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「コーディアさま。ムナガルの租界はどんなところでしたの? 一年中暑いってどんな感じなのかしら?」
おっとりした口調で話しかけてきたのは夫が軍に所属しているというダウエル夫人だ。彼女はまだ二十歳で、結婚して一年。まだこどもはいないとのことだ。
「空気が肌にまとわりつくような感じです。湿気があるので、空気がじとっとしているというか、重いというか」
「まあ。想像もつかないわ。夫ももしかしたらあちらへの駐留を命じられるかもしれませんもの。そうなったらわたしも付いて行こうか考えないといけませんわ」
「まあ、ダウエル夫人はあんなみか……いえ、遠い異国に付いて行こうと思いますの?」
ディーマ嬢が目を丸くする。
「わたしは軍人の妻ですもの」
ダウエル夫人が清楚な笑みを浮かべる。
それからコーディアは当たり障りのない質問をされた。主にジュナーガルで取れる香辛料や宝石の話題だった。
この場にいる女性たちはアメリカと同じ既婚者もいる。もしかしたら彼女たちの夫とライルの間で交流があるのかもしれない。
先日のような悪意に晒された時間でないことに安堵する。
会話もひと段落したところでアメリカが話しかけてきた。小さな声だ。二人きりで会話をするつもりなのだ。
「こちらには慣れてきて?」
「はい。徐々にですが」
「あら、普通にしゃべってくれていいのよ。わたくしたち階級は同じでしょう」
コーディアは小さく首を傾ける。
「エイリッシュさまはコーディアさまのことが大好きなのね。いろいろなところであなたのことを自慢していらっしゃると聞いたわ」
「ええと……」
それはたぶんコーディアが彼女の親友の娘だからだ。懐かしそうに目を細めコーディアを見つめる先に、彼女はおそらく母であるミューリーンを見ている。
「エイリッシュさまはお優しいです」
コーディアはそっと視線を落とした。
それと同じとき。
「そうですわ、皆さま。せっかくこうして集まったのですから今からそれぞれ言葉遊びをしませんこと?」
瞳を輝かせた令嬢が声を出した。声はグループ内によく響いた。
ディーマ嬢の隣に座っている彼女もまた未婚である。薄茶の髪を軽く頭の後ろで結って残りを背中に垂らしている。
「言葉遊び? いったいどんな?」
一人の婦人が首を傾ける。
「簡単ですわ。ワーナーワースの詩の最後の一文をそれぞれ読み上げていって、その題名を当てるだけですわ。昨年からずいぶんと話題なっている詩人ですもの。簡単な遊戯でしょう」
まあそれなら、とこの場にいる婦人たちはそれぞれ顔を見合わせる。
一人肝が冷えたのはコーディアだ。
そもそもムナガルの租界にディルディーア大陸の流行が入ってくるには数か月の時差があるし、女性の少ない彼の地では詩集などの本がはいってくることが稀なのだ。
ムナガルに数件ある書店で扱っている書籍は主に男性が好む各種専門書ばかりで、学校の教師たちも教材を手に入れるのに苦労していた。特に本国の最新流行の詩集など、伝手がないと入ってこない代物だ。
コーディアの狼狽に気づかない婦人たちはさっそく順番を決め、最初の一人が朗読を始めた。
みんなよどみなく詩を暗唱していく。
コーディアの心臓がばくばくと波打つ。
一人が終わり、その隣の婦人が口を開く。
と、ディーマ嬢と目が合う。こちらを注視する彼女の瞳には嘲笑の色が宿っていた。
(わたしに対する意地悪……)
どういうわけか彼女はコーディアのことが気にくわないのだ。
コーディアは彼女の視線から目を逸らせた。詩の暗唱の順番はすぐ隣まで回ってきている。
コーディアはうつむいた。どうしよう。
正直に知りませんと言うことは簡単だけれど、無知だと笑われるのは目に見えている。きっと件の令嬢は優しい言葉をコーディアにかけるのだ。しかし同時に彼女はコーディアを嘲笑する。
いよいよ、というとき。
「コーディアさまの代わりにわたくしが二回暗唱しますわ」
鈴を転がしたような声がコーディアの代わりに発せられた。
アメリカである。
「あら、コーディアさまは参加されないの?」
この遊戯を提案した令嬢が不満そうに口を挟む。
「コーディアさまは外国から帰国されたばかりですもの。あちらではフラデニア系の寄宿学校に入られていたと聞いていますわ。インデルクの流行にはまだ慣れていないと思うのです」
「ふうん……」
コーディアの代わりに、はきはきと答えるアメリカを前に、少女は面白くなさそうな生返事をする。
「あら、だったらフラデニアの詩でもよくってよ」
と、別の少女が口を挟んだ。
「えっ……」
「ああそうね」
他の少女も追随した。
話が別の方向に飛んだせいでアメリカも今度は口を開かなかった。他の夫人たちも敢えて口を挟まない。
コーディアに視線が注がれる。
コーディアは息をつめた。こういう風に注目されることには慣れていない。
「租界の寄宿学校では詩など習わないのではなくて?」
「なら一体何を教えてもらっているのかしら」
誰かが憐れむ様に言葉を漏らした。隣の少女が肩を震わせている。
「あなたたち、コーディアさまは緊張されているのよ。そんな風にからかってはだめよ」
ダウエル夫人が少女たちをたしなめる声を出す。
「からかってなどいませんわ。ちょっとしたお遊びにも参加してくださらないなんて、コーディアの方がわたくしたちと仲良くなる気が無いに違いありませんわ」
と、令嬢がぷうっと頬を膨らませる。
ふいにメンデス学長の言葉が思い出された。彼女は最後別れ際に『わたしはあなたに本国にも劣らない教育を施してきました。くれぐれもこの学校で学んだ精神を忘れないよう、日々しとやかに過ごすよう心掛けなさい』
(ここで黙り込んだら、わたし……)
コーディアはありったけの勇気を体中からかき集めた。ずっと黙ったままだとコーディアと一緒に友人たちまで馬鹿にされてしまう。それは嫌だった。
「わ、わかりました。フラデニアの詩を暗唱します」
コーディアは慣れ親しんだフランデール語を、隣国の言葉を口に乗せる。
学校で習ったものを暗唱して見せるとアメリカが「とても美しい発音ね」とほめてくれた。
「ありがとう……ございます」
今この場を乗り切った安堵で頬が少しだけ緩んだ。
「ほんとうね。きれいな発音だったわ。詩はずいぶんと古いものだったけれど」
「南の国の租界の最新流行を教えてくれてありがとう。コーディア」
二人から立て続けに言葉を貰ったコーディアの顔は赤く染まった。ほぼ初対面の人の前で何かを言うことに慣れていないせいもあって、もう何も口にする気力がなかった。
ただ恥ずかしくて悔しくて、コーディアはぎゅっと唇をかみしめた。
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