6

「どうかなさいまして?」

「い、いいえ」

「それで、どうして最近いろいろな場に姿を見せなくなったのです?」

 アメリカはそれが気になるらしい。


「確かにアメリカさまが推測された通りです。嫌なことだらけでした。租界育ちだということが皆さんの気に障ったのでしょう。わたしだけならともかく、よく知りもしないのに……友人のことを悪く言われるのは。……嫌なことでした」

 ほかにもたくさんあったが一番堪えたのはこのことだった。

「コーディアは優しいのね」

「えっと……」

 コーディアは曖昧に頷いた。


「コーディアはエイリッシュ様から正式にライル様のお相手にと認められたのです。周囲が何と言おうとも関係ないのではなくて?」


 アメリカはコーディアが周囲からどんなことを言われているか、耳に入っているのだろう。

 彼女の声には迷いがなかった。


「そうでしょうか……。わたしはたしかに貴族の血を引いているから、資格があるのかもしれませんが……生まれ育ったのは遠い南国で、アメリカさまのように貴族の家に嫁ぐようしつけられてきたわけでもないんです」


 そういう娘が運よく侯爵夫人の座に収まるなんて、面白くないでしょう、とコーディアは続けた。


「でしたら、あなたは努力をしたの?」

「努力?」

「ええそうです。わたくしたちのことを、貴族のしきたりを、わたくしたちの立場を、ライル様から請うことはしなかったのですか?」


「……」


 コーディアは黙り込んだ。

 エイリッシュはインデルク語やマナーの教師などは手配してくれたが、確かに貴族の矜持というか心得のようなものは教えてくれていないしコーディアから聞こうとはしなかった。


「あなたにもわたくしと同じ貴族の血が流れています。たとえ租界で育ってもそのことに変わりはありません。あなたの御父上、ヘンリー・マックギニス卿はムナガルの租界で未亡人となった女性が祖国へ帰還できるよう活動をなさっています。インデルク人にも彼の世話になった方もいますわ」


 初耳だった。

 父がそんなことをしていたなんて。

 アメリカはほかにもヘンリーがインデルクの修道院などに寄付をしていること、未亡人の自立のための活動を支援していることを教えてくれた。


 後で知った話だが、ヘンリーは自身の妻を流行り病で亡くした後、同じく流行り病で夫を亡くし遠い異国で身の振り方に窮している女性との再婚話が持ち上がった。しかし、妻以外の女性と結婚する気はないとそれを断り、代わりに寡婦となった女性の自立や帰国を支援するようになったのだという。


「あなたの御父上はまさしく貴族家の一員ですわ。たとえ爵位を継ぐ立場ではなくても、彼はきちんと自分のするべきことをわかっておいでです。あなたは、どうなのです?」

「わたしは……」

 今すぐに言われても分からない。

「外国育ちだからと逃げていても、皆様から認められるわけがありませんわ」


 痛いところを突かれた。

 アメリカは厳しかった。


「べ、べつに……わたしは戦いたいわけではないです。ライル様と……どうしても結婚したい、というわけでもないですし。親が決めた縁談ですもの」

「それがあなたの逃げるための言葉なのですね」

「なっ……」

 アメリカの舌鋒はやまない。それも顔を変えることもなく淡々とした口調で言うものだから迫力も増すというものだ。

「あ、あなたには……関係ないと思います……」

「そう?」


 アメリカはここで嫣然と微笑んだ。

 ふわりと口元を緩めただけなのに、人を引き付ける魅力がある。コーディアも見とれてしまった。


「わたくし、これでも暇ではないんですのよ。わたくしの夫はメルボルン侯爵を継ぐ立場ですし国政にかかわっていらっしゃるもの。わたくしにも社交というものがありますわ」


 アメリカはふわりと微笑みを浮かべたままだ。

 コーディアは訝しんだ。

 彼女は一体何が言いたのだろう。


「わたくしの見込み違いでしたわね。ライル様もお可哀そうに」


 彼女はそれだけ言ってから立ち上がった。

 コーディアが呆然としている最中、彼女は優雅にドレスの裾をさばいて「ごきげんよう」と言い残し、応接間から出て行ってしまった。


 残されたコーディアはしばらく椅子の上で固まったままだった。

 嵐のような訪問だった。


 アメリカは一方的に言いたいことだけ言って帰ってしまった。コーディアの反論なんて気に求めずに。当たり前だ。コーディアは逃げているから。自分を守るための言葉しか吐かなかった。

 父からある日告げられた結婚相手だから、仕方ないと、わたしが進んで入った世界ではないから、と。

 コーディアは言い訳ばかりしていた。アメリカはそんなコーディアに苛立ったのだろう。

 どうして彼女はそんな風に感情をあらわにしたのか。


(わたしのこと……見込み違いだって言っていた……。少しは、期待してくれていたってこと?)


