二章 ケイヴォンの令嬢とホームシック

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「毎日お勉強とおばさんとの会話だけじゃない面白くないでしょう。こちらでもお友達を作らないといけないわね」というエイリッシュの唐突な宣言によってコーディアは毎日の日課であるインデルク語の授業と淑女レッスンの代わりにとあるお屋敷へと連れてこられた。


 馬車でいくらも走らないうちについた屋敷もデインズデール家のそれと同じくらい大きく立派なものだった。

 コーディアの胃は早くもきりきりと痛み出す。コーディアは少し人見知りの嫌いがあるのだ。


「本格的な社交の季節は春先から初夏にかけてなんですけどね。今はお仕事の都合で領地に帰らず年中ケイヴォンに留まっている家庭も多いのよ。といっても年暮れには領地に顔をだすのだけれどね」


 ふふっと無邪気に笑うエイリッシュはなるほど、生まれながらの貴族だ。

 自分も貴族の血を引いているのに育った環境が遠い異国の租界だったおかげでその意識は皆無だ。

 客用の上級使用人に案内されるまま二人は屋敷の中を進んでいく。エイリッシュとこの屋敷の女主人は仲の良い間柄なのだろう、エイリッシュは勝手知ったる様相で足取りも軽やかだ。


「今日はあなたのことを皆様に紹介するのよ。ふふっ。楽しみねえ」


 エイリッシュが無邪気に微笑む傍らコーディアは少し引きつった笑みを浮かべた。


 ライルと二人きりのケイヴォン散策は彼を怒らせるだけだったし、そのあとも特に彼との距離が縮まった気配はない。

 相変わらずライルが何を考えているのかコーディアはつかめないし、というかこんな娘が婚約者できっと彼はがっかりしているに違いない。


 コーディアが物思いに沈んでいる間にサロンへとたどり着いてしまった。

 エイリッシュは隣のコーディアの狼狽など気が付かないようで、使用人に扉を開けてもらって中へ入っていった。


「あらエリー、よく来てくれたわね」

「ごきげんよう、メアリー。今日はお招きありがとう。手紙にも書いた通り、今日はライルの婚約者のお嬢さんを連れてきたのよ」


 エイリッシュは屋敷の女主人と抱擁を交わした。

 挨拶ついでにコーディアのことをさらりと紹介する。


「コーディア・マックギニスと申します。本日はお招きいただきありがとうございます」

 コーディアはすっと腰を落とした。

 ゆっくりと丁寧に微笑みながら挨拶をする。


「まあ、ようこそ。可愛いお嬢さん。エリーったらあなたのことをたっぷりと手紙に書いて寄越して来てね。重たい手紙だったわ」

 メアリーはそう言ってウィンクをした。


 年の頃はエイリッシュとそう変わらない夫人だ。ふっくらとした頬に笑うとえくぼが浮かぶ。エイリッシュと似た、親しみやすそうな女性でコーディアは内心ほっとした。


「あら、コーディアの可愛さを書き始めたら止まらなくなったのよ」

 メアリーの言葉にエイリッシュがつんと横を向いた。

「ずっとジュナーガル帝国で暮らしていたのでしょう。珍しいものも多いのよね。あとでお話聞かせて頂戴な」

「はい」


 コーディアは目元をやわらげた。エイリッシュとコーディアは長椅子へと移動する。

 もてなす側のメアリーはその後も訪れた客人一人一人と挨拶を交わし、席へと誘導していく。

 お茶が配られた後メアリーはコーディアのことを皆に紹介した。サロン全員の目が自分に集中して、コーディアの頬が赤く染まった。

 お茶会にはコーディアと同じ年頃の少女からエイリッシュのような四十代くらいの夫人まで幅広い年代が集まっていた。


「もう少ししましたらヴァイオリンの演奏家が参りますのよ。デイゲルンに留学経験もある腕の良い方ですの。皆さま楽しみにしていらしてね」


 デイゲルン王国は西大陸中央あたりに位置する国だ。コーディアも寄宿学校でディルディーア大陸の地理は習っているので主要諸国の国名と王都の名前は一致する。

 

 エイリッシュの隣で、一通り型にはまった質問をされ、それに答えてカップのお茶が空になったところでエイリッシュに連れ出された。

 連れて行かれた先はコーディアと同じ年ごろの令嬢たちが集まったテーブルだった。


「皆さまごきげんいかがかしら。今日はわたくしの親友の娘で、息子の婚約者でもあるコーディア・マックギニス嬢を連れてきましたの。長い間外国で育っていて、つい先日帰国をしたばかりなの。仲良くしてあげて頂戴ね」


 エイリッシュの紹介に合わせて少女たちの目が一斉にコーディアに向けられる。

 こういう経験は初めてでコーディアは身を固くする。寄宿学校ではいつも転入生を受け入れる立場だった。


 突き刺さった視線を痛いと感じたのは、たぶん気のせいではないだろう。


 少女たちは一瞬だけ値踏みするようにコーディアを上から下まで見て、それからエイリッシュに向けて笑顔で「侯爵夫人の頼み事ですもの、もちろん喜んで引き受けさせていただきますわ」と誰かが代表して答えた。


◇◇◇


 見知らぬ少女(おそらくは皆貴族階級であろう)たちの中に放り込まれたコーディアは、長椅子の隅に腰を下ろした。


 客用の使用人がさっと動いてコーディアのために新しいカップを用意してくれた。

 少女たちはじっとコーディアを観察している。

 色とりどりのドレスに身を纏った少女たちは合わせて六人。皆金色だったり茶色だったりする髪の毛を束ね、きれいな刺繍入りのりぼんや宝石の髪留めを着けている。

 今日のコーディアはケイヴォンで今話題だという仕立屋で作ってもらった葡萄色のドレスを着ている。


 見かけは周りの少女たちと変わらないと思うのに、観察されているような居心地の悪さを感じてしまう。


「はじめまして。コーディア・マックギニスと申します。あの、よろしくお願いします」


 コーディアは恐る恐る切り出した。

 自己紹介をしないと、と思ったのだ。


「あら、インデルク語が話せないかと思ってましたわ。ごきげんよう、コーディアさま。マックギニスというと、マックギニス侯爵ゆかりの方なのかしら」


 少女たちを代表して、赤茶色の髪をした令嬢が口を開いた。はきはきした声である。


「インデルク語は、一応話せます。ジュナーガル帝国ではずっとフラデニア語ばかりでしたからまだ慣れていませんが。えっと、マックギニス侯爵は父の兄になります」


 コーディアがそう言うと、「ジュナーガルですって」とか「それって南の方の……」「あの未開の地ですわよね」とか「マックギニス侯爵の姪なのね」「直系ではないんじゃない」とか少女たちは口々に囁き合った。


「わたくしたちもライル・デインズデール様がついに婚約をされたっていう噂を伺っておりましたのよ」


 コーディアに話しかけてきた令嬢が再び口を開く。

 コーディアはその瞳に射抜かれて呼吸することを忘れそうになる。どこか険のある眼差しだった。


「いやだ、そんなにも緊張なさらないで。わたくしたち、あなたに興味がありますの。だって、ライル様を射止めた方ですもの」


 それから少女たちはそれぞれ自己紹介を始めた。赤茶色の髪の少女はアシュベリー伯爵家の令嬢だと名乗った。

 皆、それぞれ父親は爵位を持っていたりそれに準ずる家柄で、中には家の歴史を長々と語る令嬢もいた。

 コーディアはそれぞれの少女たちの肩書を覚えるのに必死だった。

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