2

 二人は一緒に歩き出した。

 コーディアがライルのことをどう思っているのか分からなくてライルはつい消極的なことを言った。こんなこと、初めてだった。

 道中沈黙が続いたが、コーディアはちゃんとライルと一緒に歩いてくれた。


 ライルは慣れた道のりを歩き、住宅街の中にある緑で覆われた公園にたどり着いた。

 公園といっても公共の施設ではない。広くない公園は黒く高い柵でぐるりと覆われており、門番によって出入り口を管理されている。


 ライルは門番小屋へ近づいた。出入り口は小屋のすぐ隣にあるからだ。

 小屋から初老の男が出てきた。


「我が家で預かっているコーディア・マックギニス嬢だ。これからは彼女が一人で来ても開けてやってくれ」


 ライルは門番に声をかけると男は恭しく首を垂れた。

 ライルはコーディアを促した。二人は公園へと足を踏み入れる。


「ここはこのあたりの住民専用の公園みたいなものだ。この時期は十時から十六時まで開いている」


 ライルの説明にコーディアは頷いた。

 コーディアは物珍しそうに公園内を見渡す。


「好きに散策するといい」


 ゆっくり話すとコーディアがもう一度ライルの顔を見た。ライルが頷くとほんの少し彼女が驚いた顔をした。

 公園内には中央に噴水もあり、それを囲む様にベンチも置かれている。乳母車を引いた女性や老人がのんびりと散策をしている。

 ライルに気が付くと人々は軽く会釈をしたが話しかけてくることはなかった。


「ここでは挨拶くらいはするが互いに余計な詮索はしない。自宅の周辺くらいみんなのんびりしたいから」

「そうなのですね。お屋敷の近くにこのような場所があったなんて知りませんでした」

「近すぎて母も忘れていたんだろう」


 社交といえば貴族用の大きな公園がケイヴォン市内にある。

 コーディアは足の赴くままに公園内を歩いていく。ライルは彼女の半歩後ろをついていく。

 どうにかして彼女と会話の糸口を見つけたかった。会話、というかもう一度一緒に出掛けたいと誘う口実だ。


「寒くないか?」

「たくさん歩いたのでぽかぽかしています」


 ライルに出会う前、きっと少なくない時間散歩をしていたのだろう。ということはここに連れてくるよりは素直に屋敷まで馬車に乗せた方がよかったかもしれない。


「つかれていないか?」

「いえ……」


 コーディアはライルの質問に答える最中、何かを見つけたようでそちらに気を取られた。

 彼女の視線を追うように、公園の木々の下に目を向けるとリスの姿があった。


「ああ、リスがいるな」

「リス?」

 コーディアが不思議そうに復唱した。

「あっ」

 リスは自分を見つめる人間の視線にびくりとして、たたっと素早く木に登ってしまった。

「ああ……」

 コーディアのしょんぼりした声が聞こえてきた。


「あそこにいる」

 ライルは木々の揺れ具合からリスの移動先を感知して、一点を指さした。くだんのリスは葉の陰に隠れているが、ライルは子供のころからリスを探し当てるのは得意だった。


「どこでしょう?」

「いま、動いただろう。ほら、あそこだ」

 ライルが指さす方にコーディアが視線を動かす。

 少しして「あっ、見つけました」と弾んだ声が聞こえてきた。


「リスって言うんですね。わたし初めて見ました。可愛い」

「ほら、あそこの地面にももう一匹いる」

 ライルは自分たちから少し離れた、地面で木の実を抱えているリスを見つけて指さした。

「ほんとう」

 コーディアは鈴のような声でかわいいと連呼する。


「彼らは木の実を餌にしているんだ」

 リスは木の実を食べだした。冬眠に備えて栄養を蓄えているのだ。

 コーディアが一歩踏み出すと、枯葉を踏んでしまいカサリと音がした。リスはびくりと顔をあげ、それから人間を認識して素早く木に登ってしまう。

「奴らは警戒心が強いんだ。子供の頃捕まえられないかと色々と試したが駄目だった。仕掛けを作ったら乳母に叱られた」


「ライル様が?」

 コーディアがびっくりしたようにライルを見上げた。

 なんとなく恥ずかしくなって、「私だって昔はやんちゃをしていたんだ」と言った。

「そう、なんですね」

 コーディアは心なしか口元をほんの少しだけ緩めていた。

 ライルが初めて見る、彼女の素の表情だと思った。


「ムナガルにも、あんなくらい小さな猿がいたんです。テナガシロザルって言うんです。租界にはいませんでしたが、租界の外の森に生息していると聞いたことがあります」

「見たことがあるのか?」

「飼われているのを何度か見たことがあります。小さくて、果物が主食で。わたしが餌をあげると、さっと取るんです。かわいかったな」

