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◇◇◇
ケイヴォン散策の最後にやってきたのはアイヴォリー百貨店だった。
ケイヴォン市内で最初に開店した百貨店で、インデルク一番の品ぞろえを謳っていると馬車の中でライルから聞かされた。
不思議な一日だとコーディアは目の前のライルを眺めて改めて思う。
自分でも驚いているのはコーディアがライルと二人きりでいることに慣れつつあるということだ。
馬車は百貨店の目の前で停まり、ライルの差し出した手の上に自分のそれを重ねて馬車から降りる。そのまま手を繋いでコーディアはライルと共に入口へと向かった。
キュッとつないだ手から彼の暖かさが伝わってきてこそばゆい。
百貨店の内部は一階から五階まで吹き抜けになっている。ぴかぴかに磨かれた大理石の柱に敷き詰められている赤いじゅうたん。着飾った親子らしい女性二人がゆったりとコーディアの隣を通り過ぎる。
照明をふんだんに使った店内は明るく、コーディアは生れてはじめて訪れた百貨店のきらびやかに目を瞬かせた。
(これはたしかに、ドロシーが自慢するはずね)
寄宿仲間の間で一番のディルディーア大陸通だったドロシーが何かにつけて自慢をしていた百貨店。年頃の女の子らしく、コーディアもいつか行ってみたいと思っていたし、読んだ新聞にも写真入りで何度も登場していた。
「ここのパーラーのアイスクリームが有名とのことだ」
そろそろお茶をするにはよい頃合いだ。
「はい」
ライル提案の元二人は上階へ向かった。
実はアイスクリームもずっと食べていたいと思っていた。
何しろ暑すぎる南国では絶対に食べられないお菓子がアイスクリームなのだから。
幸いにパーラーの座席は空いていた。
二人は給仕に案内された二人掛けのテーブルについた。コーディアはメニューを前に悩んだ。
(ど……どうしよう……迷う……)
種類が多くて一つに決められない。
ライルがいることも忘れて夢中になって品書きとにらめっこをしていると「ゆっくりでいいから」とライルが声を掛けてきた。
「ありがとうございます」
それからコーディアは再度品書きを凝視する。
可愛らしく眉根を寄せて悩むコーディアをほほえましそうに眺めるライルの視線にコーディアは気づかない。
たっぷり時間をかけて迷ったコーディアは、バニラとキャラメル味のアイスクリームにチョコレートソースをかけたものを選んだ。
どちらも溶けてしまうという理由でムナガルではまず食べることはできなかったものだ。
やがて運ばれてきた皿にコーディアは目を輝かせた。
甘いものは大好き。
銀製の容器の中にこんもりと丸い形のアイスクリームが二つ。上にはつやつやのチョコレートソースと、横にはクリームが添えられている。
ライルの前にはコーディアの皿よりもずっと質素な、アイスクリームだけが乗った皿が置かれている。
「い、いただきます」
コーディアはそっとアイスクリームにスプーンを入れた。
ひと掬いすくって口の中に入れる。
ひんやりとした甘い塊が口の中で解けていった。
「おいしい」
今まで食べたことのない感触コーディアは頬を緩めた。口の中に入れるとすぅっと解けていくのだ。甘くて冷たくて不思議な食べ物。チョコレートはほんの少し苦くて、アイスクリームと一緒に食べると味に深みが加わる。
コーディアは笑顔でもう一口スプーンを口に運んだ。
「不思議。溶けて無くなっちゃうなんて。わたし、アイスクリームもチョコレートも初めて食べました。甘くて口の中ですっと溶けて、不思議。おいしい」
こんなにも不思議な食べ物生まれて初めて。コーディアは目の前にいるのがライルであることも忘れて、まるで寄宿学校の仲間に話すように興奮気味に感想を言った。
「そうか。気に入ったようで安心した」
「あ……はしたなくてすみません」
我に返ったコーディアは恐縮した。
「いや。楽しそうで……私も嬉しい。私はずっと、きみの笑顔が見たいと思っていたんだ」
思わぬライルの告白にコーディアは目を瞬いた。
「今日のきみはとても、楽しそうだ。最初から、こうしていればよかったんだな」
ライルは自分に言い聞かせているみたいだった。
