冬の休暇は甘さと辛さを合わせて? 7


◇◆◇


 結局その日は泊ることになり(というかエイリッシュが気を利かせてコーディア付きの侍女をメイヤーのほかにも寄越してくれた)、翌日コーディアはディルカを伴ってデインズデール侯爵家の屋敷へと戻った。


 なんとなくの勢いで飛び出してそのまま友人の元で一夜を過ごしてしまった。

 女友達と思い切りおしゃべりに興じたおかげか頭の中はすっきりしており、今の心境としては無断外泊をして申し訳ございません、だ。


「さあコーディ。いざ敵地に乗り込むわよ」


 なぜだかディルカの方が力が入っている。

 日当たりの良いサロンには先客としてメイヴィシアとシオリックがいた。


「あら、しっぽを撒いて逃げ出したのかと思っていたのに。泥棒猫だけに図太い神経をしているのね」

 入室したコーディアを一目見て冷たい言葉をかけたのはメイヴィシアだ。


「メイ、失礼な言い方はやめたほうがいいよ。この場合、きみのほうが悪者だから」

「なんですって!」


 兄の言葉にメイヴィシアの声が高くなる。昨日から感じていたことだが、メイヴィシアは感情の振れ幅が大きいようだ。

 兄に突っかかったメイヴィシアは改めてコーディアに視線を向ける。その視線が横へとずらされる。コーディアの隣にいるのはディルカである。


 肩までの髪の毛は丁寧にこてで内巻きにしており、頭の上には繊細なレエスでできた髪留めをつけている。部屋に入る日の光に反射をして、レエスに取り付けられた輝石が時折光っている。

 コーディアとディルカをそれぞれたっぷり十秒ずつくらいの時間を使って眺めた後、メイヴィシアは不機嫌そうに眉をきゅっと寄せながら口を開いた。


「あなた……、その髪はフラデニア人ね」

「はじめまして。ディルカ・ラントリーと申しますわ。お察しの通りフラデニア人です」

 ディルカは普段よりも清楚な笑みを顔に張り付けてフランデール語で相対する。


「あなた、ここはインデルクなのだからインデルク語を話すべきなのではない?」

 メイヴィシアは眉をぴくりと持ち上げてフランデール語で嫌味を言う。


「あら、ごめんなさい。大陸での通用度でいうとフランデール語のほうが断然上だもの。それに、コーディアはフランデール語が母国語並みだからつい甘えちゃいますの」


(な、なんか……怖い……)

 二人の間に冷気がつぅっと通り抜けた気がするのはコーディアの気のせいか。


「ここはインデルクよ。そんなのだからそこの女のインデルク語の発音はおかしいのよ」


(うっ……)

 そこの女、と目線だけ動かしてコーディアを見るメイヴィシアの冷徹な眼差しを受けたコーディアの胸がぐさっとえぐられる。

 発音矯正は引き続き頑張っているものの、やはり生粋の上流階級発音を操るお嬢様には分かるらしい。


「その分フランデール語の発音は完璧なんだからいいじゃない。国際社会での公用語はフランデール語よ」

「だから、ここはインデルクだって言っているでしょう!」

「あら、わたしは一般的なことを言っているんですけれど」


 二人はにらみ合う。

 しばらく無言でぴりぴりとした視線をかち合わせていたが、先に矛先を変えたのはメイヴィシアだ。


「大体、その髪の毛はなんなのよ。インデルクの常識のある淑女はそんな髪型にしないわ。肩までの髪の毛なんて野蛮だわ。非常識よ」

「あら、その台詞アルンレイヒ王妃の目の前でも言えるのかしら」


 メイヴィシアの挑発をディルカはにこりと笑顔で受け止める。

 アルンレイヒ王国はフラデニアの東隣の大国だ。かの国の現王妃の髪の毛が隣のディルカのように肩までしかないことは広く知られている。


 案の定メイヴィシアは面白くなさそうに口を曲げて黙り込む。

 いくらインデルクで短い髪の毛が非常識と言われようとも他国の王妃を相手に喧嘩を売るような真似をできるはずもない。


「さすが泥棒猫の友人ってところね。さっきから口だけは達者でなによりだわ」

「あらあ、この場に猫なんているかしら?」

 ディルカはわざと周囲を見渡すしぐさをしたあとにまっすぐにメイヴィシアを見つめて目を細めた。


「あ、毛を逆立てた薄茶色の子猫チャンならいるかしら」

「なあんですって!」

「みゃーみゃー可愛いって言いたいところだけど、ちょっと声が大きすぎよ。淑女のすることじゃあないわね」


 ばちばちと二人の視線が盛大に焦げ始める。


(だ、だから怖いって……。ディーカ、年下相手なのだからここは穏便に)


