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「わたくしたちのことは気軽に名前で呼んでくださって結構よ。ここにいるみんな仲良しですもの」
コーディアは素直に頷いたが、いきなり敬称もなしで呼んでよいものだろうか。彼女たちとの距離感を図りかねて、とりあえずカップのお茶で口の中を湿らせる。
「コーディアはずっとジュナーガル帝国に住んでいましたの?」
今度は別の少女、ガートランド嬢が尋ねてきた。コーディアよりもくすんだ金髪を持った少女だ。
「え、ええ。生まれたときからずっとムナガルのディルディーア共同租界に住んでいました」
コーディアがそう答えると少女たちは一斉に目を瞬いた。
「え、生まれたときから……」「ま、まあ」「わたくし想像もできませんわ」「あちらの人々って裸同然の衣服で生活をしているって本当なのかしら」
少女たちは困惑をしているようだった。
コーディアは首をかしげたくなる。
租界の中はディルディーア大陸風の建物が立ち並び、銀行も商店も学校もあるし、教会だってあるのだ。
「えっと、租界の中はこちらの大陸とあまり変わりないです……。たくさんの人が暮らしていましたし。わたしは寄宿学校に居ましたから、同じ年ごろの友人もいました」
コーディアは租界について説明をした。
ついむきになってしまったが、アシュベリー嬢はそっけなく答えた。
「あら、そうですの。でも、貴族の娘はいませんことでしょう。大使に選ばれても、夫人と子供はこちらに皆さんとどまっておいでですもの」
「ああ、たしかゴールディング卿は卿おひとりでリズデア国へ赴きましたわね」
「たしかに未開の地に一緒に付いて行く勇気はありませんわ」
令嬢たちは口々にまくしたてる。
「コーディアも向こうではドレスではなく薄布一枚で生活をしていらしたのかしら」
誰かがくすりと笑い交じりの声を出す。 それにつられたかのように微笑が波のように広がっていく。
コーディアはすぐに答えることができなかった。
彼女たちから明らかな悪意を感じたからだ。
こんなこと初めての経験だった。
「あら、やっぱり向こうの習慣に従うものなのね」
黒髪のディーマ嬢が言うとまたしても忍び笑いが響いた。
「租界の中ではみんなこちらの人と変わらない服装をしています。わたしもドレスを着ていました」
コーディアは震えそうになる声を押してはっきりと声を出した。
「あら、怒らせてしまいましたかしら。ほんの冗談なのに」
「わたくしたちだって、無知ではないんですもの。こちらの大陸を真似た租界の中はディルディーア風の建物があることくらい知っていますわ」
ディーマ嬢はねえ、と言って隣の少女と笑いあう。
それから少女たちは今ケイヴォンで流行っているドレスの形だとかケーキの話に移っていった。
彼女たちは昔からの馴染みなのだろう、時折数年前の出来事を持ち出して楽しそうに笑い合う。
同じ空間で一緒にお茶を飲んでいるのに、コーディアは自分が彼女たちとの間に薄い膜で隔てられているような感覚に陥った。
お茶の時間ずっと、彼女たちはちくちくとコーディアのことを針でつついているようだった。
時折思い出したかのようにコーディアに話を振る。
それも「あら、租界ではさすがに〇〇はないですわよね」と。コーディアの育った環境を貶める形で。
この時間でわかったことは、少女たちがコーディアのことを受け入れる気がないということだ。
自分たちと異質のものを、仲間にはしないと線を引かれた。
お茶会が終わるころ誰かが「そういえば今日はアメリカ来ていないわね」と言った。「来ていたら面白かったわね。彼女もすまし顔でよくやりましたものね」別の少女も小さな声で囁いていた。
コーディアの知らない名前だったが、彼女たちは旧知の仲なのだろう。
その割にはどこか面白がるような、とげのある内容の会話でコーディアは背筋が粟立った。
彼女たちは友人同士だと言うが、当事者がいないところではこんな風にうわさ話をするような仲なのだ。
寄宿学校の友人たちとは家族のような関係だった。
値踏みをしたり、誰かを仲間外れにすることなんて……たぶんなかった。
たぶんとしか言えないのはコーディアは寄宿学校の生徒の中心というわけでもなく、おとなしく部屋の隅っこで本を読んでいるような娘だったからだ。
そんなコーディアにもみんな優しかったし、話題についていけなくなると隣にいた友人がこそっと教えてくれたりもした。