そういうライルだって今日はどこかいつもと違う。コーディアを見つめる瞳は穏やかだし、話し方も丁寧だと思う。
あれは駄目とか、こうするべきだとかそういう口調ではなかった。
「どうして、今日はわたしのしたいことをさせてくれたのですか? もしかして、エリーおばさまに何か言われたのですか?」
大道芸を見た後、コーディアは小説の舞台となった街中を歩いた。角にあるコーヒースタンドは名前こそ違ったが小説に出てくる雰囲気そのままだったし、事件のヒントになる通りの名前は、実際にある通りの名前を少しもじってあって、頭の中で違いを探すのが面白かった。
一人で感心するコーディアに嫌な顔しないで彼は付き合ってくれた。
「きみの家出の原因は私と母上に原因があるということは話し合ったが、私が今日きみを百貨店に連れてきたのは……自分が貴族という枠にとらわれすぎていると反省したからだ。友人に指摘をされたわけだが……私自身が考えたからだ。本当は、きみとちゃんと話をしたいと思っていた。けれど、やり方が分からなかった」
彼の本心なのだろう、少し切れ切れに話す姿は平素のそつのない貴公子というよりは人間味にあふれていた。
コーディアの心がちくりと痛んだ。
たぶんコーディアは逃げていた。
怖い人だと思い込んでいたから。彼はコーディアに対して呆れているんじゃないかと勝手に決めつけていた。
「わたし……は……」
なんて言ったらいいのだろう。
「別にきみを困らせるつもりはなかった。アイスクリームがとけてしまう。先に食べてしまおう」
一度話が中断して二人は目の前の皿に集中した。
男性と二人きりでお店に入って、アイスクリームを食べる日がくるなんて。一年前には考えてもみなかった。
「おいしいな」
彼が他意なく言うものだからコーディアも「はい」と頷いてしまった。
「ほかに好きな菓子はあるのか?」
「ええと。ムナガルでは保存のきく焼き菓子が多かったんですけど、寄宿舎の食事ではデザートは出ないので差し入れで届けられたときだけ食べていました」
「そういうところは私の寄宿学校時代と変わらないな」
ライルが微笑んだ。
普通に会話が進んでいるのが不思議だった。彼はこんな風に笑うんだ。
口の端を少しだけ持ち上げて微笑する。けれど、ちゃんと瞳も笑っているから本心からだということが分かる笑みだ。
二人が皿の中身を空にした頃、ライルがもう一度口を開いた。
「これからも、こうして時々一緒に出掛けないか? 動物が好きなら動物園に行くのもいいし、夕食前に少し話をするのでもいい。お互いに、自分のことを話さないか?」
ライルの提案にコーディアはつい頷いてしまった。
◇◇◇
翌日の午後、コーディアは屋敷の図書室で本を選んでいた。壁沿いに並んだ本棚には分厚く重厚な装丁の本がぎっしりと並んでいる。デインズデール家全員の本が置いてあり、背表紙を確認するだけでもなかなかにバラエティに富んでいる。
コーディアはエイリッシュが収集したという小説を手に取ってみた。
インデルクの小説は今まで読んだことがないのでどれも新鮮でいくつか手にとってはぱらぱらと項をめくり中を確認する。
面白そうなものがあればシリーズを読み進めるつもりだ。
何冊目かを手に取ったところで、「コーディア?」と声を掛けられた。
「ライル様」
いつの間にかライルが帰宅をしていた。
「今日の予定は全て終わられたのですか?」
昨日は一日コーディアに付き合ってくれたから、今日は忙しい物だと思っていた。
ライルはコーディアの言葉に頷いた。
彼はコーディアが手に持っていた本に視線を向ける。コーディアは慌てて本を背中に隠した。
悪いことをしているわけではないけれど、あまり知らない人に自分の読んでいる本を知られるのは好きではない。というか、まだライルに対しては警戒感がある。
「……別に隠さなくても……」
「……」
ライルの小さな声は、少し落胆しているようでコーディアは罪悪感を覚えた。
あまり知らない人、とか考えてごめんなさいと心の中で謝ることにした。
「せっかくだから、少し話さないか?」
ライルは昨日コーディアに申し出たことをさっそく実行に移す気のようだ。
「はい」
コーディアは素直に頷いた。
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