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 居間に移動した二人は向かい合わせに座り、侍女がお茶を入れるのを見守った。

 話さないか、といったわりにライルは沈黙を貫いている。

 コーディアも、改めて何を話していいのか分からなくて口を開けない。

 そもそも男性との会話自体に慣れていない。婚約者といえどもそれは同じで、最初の印象が怖かった分、今も緊張の方が勝っている。


「昨日は楽しかった」

「は、はい」


 ライルが唐突に話すからコーディアはぴしっと背筋を伸ばして、彼女にしては大きな声で返事をした。


「そんなに、かしこまらないでくれ。もう少しお互いのことを知れればいいと思ったんだ」

「あ、すみません」

「謝らなくていい……いや、謝らないでほしい……、すまない。教師のような口調になってしまう」

 ライルは二度ほど言い直して、それから落胆したように肩を下げた。


「えっと、わたしも昨日は楽しかったです。本当です。ライル様と、その……たくさんお話しできて、よかったです」

「ありがとう」


 ライルが予告なしに笑ったのでコーディアの目がライルに釘付けになった。

 この人は、こういう風に笑うんだ。

 昨日もそんなことを思った。

 ぽおっと見つめてしまい恥ずかしくなったコーディアは急いでお茶に口をつけた。何かしないと間が持たない。


「普段自分の足でケイヴォンを歩くこともあまりなかったから新鮮だった」

「わたしも、ムナガルでは寄宿学校からあまり出歩くこともなかったので面白かったです。ケイヴォンの街はにぎやかなんですね」

「ムナガルの租界は広いのか?」

「いえ。ケイヴォン市内よりも狭いと思います。それに昼間は蒸し暑いので人々は休憩をしているんです」

こっち西大陸とはは違うんだな」

「昼間から皆さん活発でびっくりしました」


 コーディアはライルにムナガルでは熱い昼間は人々は屋根の下で休憩をし、日差しの和らぐ夕暮れ時になると活発に動き出すことを話した。学校でも一番暑い昼間の時間は休憩に充てられている。


「気候が違えは風習も違うのか」

「ライル様は遠くまで旅行されたことはないのですか?」

「ああ。私は大学の卒業旅行も西大陸から出たことが無いから、ジュナーガル帝国は未知の世界だ。ヘンリー氏から聞いた話も興味深かった」

 そういえばライルは父ヘンリーとも親し気に話していた。


「父とは、どれくらい前に知り合ったのですか?」

「彼とは、大学を卒業してから知り合った。何かの会合で共通の知人を介して知り合い、それから両親の旧知の仲だと知った」

「そうだったんですね」


 それから二人はお互いにぽつぽつと互いのこれまでの生活などを話していった。

 コーディアの寄宿学校での生活や友達のこと、ライルの領地での生活のことなど。

 最初はお互いどこか会話の調子を探るようなところあったのに、話が進むにつれて笑い声も混じるようになった。


「同室のシャーナは活発で、明るくてそれで語学も堪能なんです。あと、写真が趣味でよくわたしたちのことも被写体にしていました」

「写真が趣味とは変わっているな」


 二十数年前に生まれた新しい技術である写真は機材本体の値段が高いこともあり、主に男性の高尚な趣味とされている。写真館も増えつつあるが、利用するのはもっぱら生活に余裕のある層だ。


「新しい物好きなんです。父もシャーナに次々に新しい物を持ってきていたので」


 コーディアは苦笑する。

 藩王国の王女であり、父から溺愛されていたディークシャーナは基本欲しい物があれば金に糸目はつけなかった。

 写真に関していえばわざわざ写真館に足を運ばなくても彼女の写真機で写真を撮ることができ、寄宿学校の生徒たちは己の映った写真を何枚も持っている。(ただしメンデス学長は良い顔をしなかったが)


「その写真は……持っているのか?」

「ええと……」

 嫌な予感がしてコーディアは言葉を濁した。

「きみが嫌だというなら無理にとは言わないが。その……どんな学校時代だったのか興味が湧いて」


「ライル様のお写真も見せていただけるなら……」

「……」


 コーディアが交換条件を申し出るとライルは黙り込んだ。

 どうやら写真にはよい思い出がないらしい。

 写真を撮るには写真機の前で十数秒同じ姿勢でいなければならないので撮られる方も大変だったりする。表情もいつも似たようなものになってしまうし、あとから見返すと恥ずかしかったりする。


「……わかった」


 ライルが了承するからコーディアは内心慌てた。

 最後に撮った集合写真ならまだましだけれど、一人で映った写真はディークシャーナがあれこれポーズの要求をしてくるからなかなかに自己愛溢れた構図のものも多い。


「え、あ……。本当に?」

「お互いのことを知れるいい機会だろう」

「うう……そうですけど」


 なんだかライルが少し楽しそうでコーディアは、どうしてこんな会話になったんだっけ? と心の中で突っ込んだ。

 それに普通に会話が続いている。コーディアは不思議に思ったが、まあいいかと思った。だって今コーディアも楽しく思っているから。


 カップのお茶が空になっても二人は色々とおしゃべりをして、それは夕食の支度ができたと従僕が告げに来るまで続いた。


◇◇◇


 それから数日後。

 午後の来客としてデインズデール侯爵家を訪れたのはアメルカ・リデル侯爵夫人だった。


 現在コーディアはマナーやインデルク語の教師から授業を受け、エイリッシュの友人らが訪れているときにほんの少しだけ顔を出す以外は自由にさせてもらっている。

 公園に行ったり、買い物に行ったりのんびりとした日々だ。


 だからエイリッシュからアメリカの訪問を告げられた時は驚いた。

 きっとエイリッシュの元には手紙が届いていたのだろう。今日は午後も早い時間からきちんとした室内着に着替えるようメイヤーに促されていた。


「ごきげんいかが、コーディア」

「ごきげんよう、アメリカさま」


 応接間ではアメリカが姿勢よく着席していた。今日もそつのないいでたちである。

 美しい金髪は頭の後ろできっちりとまとめられており、派手にならないようレエスの留め具が使われている。ドレスも深みのある緑色。

 二人は向かい合って座り、使用人がすぐに茶の用意を持ってきた。


「最近お茶会の席でお見掛けしないので気になったのです。何か、嫌なことでありまして?」


 ずいぶんと率直な物言いだ。


「ええと……」

 嫌なことなら十分にあった。

 上流階級の、貴族の娘たちは外国育ちのコーディアが次期侯爵の婚約者にちゃっかり収まったことを許していない。


「ご自分の意見はきちんと口にしませんと伝わりません」

「……」


 まるでライルのような発言である。

 そういえば一時期ライルの婚約者候補に名が挙がっていたことを思い出した。

 彼女は女版ライルというところか。とはいっても現在のライルはだいぶ違っているけれど。


(完璧な貴族の令嬢が結婚すると、完璧な貴族の夫人になるのよね……)


 コーディアは目の前のアメリカをさりげなく観察する。

 背筋をぴんとのばして姿勢よく着席した姿は品がある。堂々とした物言いに、完璧な所作。お茶の飲み方一つでさえ、気品にあふれている。

 ライルだって本当はこういう子がよかったのではないだろうか。


 頭にふと浮かんだ考えにコーディアの心は少しだけ沈んで、それから疑問に思う。どうして、いまそんなことを考えたのだろう。

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