冬の休暇は甘さと辛さを合わせて? 5


◇◆◇


 屋敷に戻ると客人が到着したと執事から伝えられた。

 コーディアはすぐにメイヤーによって部屋へと連行され、外出着から着替えさせられる。


 貴族は日に何度も着替えをする。

 その時々によってふさわしい装いがあるからだ。わかってはいるけれど、これまで制服で過ごすことが多かった身としてはまだ慣れない。


 しかし、慣れないとはいえ着付けはメイヤーを含む使用人たちがてきぱきとすすめていくためコーディアは部屋でされるがまま人形のようにじっとしているだけだ。


「コーディア様、いかがでしょうか」


 姿見の前に立ったコーディアは、鏡越しに軽く頷いた。

 メイヤー達の仕事はいつも完璧なのだ。

 文句のつけようもないし、彼女たちの手にかかればコーディアのような平凡な娘も一端の貴婦人になれたように思える。


 メイヤーに先導をされて応接間へと向かう道すがら、客人について教えられた。

 客人の名前はシオリック・プリッドモアとメイヴィシア・プリッドモア。どちらもエイリッシュの兄の子供たちとのことだ。


 要するにライルの従弟妹である。


 応接間へ足を踏み入れた途端、鋭い視線が飛んできた。

 奥の長椅子に座っている少女がこちらをまっすぐ見据えている。薄茶の髪をした、あどけなさの残る顔立ちの可愛らしい女の子。

 その少女がまっすぐにコーディアを射抜く。

 明らかな敵意を向けられたコーディアは思わず立ち竦んだ。


「コーディア、いらっしゃいな」


 コーディアの入室に気が付いたエイリッシュが立ち上がり、朗らかな声を出す。

 その声によってコーディアは金縛りが解けたように、肩から力が抜けた。


「この子たちはわたくしの甥と姪よ。シオリックとメイヴィシア。突然やってきたからびっくりよ。だって、二人きりだって言うんだもの」


 エイリッシュはコーディアを自身の隣に座らせる。

 その一挙手一投足を、客人の少女によって見張られている。薄緑色の瞳がコーディアの動きに合わせて追ってくる。

 コーディアは席についても落ち着かない。


「年暮れに実家に帰ったらメイにせがまれましてね」

 と、口を開いたのはシオリックだ。


 コーディアと同じ年代だろうか、ライルよりも顔にあどけなさが残っており、声もライルよりすこし高いだろうか。

 メイヴィシアと同じ灰緑色の瞳からは彼女のような敵意は感じられない。


「はじめまして、コーディア・マックギニス嬢」


 にっこりと笑ったシオリックの口調が柔らかくてコーディアは笑顔を作って会釈をした。人好きのする雰囲気にコーディアは少しだけ肩の力を抜いた。


「お初にお目にかかります。コーディア・マックギニスと申します」

「へえ、可愛らしいお嬢さんだな。あのライル兄さんがついに婚約と聞いて、お会いしたかったんですよ」

 婚約、という言葉にメイヴィシアの眉間にしわが寄る。


「ふふっ。可愛いでしょう。わたくしの大親友の忘れ形見でもあるのよ。わたくし、コーディアがお嫁さんに来てくれるのを首を長ーくして待っているの」

「別に母上のところにお嫁に来るわけではありませんよ」

 ちょうどよいタイミングで入室してきたライルがエイリッシュにお決まりの釘を刺す。


「あら、遅かったじゃない」

 エイリッシュは息子の苦言に耳を貸す気配もない。


「手紙が何通か届けられていましたからね。急ぎのものに返事を書いていました」

「年末なのに、真面目なことね」

 エイリッシュは肩をすくませた。

 ライルはコーディアの右隣の一人用の椅子に腰をかける。


「それにしても急だな。学校の休暇が始まって間もないだろう」

 ライルはシオリックに声を掛ける。

 シオリックが口を開こうとするが、先に大きな声を出してしゃべり始めたのは妹のメイヴィシア。


「わたくしがお願いしたのよ、お兄様に。だって、誰も彼もわたくしのお願いを聞いてくれないんだもの」


 高い声は静かな室内によく響いた。

 一度言葉を区切ったメイヴィシアはきっとコーディアを睨みつける。

 まともに目が合ってしまいコーディアは背筋をぴんと張る。


「ライルお兄様! 婚約しただなんて嘘でしょう? だって、昔わたくしに約束をしてくれたじゃない」


 ライルは左隣に座るコーディアに視線を向ける。なんとなく、コーディアは居たたまれなくなって顔を下に向けてしまう。


「ああ、紹介がまだだったな。彼女はコーディア・マック……」

