四章 自称婚約者とコーディアのお茶会
1
ライルと一緒に演奏会へ出かける日は出発する何時間も前から準備のため侍女たちに丹念に体を磨かれた。
コーディアが今身につけているドレスは深青色のベルベッドのドレス。胸元は昼間のドレスに比べると大きく開いているが、肩の露出は無く腕も隠れている。お出かけ用のドレスを何着か仕立てたのでそれが役に立った。
準備の終わったコーディアはライルと対面した。
髪の毛は全部を結うのではなく、半分ほどを頭上でまとめて、下半分の髪の毛はこてで巻いて垂らしている。首と耳には紅玉で作られた飾り物を着けている。どちらもコーディアの父が毎年彼女に贈ってくれた石を使っている。
ライルは着飾ったコーディアを見つめたまま微動だにしなかった。どこか上の空でコーディアを眺めていたので、コーディアは徐々に不安になっていった。
背伸びをした自覚は十分にある。
というかあれよあれよという間にメイヤー達によって飾り立てられたのだ。口を挟む隙間もなかった。
あ、これは本格的にすべったかも、と思いかけたとき背後に控えていたメイヤーが小さく咳払いをした。
部屋の中が静まり返っていたから小さい音だったがよく響いた。
彼女の咳払いに、ライルがはっと顔を気づかせた。
「よく似合っている。……可愛らしいと思う」
ライルの付け加えた最後の一言によって、コーディアは顔が真っ赤になった。
男の人から面と向かって可愛いなんて言われたのは初めてだ。
彼はきっと婚約者のコーディアに気を使ってくれているのだ。そう思うのに胸の奥が先ほどからぱちぱちと火花が弾けように騒がしい。
「あ、ありがとうございます」
お礼を言うと、ライルが少しだけ口の端を持ち上げた。コーディアの胸の中でぱちぱちと火花が弾け続ける。
「……だから、今日は私の側を離れないでほしい」
コーディアは赤い顔のままこくこくと頷いた。とはいえコーディアは顔見知り自体が少ないのでライルの側以外居る場所がないのだが。
黙り込んだ二人を急き立てるようにメイヤーがその後取り仕切り、二人は公爵家の馬車に乗って会場となる劇場へと向かった。
到着した劇場はケイヴォン市内の中心にある建物で、入口の大きな大理石の石柱に彫られている天の遣いの像が有名だと馬車の中でライルが教えてくれた。
演奏を奏でるのは西大陸の真ん中あたりに位置するデイゲルン国の楽団で、今日は隣国フラデニアでも美声と名高い歌姫と共演をするため以前から話題になっていたとのことだった。
「大きな建物ですね」
「私は普段、こういう場にはあまり出ないが、堅苦しい場ではないし、きみもあまり緊張しないかと思ったんだ」
堅苦しくはない、とライルは言ったが劇場前の馬車寄せにはすでに多くの馬車が停留しており、角灯の明かりがまばゆくきらめいている。
コーディアはライルにエスコートをされて劇場内に足を踏み入れた。劇場の入口ホールの天井には大きなシャンデリアが飾られており、壁際の燭台の灯りと共に宝石のようにきらきらと輝いている。
コーディアの耳にもちらほらとうわさ話が届いてくる。
「ほら、みて。ライル・デインズデール様よ」
「本当。隣にいるのが噂の婚約者?」
「婚約したのは本当だったのね。わたくし嘘だと思っていましたのに」
「公の場に二人そろって姿を現すのは初めてではないかしら」
「あの子、なんて名前だったかしら」
海辺の波のようなうわさ話は途切れがちだがコーディアの耳に入り、身を固くする。
今、少なからずこの場の注目を引いているのを自覚する。
コーディアは知らずにライルの腕に添える手に力が入った。
「きみは私の婚約者なんだ。堂々としていればいい。私がついている」
ライルの言葉にコーディアは顔を彼に方に向けた。ライルの灰茶の瞳がコーディアにまっすぐに注がれている。
彼の力強い視線に励まされたコーディアは前を向いた。
誰になんと噂されようともコーディアがライルの婚約者なのだ。彼が認めていてくれているのだから、コーディアも自信を持たないといけない。
