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「なによぅ! 冷たい子ね。あなた、自分の婚約者のことなのよ。もっと真剣になりなさい」


 エイリッシュの矛先がこちらに向いてきた。

 動揺を表に出していないだけでライルも十分に慌てているのだが、この母には伝わっていないらしい。というか隣に慌てふためく母がいるおかげでこちらは少しだけ冷静になったというのもある。


「大体、一人で馬車に乗ったところを目撃されているのでしょう。誘拐ではないはずです」

「わからないじゃい。最初はそのつもりだったかもしれないけれど途中で悪い男に捕まっちゃう可能性だってあるわ。あの子ケイヴォンに慣れていないのよ。お金だって持っていないのに……」


 どうにもその思考から離れられないようだ。しかし見知らぬ男に目を着けられるかもしれないというエイリッシュの言い分には内心同意する。コーディアが可愛らしい娘なのは間違いない。

 ライルは一度落ち着こうと息を吐いた。


「ホームシックになったというのなら、普通なら家に帰りたいと思うはずだ。彼女の帰りたいという家はムナガルということになる」

「ってことはあの子ったらムナガルに帰ろうと思って馬車に飛び乗っちゃったの?」


 大変じゃない! とエイリッシュは叫んだ。

 飛躍しすぎな考えであるが、これくらいしか思い当たらない。


 ライルはエイブに目配せをした。

 すぐに玄関広間へと舞い戻り、外へ出る。今すぐに連れ戻さないと。この時期日没は早くなっていくのだ。雑踏の中路頭に迷うコーディアを想像してライルは額から汗をたらした。


◇◇◇


 赤い煉瓦造りの駅舎は大勢の人で溢れかえっていた。


 みんなそれぞれ目的があるのだろう。紳士は大きな荷物を従僕に持たせ何かを喚いている。

 婦人は外套を着込み、恋人らしき男性に寄り添っている。

 人々の合間を縫うように木箱を掲げ持った子供たちが物を売り歩く。


 コーディアはあたりを見渡しながら切符売り場を探す。


 メイヤーの隙をついて一人で公園を抜け出したコーディアは運よくすぐに辻馬車を見つけることができた。

 お金は持っていなかったため、自分の着けていたブローチを売りたいからまずは質屋に言ってもらうよう頼んだ。


 デインズデール侯爵家のみんなは知らないだろうがコーディアはこれでも探偵小説を愛読しているのだ。

 何をどうすればいいのかは、愛読する『探偵フランソワの冒険』が教えてくれた。


 質屋に寄って当面の資金を換金し、御者に代金を支払ってようやく駅にたどり着いたときには結構な時間が経っていた。ムナガルへの帰り道は分かっている。要するに行きと逆をたどればいいのだ。


 コーディアはボンネットを目深にかぶり、用心深く歩く。外套は作ってもらった中で一番質素なものを選んできた。そもそも生地からして庶民のそれとは違うのだが、さすがにそのことにコーディアは気づいていなかった。


 切符売り場には列ができており、コーディアは最後尾に並んだ。

 周囲の喧騒を気にかける余裕なんてなかった。

 やがてコーディアの順番が回ってきた。

 切符売り場の係員はちらりとコーディアの顔を眺めてすぐに下を向いた。


「あ、あの。サウサートンまで片道切符を一枚ください」


「一等、二等どっち?」

 係員の男は面倒くさそうに聞いてきた。

「え……っと」

 コーディアは言葉に詰まる。

 今後のことを考えるなら二等車両のほうがいいだろう。


「に、二等で」

「はいよ。次のサウサートンまでの直通列車は夕方の六時十三分までないね」

「そ、そんなにもないんですか?」

 コーディアは驚いた。

 まだ午後四時前である。


「港町への列車は午前中に集中しているんだよ。そうすれば夕方発の船に間に合うからな。夕方の列車に乗るのは手前の街からケイヴォンに働きに来ている奴らのためのもんさ。お嬢さん終着駅につくころには真夜中さ。今日は途中駅のどこかで降りて泊ったほうが身のためだよ」