 あれだけ好き放題言われたのに、コーディアはアメリカに失望されて悔しいと感じている。ここまで一方的に言われっぱなしで、彼女はさっさと帰ってしまって。

 コーディアはライルのことを思い浮かべた。

 二度目のケイヴォン散策でだいぶ印象の変わった婚約者。彼のこと、まだ怖いと思っている? ううん。そんなことない。話せば普通の人だと思った。彼もきっとコーディアをわかろうと努力をしてくれている。お互いにまったく違う人生を歩んできた。インデルクはコーディアにとって未知の世界だ。


 ふと頭の中にライルの声がよみがえる。意識して柔らかな声を出そうとしてくれているコーディアの婚約者。あてがわれただけの婚約者だなんて、そんなことを言ってしまった。


(わたし……)


 コーディアは胸の前でぎゅっと手を握りしめた。


◇◇◇


 アメリカが屋敷から辞してほどなくしてエイリッシュが応接間に顔をのぞかせた。

「あら、アメリカったらもう帰ってしまったの?」

「え、はい。なんでもお忙しいとかで」


 コーディアは言葉を濁した。

 邪気のないエイリッシュに本当のことなんて言えない。というか、アメリカに失望されました、なんて恥ずかしくてエイリッシュには知られたくなかった。


「あらそうなの。アメリカはわたくしとは違って積極的に社交に勤しんでいるものね」

 エイリッシュは納得顔で頷いた。

「そ、そんなことないです。エリーおばさまだってたくさん交友関係を持たれていて、すごいです」


「あら、ありがとう。でもわたくしは割と好き勝手やっているから、あまり参考にはならないわよ」

 エイリッシュは開き直りともとれる発言をする。

「きっと忙しい中あなたの様子を見に来てくれたのね。あとでお礼のお手紙を書いてみてはいかが?」


 エイリッシュの言葉にコーディアは内心複雑になる。アメリカはもうコーディアのことを見限ったかもしれないから。

 あれだけ彼女の前で弱音を吐いた。

 逃げてばかりのコーディアの言葉に彼女は呆れの色を隠さなかった。


「……はい」


 それでもエイリッシュを失望させたくなくてコーディアは頷いた。


 ライルとアメリカならさぞお似合いの夫婦になるだろう。完璧な淑女と未来の侯爵たるライル。彼の隣で微笑むアメリカを思い浮かべたコーディアは自分の胸が少しだけ痛むのを自覚した。

 さっきは突き放した言い方になったのに、ライルの隣に自分がいないことに寂しさを感じている。


 彼とは普通に話ができるようになった。

 一緒にアイスクリームを食べて、その次の日も一緒に会話をして、次の日もおかえりなさいと挨拶をしたら目を細めてくれた。昔の写真をお互いに見せ合って、彼を身近に感じることができた。もうライルのことは怖いと思うことはない。

 それどころかライルと話をすることが楽しくなってきていることをコーディアは自覚している。


「あ、あの。アメリカさまは一時、ライル様の婚約者候補だったんですよね」

 気が付くとエイリッシュにそんなことを尋ねていた。

 エイリッシュは思わぬことを聞いたみたいに目を大きく見開いた。


「あら、あら……。そんなこともあったかしら。古い話よ」

 エイリッシュにしては少し狼狽した声だ。

「えっと、噂を耳にしまして」

「そう。そうね、女性ばかりの場にいるといろいろな話が飛び交うものね。でも、なんていうか、結局アメリカもライルもお互いに選ばなかったわけだし……。気にすることもないのよ」

 エイリッシュはコーディアに向かって一生懸命話した。


「や、その。べつにそこまで気にしているわけではないんです。というか、アメリカさまのような完璧な人が候補に挙がって、それで……わたしみたいな子がライル様の婚約者になって……なんていうか……ごめんなさいというか……」


 言っていてだんだんと惨めになってきた。

 アメリカに叱られた後だから尚更だ。彼女の端的な指摘はコーディアの頭の中をぐるぐると回っていた。


「コーディア」


 エイリッシュはコーディアの頬を両手で挟んだ。

 間近に迫ったエイリッシュの迫力の笑顔にコーディアはたじろいだ。


「だめよ、自分なんかなんて言っては。それってわたくしにも失礼よ。わたくしは、あなたのことが大好きだし、あなたとライルはお似合いだと思うわ。本当よ、嘘なんてつかないもの、わたくし」

「でも……わたし……」


(ライル様の婚約者からだって逃げようとしていた)


 後に続く言葉は口に出せなかった。

 言ったらきっとエイリッシュは失望してしまう。消極的すぎるコーディアの心の内を聞いたら、今度こそエイリッシュも呆れてしまうだろう。


「あなたは、まだいろいろなことに慣れていなんですもの。だって、あなたを取り巻く世界がまるっと変わったんだもの。わたくしも急がせすぎたし、ライルも同じ。だからね、あんまり思い詰めないでちょうだい」


 エイリッシュはどこまでも優しかった。

 彼女の優しさがコーディアの胸の奥にじんわりと染み込んでいく。


「わたし……」

「大丈夫。何かを考えたいのなら、ゆっくり考えなさいな。わたくしはそういうときはすぐに突撃するタイプだったからよく家族をやきもきさせたわね」


 エイリッシュはぽんぽんとコーディアの頭を優しく撫でた。

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