いやあ、我が妹ながら感情の起伏が激しいよね。コーディア嬢を見習ったら? 彼女、清楚でつつましやかで可愛らしいよ。なんかこう、守ってあげたくなる儚さがあるよね。男ってああいう女の子に弱いんだよ。ライル兄さんも要するにああいう感じの子が好きってことなんだよね」
納得、と一人で頷く兄に対して軽い殺意を覚えるメイヴィシアだ。
「お兄様もああいう女が好きってわけ。礼儀作法もなっていない野暮ったい女じゃない」
南国の租界育ちの娘だなんて、施された教育だってたかが知れている。一応、租界では寄宿学校に入っていたらしいが。
コーディアの素性を調べ上げたのはメイヴィシアが連れてきた侍女の一人だ。侯爵家の使用人を少しつつけばこのくらいの情報なんてすぐ手に入る。
「場慣れしていないところはあるみたいだけれど、そこはライル兄さんがカバーしていくんじゃない。我の強すぎるメイよりかはいいと思うよ」
なにより可愛いし、なんてシオリックは続ける。
「そんなにお気に入りなら盗っちゃえばいいじゃない」
「うーん……。べつにそこまでではないなあ」
なにが清楚だ。ただおどおどしているだけではないか。
ちょっと金髪に青い眼をしているからって。きっとその見た目でライルを誘惑したのだ。
メイヴィシアは自分の髪の毛を一房指に絡めた。
薄茶だなんてどこにでもあるようなつまらない色の髪。それにくせっ毛でまとめるのも大変なのに、コーディアのあのまっすぐな髪はどうだろう。生まれてこのかた髪の毛がうねるという苦労なんてしたことが無いに違いない。
大体、ほっそりしているのに出るところは出ているとか。
(ああいう女のことを体で殿方を誘惑するふしだらな女って言うのよ。ああいやだ)
三歳年上のコーディアの容姿や女性らしい体系はメイヴィシアのコンプレックスを刺激するには十分だった。
何が愛しているだ。そんな陳腐な言葉大好きな従兄から聞きたくもなかった。
彼が望んでくれれば。
幼いころの約束のまま、メイヴィシアを迎えに来てくれれば。
父からいつまでも子供のままでいるなと言われてもメイヴィシアにとって五歳の頃の思い出は風化することのない大切な約束だった。
「大嫌い」
「え、なにか言った?」
ぽつりとつぶやいた声はシオリックの耳には届かなかったらしい。
「大嫌い。ライルお兄様も、シオリックお兄様も、エリー叔母様も。全員大嫌い! お父様もお母様も大嫌いっ。みんな嘘つきだわ。わたくしの恋を応援してくれていたのに、みんなわたくしの気持ちを否定する。だったら、最初から言えばよかったのよ! あなたはライルとは結婚できないのよ、って」
感情が爆発したメイヴィシアはただただ喚き散らかす。
みんな、大嫌い。
大人なんて大嫌い。
「だから言ったじゃないか。あんまり夢見ているとあとで裏切られるのはメイのほうだよって」
小さいころの夢なんて、幻のようなものだろう、とシオリックは続ける。
「なによ、わかったような口をきいて! お兄様なんてだいっきらい! 馬鹿! 最低! 出て行って!」
こうなっては収拾のつかないことを熟知しているシオリックはやれやれと言いたげな視線を寄越して立ち上がって出て行った。
「みんなばかぁぁ」
あふれ出た感情は行き場を失い、メイヴィシアは気持ちのままにクッションを扉に向かって投げつけた。
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