 ボンネットの中を覗き込むように忠告をされたコーディアはたじろいだ。

 でも早くケイヴォンから離れないと、万が一追手が来たら連れ戻されてしまう。

 連れ戻されたら最後だ。


「わ、わかりました。途中駅まででいいです。サウサートンへ行く途中で、一番大きな町までお願いします。ホテルがたくさんあるような」

「じゃあマリベルだね。それならあと四十分後の列車がある。六番線発車予定だ。二等車でいいか?」 

「お願いします」


 コーディアは一息吐いた。

 とりあえずケイヴォンから脱出できる算段はついた。


 切符を受け取ったコーディアは係員の教えてくれた六番線を目指して歩き始める。

 始発駅の駅舎は乗降場がいくつもあるのだ。


 周囲をきょろきょろしていると通行人とぶつかった。「ぼやぼやしてんなよ!」とぶつかった拍子に怒鳴られた。「ご、ごめんな……」通行人はコーディアの謝罪を聞く時間が惜しいのかすぐに立ち去ってしまった。


 コーディアは人にもまれながらやっとの思いで六番線にたどり着いた。

 長い乗降場には人がまばらだった。少年が乗降場にたっている黒板に終着駅と途中の停車駅を書いていく。


(これってどこの入口から乗ってもよいものなのかしら?)


 コーディアは手描きの切符をじっと見つめる。

 今日は途中の町でホテルを取って明日一番の列車に乗ってサウサートンまで行く。そうしたら今度はムナガル行の船を探すのだ。


 今は一刻も早くみんなに会いたかった。

 コーディアが六番乗降場で待っていくらか経過したころ列車が侵入してきた。

 コーディアの胸が高揚した。

 早く、早くケイヴォンから脱出したい。


 乗車希望の客たちが列車に乗るために列を作り出す。コーディアも彼らに倣って列の最後尾に並んだ。

 列車がゆっくりと停車をし、乗客を吐き出していく。労働者風の男や別の車両からは少し仕立ての良い上着を羽織った女性や男性が下りてきて、みなそれぞれの事情を抱えるように足早に通り過ぎていく。


 列は動かない。乗務員が車内を足早に駆け抜けていく。

 コーディアは早く乗車したくてたまらなくなる。


 そのときだった。


「コーディア、見つけた」


 腕を掴まれて、その相手を見上げると。

 息を乱したライルの姿があった。


「ライル……様」

 コーディアの顔が絶望に染まった。

 見つかってしまった。


「そんな顔しないでくれ。心配した」

 ライルはコーディアの腕を離さない。


「離して……。わたし、この列車に乗らないと」


 乗車の合図が発せられたため、乗客たちは興味深そうに二人を眺めながら列車に吸い込まれていく。

 ライルはコーディアを列から引っ張り出した。


「だめだ。一人で行かせられるわけがないだろう」


 怖い声だった。コーディアはこの声が苦手だ。ただでさえライルはコーディアよりも背が高くて、男の人なのに。

 けれど今日のコーディアはいつものように彼に怯えるわけにはいかない。


「嫌です。わたし、帰りたい! わたし、ムナガルに帰りたいんです。お願いします。わたしを帰してください!」


 ライルはコーディアの渾身の叫びを黙って聞いていた。

 彼にこんなにも強い口調で何かを言ったのは初めてだった。


「ライル様の婚約者は、わたしじゃないほうがいいです。わたしには荷が重すぎます」


 コーディアは言い募った。

 所詮コーディアに侯爵夫人なんて務まるはずがなかったのだ。

 ライルはコーディアの言葉を黙って聞いていた。

 けれど掴んだ腕は話してくれない。


「きみの思いはわかった。けれど、今ここできみを行かせることは出来ない。母上が心配している。……私も、きみのことが心配だ。とにかく一度帰るぞ」

「い、いや……」


 発車のベルが鳴り響く。


 コーディアは慌てて列車の方を向いた。

 嫌だ。行ってしまう。

 コーディアはライルから逃れようとした。彼の力が強くてコーディアにはどうしようもできない。

 でも、コーディアは懐かしい友人たちの元へ帰りたかった。今すぐにでも会って話がしたかった。


「わたし、みんなに会わなくちゃ……」

「コーディア」


 ライルに名前を呼ばれた。


「あ……」

 今更ながらに気が付いたライルとの距離の近さ。ライルは周囲の好奇の目からコーディアを隠すように体の位置をずらした。


「お願いだから今日のところは聞き分けてくれ。私のことが嫌いならそれでもいい。けれど、今ここできみを一人行かせるわけにはいかない」


 切羽詰まった声だった。

 たぶん彼のこんな声は初めて聞いた。

 列車がゆっくりと動き出した。

 コーディアは呆然とした。

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