「そのくだりはさっき叔母さまがやられたからもういいわ」

「メイ、人の話を区切るのは―」


「お兄様の嘘つき! お兄様、昔わたくしをお嫁さんにしてくれるって言ったじゃない!」


 もう一度ライルの言葉を遮ったメイヴィシアの言葉に、今度はコーディアが雷を打たれたような衝撃を覚えた。

 間違いじゃなければ、今お嫁さんとかなんとか聞こえた気がする。


「……あら……まあ……」


 メイヴィシアの発言のあと静まり返った応接間に響いたのは少し間の抜けたエイリッシュの間延びした声だった。

 その後再び応接間に静寂が戻る。


「……なんの話だ?」

 その後続いたのは語尾の上がったライルの言葉だった。


「ライルお兄様、ひどいわ! お兄様はわたくしの前に跪いて、求婚をしてくれたじゃないっ! 忘れたとは言わせないわよ。そこのシオリックお兄様も一緒だったもの!」


 具体的な情景にコーディアはつい想像をしてしまった。

 ライルが、メイヴィシアの手を取り、結婚を申し込むところを。

 心臓がぎゅっと縮んだような気がして、コーディアは目を一瞬瞑った。


 ライルは状況説明を求めるようにシオリックへ視線を向ける。


「メイがまだ子供だった頃のことさ。ええと、五歳くらいだったかな? なんかライル兄さんにえらい懐いていて、騎士とお姫様ごっこをさせられていたじゃん、僕たち。僕がなぜだか悪い王子役でさ、ひどいよね。実の兄なのに」

「あら、お兄様には適役よ」

 メイヴィシアはつんと澄ました声を出す。


「その中でメイがライル兄さんに『わたくしをお嫁さんにすると誓ってー』って駄々をこねて。事の成り行きと、その場を宥めるためにライル兄さんが一肌脱いでくれたというか、まあそんな話だよ」

「ああ思い出したわ。たしか、メイったら大きくなったらライルお兄様のお嫁さんにしてもらうのーって嬉しそうに飛び跳ねていたことがあったわねえ。ほほえましかったわぁ……」

 エイリッシュが記憶を掘り出すように顔を上げ、頬に手を添える。


「……ああ、あれか」

「そう、あれだよ。あれ」

 一同合点がいったようでそれぞれに納得したようだ。


「ちょっと、みんな。なにそれぞれ生暖かい空気をだしているのよっ! わたくしは真剣なのよっ」

「メイ、あれは幼いきみの夢を壊さない配慮をした結果だ」

 ライルは平静な声を出す。


「お父様もお母様もエイリッシュ叔母さまも賛成してくれたじゃない」

 メイヴィシアの怒りの矛先がこの場の最年長であるエイリッシュに向けられる。


「そりゃあ、小さな子供が嬉しそうに話しているところを、あなたは将来政略結婚で外国に嫁ぐことになるだろうからライルとの結婚は無理よ、諦めなさいなんて言えるわけないじゃない」


 大人の優しさとはときに残酷だ。

 きっとメイヴィシアは小さなころの約束を大切に守ってきたのだろう。周囲の人間は幼い少女の一過性の熱病だと思ってあえて何も言わなかった。けれど、彼女の中ではとっくに本気のことだったのだ。


「わたくしは政略結婚なんてしないわ! ライルお兄様と結婚するもの」

「ライルのお嫁さんはここにいるコーディアで決定なの。もう聖堂の予定も押さえてあるし、花嫁衣装も手配済みだし、新婚用の可愛いドレスの見本だってたくさん届いているのよ」


「叔母さまはずるいのよ。プリッドモア家の娘だったくせに、ちゃっかりデインズデール家に嫁いで!」

「あら、わたくしは好きなように生きてきただけよ」

「それがたち悪いんじゃいっ!」

「あなたも好きに生きたらいいじゃない。あ、でもライルは駄目よ。あげないんだから。ライルのお嫁さんはコーディア以外に考えられません」


 にっこり笑顔でエイリッシュは幼い姪相手に容赦がない。


「嫌よ! だって、わたくしのほうが先に約束をしていたもの! 泥棒猫はそっちの女の方じゃないっ」

 癇癪の一歩手前のような爆発寸前の視線を受けたコーディアはどうしたらいいのかわからなくなる。


「メイ、だから言ったじゃないか。夢見て本気にするとあとで傷つくのは自分だよって。僕何回も言ってきたのに」

 泣きそうなメイヴィシアを宥めるように声出したのはシオリックだ。

「お兄様のそれはただの意地悪なのよ」

「違うよ、親切な忠告だよ」

「お兄様の馬鹿」


「大体さあ、五歳だか六歳だかのごっこ遊びの最中の台詞にどれだけの効力があるのさ。普通はそんなもの成長途中で忘れて行くものだよ。そんな子供の頃の遊びの最中の約束を今更持ち出されてもライル兄さんじゃなくても困るって」