 コーディアはそのときのことを思い出したのか、懐かしそうに目を細めた。


「リスも気に入ったか?」

「え、はい。可愛いですね」

「そうか……」

 ライルはごくりと喉を鳴らした。

 彼女と会話が続いている今しかないかもしれない。


「コーディア……」

「はい」


 ライルが名前を呼ぶと、コーディアがライルを見上げた。深い青色の瞳が少しだけ揺れている。


「今度、一緒に百貨店へ行かないか? 一度行きたいと言っていただろう。その……この間は頭ごなしに否定をして、すまなかった」

 ライルはゆっくりと、彼女の目を見て話した。

 コーディアの瞳が陰った。


「で、でも……」


「私はきみに早く貴族の生活というものを知ってほしかったが……、まずはきみがこの街を好きになってもらうのが先だと思い直した」


 ライルはコーディアから拒否の言葉を聞きたくなくて言葉を被せた。どうにか、もう一度機会が欲しい。ライルは祈る様な気持ちでコーディアに視線を注いだ。

 少し間をおいて、「少し考えさせてください」という返事が返ってきた。

 すぐに了承を貰えなかったことに肩を落としたが、待つと答えた。




 翌朝、ライルはコーディアから「ご一緒させてください」と返事をもらった。

 これで第一関門突破である。

 もう一度、コーディアとの関係を作り直すことができたら。

 今度こそコーディアから笑顔を引き出すことができるだろうか。


◇◇◇


 ステイル広場はケイヴォン中心部に位置する屋内市場だ。市場といっても売っている物は食べ物ではなく雑貨や古い物が中心のなんでも市である。屋内とはいえ四方を塞がれた完全な屋内ではない。屋根がついているだけで入り口などはない。

 馬車は市場近くの通りにつけられ、ライルは先に降りてコーディアに手を差し伸べた。


 コーディアは少し躊躇した後、思い切ったようにライルの手に自身のそれを置いた。ほんの少しだけ負荷が手のひらにかかる。小さな手のひらだ。

 ライルはそのまま彼女の手を握ったまま歩き出した。

 コーディアの戸惑った様子が伝わってきた。


「この辺りは人通りが多い。迷子になってもいけないから我慢してほしい」


 あたりを行き交うのは着古した上着を羽織る労働者階級の男や前掛けをつけたまま外出をする夫人などである。

 周囲を見渡したコーディアはライルの言いたいことを理解したのか何も言ってはこなかった。


 ライルは内心ほっと息をつきコーディアを連れて歩き出す。

 あらかじめエイブに調べさせていたので周囲の地図は頭に入れてある。

 市場の中は外以上に人であふれていた。

 ライルは眉を顰めた。

 客のほとんどが男だ。こんなところに小さなコーディアを連れて入っても大丈夫なのか。


 しかし今日一日はコーディアの希望を第一に考えることを心に誓っている。だったらライルがコーディアを守るだけだ。

 人がひしめき合った市場の内部に足を踏み入れたライルは通行人とぶつかりそうになったコーディアを自身の方に引き寄せ、そのまま彼女の背中に腕をまわした。


「ひゃっ」


 コーディアが小さく悲鳴を上げた。

 体が強張ったのが腕に伝わってきた。しかし、人ごみに紛れてコーディアに不埒な真似を働こうとする輩がいないとも限らない。


「この人込みだと互いにはぐれてしまう危険性がある。少し不自由だが我慢してほしい」

「え、ええと。ちょっと近いような、……いえ、なんでもないです」

 顔を赤くしたコーディアだったが、すぐに人の多さに観念したようだ。

「どっちの方向に進みたい?」

「ええと……あ、あのお店可愛い」


 コーディアはあたりを見渡した。彼女の言う店はガラス製品を扱っている古物商だった。

 人ごみをかき分け目当ての店に進む。


 コーディアは興味深そうに広げられた商品を覗き込む。インデルク製品ではない、異国の香水瓶を扱う店である。

 大きさもまちまちなそれらをコーディアは珍しそうに眺めている。


「お嬢さん、これはだいたい四十年位前にリズデア国で作られた香水瓶で、ほら、ここの金色の着色が特徴的なんだ」

 店主の男が手前側にあった品物をひょいとつかみ、説明をする。

「コーディア、ほしいか?」

「ええと……」


 コーディアは言葉を詰まらせる。

 男二人からいっぺんに言われて戸惑っているらしい。

 彼女が口下手なのは知っている。


「店主、まだ市場に到着したばかりだ。他の店も見て考える」

 ライルがそう言うと店主は「またよろしく」というあっさりした返事が返ってきた。

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