うわさ話に花を咲かせる令嬢たちは、しかしコーディアたちに話しかけてはこない。
ライルも特に誰かに話しかけるわけでもなく、二人で立ち止まっていると、青年たちが近寄ってきた。
何事だとコーディアはびっくりしたが、彼らはライルに笑顔を向けて話しかけてきた。
「やあライル」
「今日はきみが婚約者を連れてくるって話を聞いたから、楽しみにしていたんだよ」
親しい口調の青年たちの登場にコーディアは目を白黒させた。
「こんにちは可愛いお嬢さん。僕たちとライルは寄宿学校時代からの友人でね。昔からの悪友なんだ」
金色の髪をした青年がコーディアに話しかけてきた。
「あ、あの。はじめまして。コーディア・マックギニスと申します」
男性にはまだ不慣れなコーディアは突然現れた年上の男性たちにたじろぎながらもライルの恥にならないよう丁寧に挨拶をしたがすでに頭の中はパニック状態だ。
(あれ。婚約者って付け加えた方がよかったのかしら? で、でもなんだか図々しいような……)
先ほどまでの強気な思いはどこへやら。自分からライルの婚約者だなんて名乗ってよいものか。コーディアの脳内は途端に弱気になる。
「よろしく。コーディア嬢。ずっとムナガルにいたって本当?」
「は、はい……」
と、今度は黒髪の青年がたずねてきて、間を置かずにもう一人、薄茶の髪の青年も茶々を入れる。
「ライルは優しくしてくれている? 彼ってちょっと不愛想なところがあるだろう。僕たち心配なんだ」
「おまけに融通の利かない真面目さんだしね」
「女性をそつなくエスコートすることはできてもユーモアのある会話何て期待できそうもないし」
男性ばかり三人に取り囲まれたコーディアはすでに酸欠気味である。ずっと女の子ばかりの環境で育ったコーディアはまだ男性に慣れていない。背の高い男性に次々に話しかけられてコーディアはライルの腕をぎゅっと握った。
「おまえたち、コーディアは男性に慣れていなんだ。よってたかって話しかけると彼女が怖がるだろう」
「僕は女性には好かれる顔立ちだってよく言われるんだけどなあ。ねえ、お嬢さん」
「へっ……」
ずいっと顔を寄せられてコーディアは涙目になる。
「俺の婚約者に軽々しく近寄るな」
ライルがコーディアのことを引き寄せる。ライルの胸にコーディアの顔が近づいて、心臓が騒ぎ出す。
「ほんの冗談だよ、ライル。僕たちも今日は一応パートナー連れだよ」
金髪の青年があっさりと降参する。
「おまえたちの冗談は質が悪すぎるんだ」
ライルは間髪を入れずに突っ込んだ。それに対して彼は「そこまで言い寄ってもいないけど」と苦笑いだ。
「まあ、おまえがコーディア嬢と仲良くやっているのは分かったよ。結婚式楽しみにしているよ。またクラブでじっくり話でも聞かせろよ」
「ああ、イーディス」
黒髪の青年の言葉が合図になったのかライルの友人たちはそれぞれのパートナーの元へ戻っていった。
「すまなかった。彼らは古くからの友人で、それだけに俺の前だと態度が悪くなる」
コーディアはライルを見上げた。
学生時代の友人とはよい付き合いを続けているのだろう。ライル自身も砕けた言葉になっているのに、彼は気付いていない様子だ。
「いえ。仲がよろしいんですね」
「ただの腐れ縁だ。これまでも俺の婚約者を紹介しろとうるさかったんだ。……その、大丈夫だったか?」
ライルの指先がコーディアの頬をかすめる。触れるかどうかの距離にコーディアの胸が締め付けられる。このまま彼が触れてくれればいいのに、と胸の奥底で渇望にも似た思いが淡く生まれる。
「わたしは大丈夫です」
彼はコーディアが婚約者で物足りなくは無いだろうか。もっと気の利いた返しができたらよかったのに。
コーディアはじっとライルを見つめた。ライルも同じようにコーディアだけを瞳に映していた。
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