7


◇◇◇


 それからのケイヴォン散策も散々だったというか、ちっともお互いの距離は短くならなかった。

 建物の説明をしてくれる分、観光案内の方がまだ会話はあった。

 休憩時に連れて行かれたサロンで、コーディアはせっかくのお菓子の味も分からず終いだった。真正面に口を引き結んだライルが鎮座しているかと思えば空気が重く感じられた。


 会話といえば「おいしいか?」と聞かれたため「はい」と答えたくらいなものである。サロンってもっと華やかで楽しいところだと想像していたはずなのに。

 そもそもどうしてこの人と一緒にお茶をしているんだっけ。などと改めて考えてしまうくらいだった。


 そして帰りの馬車の中。

 馬車が走り出すとライルが口を開いた。


「男性は女性が馬車から降りるときに女性に手を貸すものだ。そして女性はその意を汲んで男性の手を借りる」


 コーディアは少し考えた。

 きっと今日何度かコーディアが馬車から降りたときのことを言ってるのだろう。確かに彼は不自然に手を伸ばしていた。彼は今日一日ずっとコーディアが察するのを待っていたのだ。

 頭の中で件の場面を再生したコーディアは顔を青くする。


「ご、ごめんなさい」

「慣れていないだけだろう。次から気を付ければいい」


 それきり二人は押し黙る。

 コーディアは居たたまれなくなった。

 自分は何一つ満足にできない。貴族の娘なら、きちんとした教育を受けた娘ならきっとさらりと彼にエスコートされるのだろう。

 コーディアは彼の意を汲むことができなかった。


 どうしよう。

 きっと嫌われてしまったかもしれない。


 コーディアの胃がきりりと痛み出す。そっとライルの方を伺うと、彼の瞳がこちらに注がれていた。

 茶色の瞳からは怒りを読み取ることはできないが、好意が感じられるほど楽観的ではない。どこか、困ったような、呆れたようななんとも判断のつかない顔をしていた。


◇◇◇


 その日の夜も更けたころ、書斎で書類を読んでいると扉を叩く音が聞こえた。

 了承の返事を待つ間もなく入口が開かれた。

 ライルは顔を上げた。この時間にこの部屋を訪れるのは父くらいなものである。

 彼はグラスを片手に持っていた。中に入っているのは琥珀色の液体。


「なんですか、父上」


 ライルは事務的な声を出す。

「いや、少しおまえと話そうと思ってな。今日はコーディア嬢の案内役だったんだろう」

「母上ですね」

 ライルの指摘にサイラスは少しだけ肩をすくめた。


「私こそ父上にお聞きしたかったんです。父上はこの縁談に賛成なんですか?」

 ライルは単刀直入に切り出した。

「おや、おまえはコーディア嬢では不服なのかな?」

 サイラスは面白そうに肩を揺らした。完全に息子をからかう気である。なんとなく、面白くない。


「わざわざ外国育ちの令嬢を探し出すより、この国にだってふさわしい令嬢くらいいるでしょう」

 コーディアは生まれも育ちも遠い南国ジュナーガル帝国だ。

 租界での生活はインデルクのそれとはまるで違っていたに違いない。現にこの数日少し会話をしただけで二人の価値観がまるで違うことを痛感した。


「コーディア嬢の父上は前マックギニス侯爵の次男だ。母上はランサム子爵家の令嬢だ。血筋的には何の問題もないだろう。それに、おまえの妻になる女性に求めるのはエリーと気の合うこと。これが重要だ。そういう意味ではコールデッド家の令嬢は少しまじめすぎた」


 確かに両家とも古い家柄である。

 現在のインデルクでは、古い歴史を持った貴族の家系が少ない。それというのも八十年ほど前の王が自身と対立をする貴族一派から爵位をはく奪したからだ。政治的対立をした貴族らから容赦なくその権利を奪い取り、領地を没収した。容赦のない国王だったが民衆からの支持が大きかった。


 コールデット家の娘というのは一時期ライルの婚約者候補として名前の挙がっていた令嬢だった。名をアメリカ。彼女の実家もこのときの爵位はく奪を免れた家系であり性格はまじめで品行方正。絵にかいたような貴族令嬢である。彼女との話は周りが勝手に騒いでいただけだが、結局アメリカはライルの友人と婚約をし、この春に結婚した。