「ごっこ遊びじゃないもの! わたくし、お兄様のお嫁さんになるために一生懸命努力したわ。フランデール語もロルテーム語もたくさん勉強したもの。それだけじゃないわ。毎日、裁縫もダンスも楽器の練習だって頑張ったもの。全部、ライルお兄様のためよ! それに、ライルお兄様はずっと独り身だったじゃない。わたくし、もうあとちょっとで十五になるのよ。婚約だってしたっておかしくない年齢まで来たのに。わたくしのことを待っていてくれているって思っていたのに」


 一気にまくしたてたメイヴィシアは肩を大きく上下させて息を吸ったり吐いたりする。


 頬を赤くして、瞳には涙が浮かんでいる。

 長いまつ毛が濡れた瞳を覆っている。今はまだ子供だが、きっと数年後には美しい女性に成長するに違いない。


「メイ、この年まで結婚をしなかったのはべつにきみを待っていたわけじゃない。単に結婚にまだ興味が湧かなかっただけだ。けれど、私はコーディアに出会った。彼女と結婚すると決めた」


 ライルがゆっくりと話し始める。

 こういうときでも彼の口調は平素と変わりが無い。

 メイヴィシアは黙ったままである。


「きみが小さいころの私の言葉を大切にしてたいのは分かった。しかし、私はきみと結婚することはできない。お互いに立場のある身の上だ。今後は私のためではなく、自分の将来のために勉学に励んでほしい」


「な、なによ……。みんなして、わたくしのことを子ども扱いして! あのときはまだ五歳だったけど、ちゃんとした大人だったわ。お、お兄様の嘘つき!」


 メイヴィシアは立ち上がり、そのまま応接間から走り去った。

 ばたんと扉が閉まる音がやけに大きく聞こえた。


 まるで嵐のようだ。

 残された面々はそれぞれ椅子の背もたれに体を預けたり、カップを持ち上げる。


 コーディアは胸のあたりでぎゅっと手を握りしめる。

 感情がついていかない。


「あー、なんかごめんね」

 口火を切ったのはシオリックだ。


「いつまでも夢見てるから、そろそろ現実を知った方がいいかなって思って僕の一存で連れてきたんだ。父上もこれはまずいぞって思っていたのか、最近メイを極力ライル兄さんに会わせないようにしていたし」


「メイッてば一途だったのねえ」

 ふうっと息を吐いたのはエイリッシュだ。


「ええまあ。一途というか頑固というか。僕も忠告はしていたんですが、ただの意地悪発言ととららえられちゃって」

「それはあなたが何かにつけてメイのことをいじめるからじゃないかしら」

「僕はべつにいじめているつもりはないんだけどなあ」

 シオリックはばつが悪そうに言い訳をする。

「往々にして兄っていう生き物はそう言うのよ」

 エイリッシュの言葉にシオリックは反論せずにただ肩を小さく竦めただけだった。


「これで諦めてくれるといいんですけど」


 それはどうだろう、とコーディアは思う。

 彼女は本気だ。


 ずっと、ライルのお嫁さんになるために頑張ってきたのだ。おけいこも勉強もそのために励んできた。きっと、幼いころの結婚の約束が彼女の拠り所になっていたのだ。大人たちにはほほえましいやりとりにしか映っていなくてもメイヴィシアにとってのそれは紛れもなく本物だったし、きっと宝石のようにきらきらした大切な宝物だったのだ。


「コーディア?」

 黙り込んだままのコーディアの様子が気になったのかライルがこちらを覗き込むように声を掛けてくる。

「……」

 コーディアはライルになんて返事をしていいのか分からなくて黙り込む。


「すまない。メイヴィシアとのことは、私は幼い子供をあやすくらいにか考えていなかった。実際、当時の彼女はほんの年端もいかない子供だった」

「……でも、きっと。メイヴィシア様にとっては本気のことだったんです」

 思いのほか固い声が出た。


「それは……そうね……。わたくしたちの落ち度でもあるわね。ちゃんとあとで諭しておけばよかったわね」

 コーディアの言葉に反応したのはエイリッシュだ。


「だが、私が結婚したいと思うのはコーディアだけだ」

 コーディアの声色に何かを感じ取ったのかライルが続けて言いつのる。

「……でも。メイヴィシア様にも求婚したんですよね……。形式にのっとって」

 こんなことが言いたいわけではないのに、口からこぼれるのはいささかいじわるな言葉ばかり。


「それは……。だから子供相手のごっこ遊びのようなものだ」

「ごめんなさい。わたし、いまライル様とお話していると……もっと可愛くない言葉を言ってしまいそうです」


 それだけ言ってコーディアは立ち上がる。

 この場にこれ以上いるのはよくない。

 だって、とっくにコーディアの容量を超えているのだ。いろいろなことが。

 だから今はライルと話せる状況ではない。


「コーディア?」

「ごめんなさい、ライル様。失礼します」


 それだけ言ってコーディアは逃げるように応接間から立ち去った。

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