再びエイリッシュと合流して帰りの馬車の中で彼女から今日の成果を聞かれたコーディアは曖昧に微笑むだけに留めておいた。
◇◇◇
それから二日後、エイリッシュに連れて行かれた刺繍の会でコーディアは前回のお茶会の最後に名前を聞いたアメリカという少女と引き合わせられた。
「コーディア、こちらはアメリカ・リデル夫人よ。ライルの友人のナイジェル・リデル卿の妻でもあるの。これからライルと一緒に交流することもあると思うの。アメリカ、コーディアとも仲良くしてあげて頂戴な」
アメリカ・リデルはコーディアが今まで出会った中で一番きれいな女性だった。
金色の髪に薄青の瞳をした、陶磁器のような肌を持った若い女性だ。
「たしかあなたと年もそう変わらないのよ。ええと、たしか……」
「いま十八ですわ、夫人」
アメリカは澄んだ声で応える。
完璧なインデルク語の発音である。コーディアはいまだにフラデニアなまりに四苦八苦しているのに。
彼女は何の苦もなく美しい発音を口に乗せる。
「そうだったわね。コーディアは今十七で、今度の十二月に誕生日を迎えるのよね」
「はい」
「年はあまりかわらないのね。初めましてわたくしはアメリカ・リデルと申します。夫はナイジェル・リデルで将来メルボルン侯爵を継ぐ予定ですわ」
アメリカの微笑に見惚れてしまったコーディアは慌てて口を開いた。
一瞬だけインデルク語を話すのがためらわれる。完璧な発音を聞いた後に、自分のへっぽこインデルク語を聞かせたくないと思ってしまったからだ。
「はじめまして。コーディア・マックギニスと申します。よろしくお願いします」
「では、夫人コーディア様を少しお借りしますわ」
「よろしくね、アメリカ」
エイリッシュに見送られてコーディアはアメリカのあとに続いた。
今日も同世代の令嬢たちと交流を深めないといけないらしい。
刺繍は寄宿学校でも習っていた。
アーヴィラ女子寄宿学校の教育方針は本国の令嬢たちが身につける教養作法とかわりのないもの、だった。
フラデニア系の学校だったため歴史や教養はフラデニア寄りだったが、刺繍も裁縫も淑女の嗜みとしてきちんとしつけられていた。
アメリカに連れて行かれた窓際の一角にはすでに何人かの女性たちが座っていた。
「皆さま、コーディア・マックギニスさまをお連れしましたわ」
アメリカの声にみんな会話をとめた。
集団の顔ぶれの中に先日のお茶会で一緒になった令嬢の顔を見つけてコーディアの胃がきゅっと収縮した。
たしか黒髪のディーマ嬢だ。
「あら、存じていますわ。マックギニス商会の一人娘なのですってね。御父上のお仕事の関係でずっとジュナーガル帝国でお育ちになった方なのよね。皆さま、今日はあちらの国の興味深いお話が聞けますわよ」
ディーマ嬢がにっこりと笑った。
その言葉にとげを見つけてしまうのはコーディアがひねくれた思考をしているからなのか。
「コーディアさまはデインズデール子爵の婚約者でもあらせられるの」
アメリカはディーマ嬢の言葉など聞いていなかったような澄んだ声を出す。
子爵というのはデインズデール侯爵家の持っている爵位の一つで形式上ライルが名乗っているということらしい。
このあたりのことはエイリッシュからいくつか教わったのだがコーディアにはまだよくわからない。
この国にきて分かったのは、自己紹介をするときには父親や夫の肩書を一緒に言うことが当たり前ということだ。特に上流階級ではそれが顕著だ。
(ムナガルでも同じだったのかしら……?)
寄宿学校に籠っていたコーディアとしては測りかねるのだが、本国をぎゅっと縮めた世界が租界だというのなら租界にも似たような世界があるのかもしれない。
(でも寄宿学校ではそんなにも……聞かれなかったし。それに本物のお姫様がいたものね)
寄宿学校にいた奔放なお姫様で友人のディークシャーナを思い出す。
「コーディアさま、こちらにお座りになって」
コーディアが故郷を懐かしく思い出している間に話が進んでいた。
コーディアは慌てて示された場所に腰を下ろして裁縫道具を取り出した。
裁縫道具はエイリッシュがケイヴォンで新しくそろえてくれたものだ。
最初の頃は刺繍の会という名目らしく皆それぞれもってきた手巾やりぼんに刺繍を刺していく。
それだけで終わらないのが女性だけの会というもの。すぐにおしゃべりが始まった。
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