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◇◇◇


 翌日早朝、ライルは母を叩き起こした。

 昨日はコーディアの手前冷静さを装っていたが、余裕などあるわけもなかった。

 叩き起こされたエイリッシュは眠そうにぶつくさ文句を垂れていたが昨晩の一件を聞かせると眠気もどこかに飛んでいったようだ。


「あらあ~そんなことが……」

 エイリッシュは額に手を当ててため息をついた。


 ライルは器用に片眉を持ち上げた。

「知っていたんですか?」

「まあ、何度か手紙を寄越してきましたからね。さすがに約束もなく突撃お宅訪問をしてこないだけ体面を気にするお家柄でよかったわ、と思っていたのに」


 なるほど。ローガンがライルたちに声を掛けてきたのは大方の観客が座席についた頃合いだった。

 ついに我慢しきれなくなったのねえ、とエイリッシュは他人事のように言う。


「それで、どういうことなんですか」

 ライルは母に詰め寄った。

「ああもう、追って話すわよ。朝の支度くらいさせなさいな」

「そんな余裕ありますが。ことはコーディアの今後に関わることなんです」


 大体、自分以外の男がコーディアの婚約者だと宣言すること自体が許せない。彼女の婚約者は自分だけのはずである。

 それに、あの女を品物のように見定める視線が癇に障った。彼はコーディアを上から下までねっとりとした獲物を狙う捕食者のような視線で嘗め回し、最後は満足そうに口を弧のように曲げた。


 彼の中でコーディアは満足する水準だったのだろう。男が女を見る目つきをしていた。

 コーディアが愛らしいのは十二分にわかっているが、それはライルだけが知っていればよいことで、あんな男の視線にコーディアが晒されたと考えるだけで今すぐにローガンの首を絞めてやりたい。


 ライルの苛立ちなど意に介さないマイペースなエイリッシュは侍女を呼びつけ息子を追い出した。

 部屋着に着替えてライルを再度招き入れたエイリッシュは二人分の朝食を自身の部屋に運ぶよういいつけた。

 使用人たちがライルとエイリッシュの朝食を準備し終わって部屋から出て行く。

 母と二人きりの食事など、一体いつぶりだろうか。

 エイリッシュは暖かなパンを手に取り、小さくちぎって口の中に放り込む。


「昨日はせっかくコーディアとのお出かけだったのにねえ。聞いているわよ、あなたコーディアのドレス姿に見惚れてぼぉっと立ったままだったそうじゃない」


 ちなみにエイリッシュは演奏会には興味はないため出かけてはいない。昔から楽器の音色を聞くと眠ってしまう体質なのだそうだ。


「母上。今はそのような話をしている時ではありません」

 ライルがしびれを切らした。

「まあ、早い話がローガンがコーディアと婚約をしているって主張するのは、彼と侯爵がヘンリーの財産を喉から手が出るほどほしいからなの」

 エイリッシュの要約は身も蓋もなかった。ライルは眉根を寄せる。


「コーディアはヘンリーのただ一人の財産相続人ですもの。貴族の家の、代々の財産の相続とは違って、彼が一代で築いた財産ですからね。コーディアがそのすべてを相続するのよ。ヘンリーは娘の夫兼後見人として、お金に困っていない身元のしっかりとした男性を探していてね。そのことを耳にしたわたくしはライルを推薦したの」


 ライルはコーディアの家族構成を思い出す。コーディアの母と兄は彼女が幼いころに死別している。ジュナーガルで時折流行する熱病が租界を襲ったのだ。コーディアだけが助かり、たまたま租界を離れていたヘンリーは難を逃れたが最愛の妻と息子の死に目には立ち会えなかった。


「そういうことですか。……それで、ヘンリー氏と侯爵との間で娘と息子を結婚させると約束でもしていたんですか?」

「そんなことはないはずよ。彼は昔から兄である現侯爵と折り合いが悪かったもの。だからコーディアは今うちにいるわけだし」

 そういえばそんなようなことを最初に聞かされた。

「侯爵家は昔ながらの貴族の生活を曲げようとしていないようだし。ローガンは色々と投資に手を出しているみたいだけれど、そっちもうまくいっていないようね」


 マックギニス侯爵は王宮での職には就いておらずライルも直接知っているわけではない。たまに夜会などで顔を会わせて挨拶を交わすだけだ。彼の息子ローガンもしかり、だ。同じ寄宿学校だったわけでもないし年も違う。

 だからどのような人物かと思い出そうとしてもこれといった特徴が浮かんでこない。


「マックギニス侯爵家の長男といえば、婚約したとか、なんとか。……破談になったのかしら。それともそのお相手よりもヘンリーの持つ財産の方が素晴らしかったのかしら。」


 ライルは母の情報網に脱帽した。

 確かにライルと同じ世代であれば結婚話の一つや二つ浮上するだろう。周りが未婚の男女くっつけたがるのだ。


「どうして破談になったんです?」

「さあ。そこまでは知らないわよ。たいして親しくもない間柄だもの。あそこの夫人とは気が合わないのよ」

 エイリッシュは肩をすくめた。

「でしたらヘンリー氏と交えて話し合いの場を設けた方が話が早いのでは?」

「それがねえ、彼ったら本当に忙しいようで、わたくしも連絡がつかないのよ。色々と相談したいこともあったのに。ケイヴォンの事務所の人間も、ヘンリー氏の行方については存じません、の一点張りで。一応連絡は取り合っているみたいなのですけどね。困ったわねえ……」


「それはそうと。コーディアと茶会を開くそうですね」

 これ以上この話題を続けても楽しくなさそうなのでライルは話を変えた。


「そうなの。コーディアからお茶会を開いたら駄目ですか、って聞かれてね。わたくしもそろそろ主催しようかと考えていたから、あの子に任せることにしたのよ」

 エイリッシュは嬉々として語りだす。

「最近のコーディアは明るくなったわよね。前よりも笑顔が多くなったし、空を見上げることも少なくなったわ」

「また、彼女の負担になりませんか?」


 ライルとしては前回同様コーディアの心が疲弊してしまうことの方が心配だ。思い詰めた彼女は突発的に家出をした。

 そこまで思い詰めていたコーディアの心情に寄り添うことができなかったことが悔やまれるし、今後は彼女をそういった状況に置きたくはない。だからライルはコーディアに無理をする必要はないと事あるごとに伝えている。


 そしてあの騒動を思い出すたびにライルの心は揺れる。単身飛び出すくらいに彼女はインデルクでの生活に疲れてしまったのだ。それはライルの心遣いが足りなかったせいもあるが、彼女が貴族の生活になじめなかったことも原因だ。


 コーディアのためを思うならライルはコーディアを自分の妻にしない方がよいのではないかと思うのに、彼女を知るたびに彼女を手放すことに耐えがたくなっていく。

 そのコーディアが茶会を開くなど、一体何を考えての行動だろう。


「大丈夫よ。コーディアの目を見たらわかるわ。あの子、ちゃんと前を向き始めたもの。インデルクのことを好きになってくれればいいわね」


 確かに、このところのコーディアは何かが変わった。ライルの仕事の話や貴族としての義務などを尋ねてくるようになった。

 ライルは彼女の真意を測りかねるままコーディアと話せることが嬉しくて彼女の質問に素直に答えていた。


「それはそうですが……」

 それでも不安はぬぐえない。


 ライルは自分の浅ましい心を自覚している。このまま自分がコーディアの婚約者だと言い続ければそれが既成事実になるのではないか、と。ゆっくりと外堀を埋めるように、昨日も友人らにコーディアを紹介した。彼女は、心の中ではそのことをどう感じていたのだろうか。

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