「そもそも何が幼馴染の娘を俺にあてがうですか。いい迷惑です」

 ライルは突然突きつけられた縁談の鬱憤もあってか一人称が学生時代のそれに戻ってしまったことにも気が付かない。


「おやライル。おまえはコーディア嬢が気に入らないのか?」

「……」


 父の言葉にライルは言葉に詰まらせる。

 ライルはコーディアを思い浮かべる。


 ライルよりも小柄で、まっすぐな金の髪と深い青色の瞳が印象的な娘である。

 南の国育ちだというのに焼けていない白い肌は陶磁器のようにすべらかで少し大きめの瞳が彼女の顔立ちをやや幼く見せている。


 ケイヴォンで流行っているドレスを身につけたコーディアはライルの知っている貴族の令嬢にも引けをとらない可愛らしい娘である。それは認める。

 大人しい気質の彼女はライルと目が合うとすぐに恐縮そうに下を向いてしまう。


 心の中ではそれがつまらなかった。もっとライルの方を向いてほしいし、笑った顔も見てみたかった。なんとか会話を試みるも、自分を怯え交じりの眼差しで見上げるコーディアを前にすると世間話の一つも浮かんでこない。しかも実際口から出るのは彼女を咎めるようなものばかり。それがますます彼女を頑なにさせている。


 黙り込んだ息子を前にサイラスは鷹揚に頷いた。

「なんだかんだ言って、おまえはコーディア嬢のことが気になっているんだろう。初対面の時に見惚れていたからな」

「誰がですか」

「エリーがそう言っていたぞ」


 父の突っ込みに間髪入れずツッコミを入れたライルだったが、サイラスの二段突っ込みに言葉を詰まらせた。


 なんだかんだ言って彼女の深い青色の瞳に見入ってしまったのは事実なのだ。


 深い青色の瞳は、卒業旅行で訪れた南方の海を思わせ、ライルは初対面の時不躾になるくらい彼女を見つめたままだった。

「大体、婚約者を同じ屋敷に住まわせるのも問題です。マックギニス侯爵の姪なら、そちらで預かってもらった方がよいのでは?」

 ライルは話を変えることにした。

 この屋敷でライルと暮らしていてもコーディアは気が休まらないのではないか。


「いや、ヘンリー氏と侯爵は昔から確執があってな。まあ、兄弟同士性格が合わないらしい。気の合わない兄の屋敷に大事な娘を預けるのも憚られるだろう。ま、ここは私たち夫婦の屋敷だからな。問題はないだろうさ」


 ライルは現在のマックギニス侯爵の顔を思い浮かべる。初老に差し掛かった中肉中背の男性である。

 何度か夜会で見かけ挨拶を交わしたことはあるものの親しいというわけではない。


 結婚が自分に課せられた義務なのは分かっている。ライルにはスペアがいないのだ。今ライルに何かあれば相続権を巡って親族が揉めることは必至である。

 それにしても結婚相手がまさか外国育ちの、それも貴族の娘という意識のかけらもない娘だとは思ってもみなかった。

 彼女はあらゆることに慣れていない。


「大体、まったくエスコート慣れしていなんですよ、彼女。どうしろって言うんです」

 ライルは市内散策での出来事を思い出す。今まで、どんな令嬢ともそれなりにうまく会話をしてくれたし、彼女たちも男の扱い方というものをしっかりと分かっていた。エスコートはする方もされる方にも型があるのだ。


 彼女はそれをまったくわかっていなかった。

 自分では女性の扱い方をわかっているつもりでいたけれど、コーディアに限ってはまるで通用しない。

 口から出てくるのは教師のような言葉ばかりだった。


「ははあ。それでそんなに不貞腐れているのか。おまえもまだ青いね。初心な令嬢を完璧にエスコートして見せてこその紳士というものだよ」


 サイラスはくっくと肩を揺らした。最後の最後で愚痴を吐いてしまったライルは今度こそ父を追い出しにかかった。

 サイラスは愉快そうに肩を震わせて部屋から出て行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る