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 その後ライルとコーディアは市場を冷やかしながら歩いた。コーディアは途中いくつかの店で立ち止まり興味深そうに並べられている品々をじっと眺めていった。

 彼女はどうやら小さな雑貨類に興味を引かれるようだ。特にガラス雑貨がお気に入りらしい。


「何かほしいものはないか?」

「え……?」

 ライルの言葉にコーディアが意表を突かれたような顔をする。

「せっかく訪れたんだ。記念に何か贈る」

 どうせなら彼女の気に入るものを。

「で、でも……お屋敷の雰囲気には合わないような……」

 明らかにこちらに遠慮した返答が返ってきた。


「遠慮しなくてもいい。きみの私室に飾る分には、構わない」

 確かに応接間や玄関広間に置きたいと言われたらライルも注意するところだが、寝室など個人の私的空間なら別に構わない。

「……では、先ほどの香水瓶が、その……ほしいです」


 遠慮がちに答えたコーディアの言葉にライルは嬉しくなった。

 それが顔に出たのか、ライルを見上げたコーディアがほんの少し戸惑ったように視線をせわしなく動かした。


◇◇◇


 ステイル市場で散々悩んで手のひらに収まる香水瓶を買ってもらった。

 赤い色と金色の模様がとても美しいそれは砂漠の国リズデア由来の品だという。

 今日のケイヴォン散策でライルからステイル市場に行こうと言われたときコーディアは自身の耳を疑った。てっきり百貨店だけだと思っていたのに、それはこの後に行くという。


 まさか、と思っていたのに本当に連れてこられて尚更びっくりした。


 だって、この間コーディアが興味を示したときは叱りつけたというのにどういう風の吹き回しだろう。

 市場を一通り見学したコーディアとライルはすぐ近くにある広場へと戻ってきた。


 人ごみで溢れた広場には大道芸人が何人か芸を競っている。

 これも小説で読んだ通り。

 コーディアは目を輝かせた。


「そういえば、きみはどうしてステイル市場に興味を持ったんだ? これも最近の若い女性の間で流行っているのか?」


 ライルがもっともらしい疑問を投げかけてきた。しかし、先ほどまで一緒に回った市場の中にコーディアのような若い女性は少なかった。雑多なものを売っているので確かに女性もいるが、コーディアのような有閑階級の女性は見なかった。


「いえ、その……若い女性の間では、どちらかというと……流行っていないと思います」


 コーディアはしどろもどろになる。

 ライルにすべてを話してよいものか。

 コーディアとライルは根本的に合わない気がする。だって、育ってきた環境が違うから。


「わかった。言いたくないなら追及はしない」


 コーディアの口調から何かを察したライルは先回りをした。

 自分からは心を開くことをためらうくせに、彼からそう言われるとコーディアはなぜだか悲しくなった。

 急に優しくなって戸惑っているのに、結局彼は彼なりの義務感でコーディアを連れ出したということなのだろう。


「……小説」

「え……?」

「好きな小説の舞台なんです。第四巻の舞台がインデルクの、ケイヴォンで。それで、せっかくケイヴォンに来たなら舞台になった場所を実際に歩いてみたいなって」


 コーディアはやけくそ気味に答えた。

 どうせ呆れられるなら全部答えてしまえと思ったのだ。

 どのみち一か月後には婚約を解消するかもしれない相手なのだ。どうにでもなれと思った。


「小説?」

「ロルテームで出版されている……探偵小説です」

「探偵……小説」


 ほら。呆れたでしょう。あなたはきっと貴族の令嬢ならそんなものは読まないで詩集を読むべきだって言うに決まっているでしょう。コーディアは心の中で彼の答えを先回りした。


 ライルはこの前エイリッシュの本の趣味について非難めいたことを言っていた。

 コーディアだって女の子の読む本ではないことくらいわかっている。けれど、面白い物は面白いのだ。(紹介してくれたのは親友のディークシャーナだった)


「そうか。きみは確かに母上と気が合いそうだ。……この間私が言ったことを気にしたのか」


 ライルの言葉が沈んだように聞こえた。

 コーディアはびっくりした。

 まさか覚えていたとは。


「……寄宿舎の先生からはあまり良い顔をされなかったので……自分でもわかっているんです。淑女らしくないってことは」

 コーディアは付け加えた。

「……べつに……そこまであからさまに非難するつもりは……」


 お互いに気まずい沈黙が流れた。

 両方の間でどう折り合いをつけようか、と出方を探っている様子が見てとれるような間だった。


 二人の間にただよう空気などお構いなしに広間では歓声が上がった。

 大道芸人が大技を披露し、成功させたのだ。


 コーディアはそちらに顔を向けた。

 そういえば、小説の中でも同じ場面があった。その時は、大道芸人の証言がのちに犯人を追い詰める重要なものになったのだ。


「見ていくか?」

「え、ええ。はい」


 まあ、いいか。

 たぶん二人とも同じような気持ちだったと思う。


 コーディアとライルは二人で観衆の輪に加わった。派手な化粧と衣裳をまとった大道芸人はそのあとも大技をいくつか披露した。

 旅行者も多いのかもしれない。

 あたりから肉を焼く香ばしい香りがただよってくる。新聞売りや花売りの声、それから大道芸人を冷やかす人の声。

 コーディアはライルとの確執も忘れて大道芸人の披露する技に見入った。

 こんなの初めての経験で、多くの人に混じって拍手をしていることが楽しかった。


 芸が終わると、人々は見学の対価として硬貨を芸人の帽子に入れていく。

 コーディアの元にも彼は回ってきて、隣のライルは胸ポケットから財布を取り出し(彼は今日自分で財布を持ち歩いているのだ。驚いたことに)硬貨を入れた。


 コーディアは慌てた。

 自分はお財布など持っていない。どうしよう、外套の上につけているブローチなら価値はあるかしら、とあたふたと外そうとすると彼がそれを制してコーディアに銀貨を渡してくれた。

 彼が頷いたのでコーディアはそれを大道芸人の差し出す帽子にえいっと入れた。


 人もまばらになり、二人で再び歩き出したときにライルが口を開いた。


「すまなかった。私がきみの分も入れたのだが、ちゃんと言わなかった」

「い、いえ……」

 むしろ余計な金を使わせてしまってコーディアは恐縮した。

「それで、ほかに小説の舞台になっている場所はあるのか?」

「え……」

「好きな小説の舞台なんだろう? 今日のきみは楽しそうだ」


 どうやら観察されていたらしい。

 それはそれで恥ずかしい。

 コーディアは戸惑った。ここまで彼が受け入れてくれるとは思わなかった。

 もしかしたら胸の中では呆れているのかもしれない。家出騒ぎまで起こしたコーディアに対して、とりあえず優しくしておこうと思っているだけかもしれない。


「まずはきみがケイヴォンを好きになってもらうことが大切だと考えたんだ。だから、遠慮しないで言ってほしい」

「少し、このあたりを歩きたいのですが……よろしいでしょうか?」

「もちろん」


 コーディアの申し出にライルは頬を緩めた。

彼の笑った顔をまじまじと見てしまいコーディアは自分の頬に熱が溜まっていくのを感じた。

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