 ディルカとメイヴィシアの応酬にコーディアの胃がきりりと痛みだす。

 いつの間にかこの二人の戦いになってしまっている。


「コーディア嬢、頼もしい助っ人を連れてきましたね。友人のところへお泊りに行ったとエリー叔母上から聞かされましたけど。作戦会議だったようで?」


 シオリックは感心したようにコーディアに向かって話しかけてきた。

 別にそういうわけではないけれど、結果としてそう捉えられてしまったようだ。確かに、とっておきのものがあるとディルカは息巻いていたけれど。


「あら、わたしはただコーディとお茶をするために来たのよ。あんまりわたしだけがコーディを独占していると彼女の婚約者に怒られちゃうもの」

 こちらで出されるお菓子が美味しくってとディルカはシオリックに微笑み返す。


「だったら別の場所ですればいいでしょう」

 さっさと出て行きなさい、と叫ぶのはメイヴィシアだ。

「そういえばライル様は?」

 ディルカはメイヴィシアの言葉には応じずに部屋の隅に控えていた接客係に向かって尋ねる。


「ライル兄さんなら書斎で仕事中だよ。まったくせっかくの休暇なのに真面目なんだから」

 接客係が口を開く前にシオリックが教えてくれた。


「あら、そうなの。せっかくお土産代わりにコーディを着飾ってきたのに」

「確かに、今日のコーディア嬢の装いは美しいですね。あ、もちろん昨日も十分にきれいでしたよ」

「い、いえ。それほどでも……」


 褒め慣れていないコーディアはいつもの癖でそんなことありませんと答える。

 ちなみに今日のコーディアの装いは上から下までディルカの手によるものだ。


 なんでも昨日フラデニアからこの春に向けた最新デザインのドレスが届いたとのことで今日はその中からコーディアに似合う一着を見繕ってくれたのだ。


 この春は肩口の膨らみを二段階に分けた形が流行るとのことらしい。胸元は小さな襞を折り重なっている。刺繍はすみれ模様がきているらしい。襞の下に咲くすみれが愛らしい。

 髪の毛も丁寧にこてで巻き、うっすらと真珠の粉をはたいた肌はいつもよりも透明感にあふれている。

 巻いた髪を留めているのは細く伸ばした金をすみれの形に細工をしたもの。紫水晶がちりばめられている。髪飾りもディルカが貸してくれたもので、ルーヴェで新進気鋭の若手作家の力作らしい。


「ふふ。きれいでしょう。とっておきのドレスですから。婦人ドレスの店の名前は詳しいかしら。『アン・レイ』ってお店ご存じ? そこの新作なんですの」


 『アン・レイ』という言葉にメイヴィシアがぴくりと片眉を持ち上げる。

「し、新作ですって……」

「あら、『アン・レイ』をご存じ?」


「べ、別に。フラデニアのドレス店なんてそこまで興味ないわ」

「あら、そうなの。残念。フラデニアのドレスは世界一って評判なのに」

「さすがはフラデニア人ってところね。図々しい評価にもほどがあるわ」


 二人の間に再び火花が散り始める。

 どうにも相性が悪いのか、それとも年下の売ってきた喧嘩をご丁寧に買ってしまうディルカがいけないのか。

 ディルカはごほんと咳払いをする。


「そうですか。メイヴィシア様はフラデニアのドレスには興味ないのですね。残念だわ。今日はせっかく今度発表される来春のファッションプレートを持ってきましたのに。なんと発売前の特別レア品」


 メイヴィシアの瞳が見開かれる。

「なんですって」


「うわ。それはすごいね。フラデニアの最新ファッションプレート持っていたら女の子が群がってきそうだね」


 メイヴィシアの後に続いてシオリックが口笛を吹いた。

 西大陸の流行の発信地であるフラデニアで出版された最新版のファッションプレート。西大陸の女の子で、これに興味のない子はいないんじゃないだろうか、というくらい破壊力のあるアイテムだ。


 コーディア自身遠い南国の租界で、古い版だとわかっていても、苦心して手に入れたそれを食い入るように眺めたものだ。


「それと『アン・レイ』含むドレス店のデザイン画各種」

「な、あなたどうやって」

 メイヴィシアがかすれた声を出す。


「ちょっとした伝手がありまして……まあ、でも。野蛮なフラデニア人とはお近づきになりたくないんですものね。仕方がないわ、コーディのお部屋でお菓子をつまみながら楽しむことにしますわ。では、お二方とも、ごきげんよう」


 流れるように言葉を操り、ディルカは踵を返す。

 目を見開いたままのメイヴィシアは固まるのみ。

 コーディアはディルカとメイヴィシアを交互に見た。


(え、えーと……。確か当初の目的はドレスでメイヴィシア様を懐柔する予定では……)


 それがどうしてこうなったんだろう。

 戸惑うコーディアをよそにディルカはさっさとサロンから出て行こうとする。


「コーディ、行きましょう」

 とりあえずコーディアは後を追うことにする。

「そ、それではごきげんよう」

 それだけ付け加えてディルカを追うことにしたコーディアだった。

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