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 ほどなくして彼女は背の高い男性を従えて戻ってきた。

 ヘンリーが立ち上がったのでコーディアも慌ててそれに倣った。


 コーディアの心臓がどくんと跳ねた。

 いよいよ自分の夫となる男との対面である。


 エイリッシュの後ろに続いた男性は、彼女と同じ栗色の髪をしていた。

 先日渡された写真では前髪を後ろへなでつけていたのに、今日は下したままだ。

 真面目そうに口を引き結び、姿勢よく歩く姿は物語の挿絵で見た騎士のようでもある。

 コーディアよりも頭一つ分以上背が高く威圧感を感じた。


「マックギニス卿お久しぶりです。今回は少し長い滞在だとか。ジュナーガル帝国の最新情勢の話など、ぜひ伺いたい」

「こちらこそ久しぶりですな。今回は娘の本帰国も兼ねているからいつもよりは長逗留の予定だよ」


 ライルはヘンリーにまず話しかけてきた。低い声だった。二人の口調からすると初対面ということではないらしい。

 ライルはヘンリーの口から発せられた娘という単語を聞いてはじめて視線をコーディアへ移した。


 まともに目が合ってしまい、コーディアはその場で硬直してしまった。挨拶くらいしないといけないのに口の中が乾いて、緊張して、ついでにインデルク語も出てきてくれない。

 二人はしばしの間無言で見つめ合う。


「コーディア、これがわたくしの一人息子のライル。先月二十五歳なったばかりなの。大学を卒業して今は政治家として研鑽を積んでいるところよ。もちろん侯爵家の跡取りとして領地運営のお手伝いもしているわ」

 エイリッシュが流れるような声で息子の紹介を始めた。

 エイリッシュはそのまま今度はライルに向けてコーディアの紹介を始める。

「ライル、こちらのとびきりに可愛らしいお嬢さんは彼のご息女のコーディア・マックギニス嬢。生まれたときからジュナーガル帝国のムナガルにいたのよ。フラデニア語とロルテーム語がぺらぺらなのですって。ああそれからジュナーガル帝国の標準語も読み書きできるそうよ。だからあちらの話なら彼女に教えてもらいない。なんていったって、あなたのお嫁さんなのだから」


 エイリッシュの朗らかな声が応接間に響いた。

 デインズデール侯爵は妻の言うままに任せている。大人三人に和やかな空気が漂い始めたとき、地の底から響くような低い声が聞こえてきた。


「いま……なんて?」


 ライルの声である。

 感情のこもらないその口調にコーディアの背筋が凍り付いた。


「ええと、彼女はムナガルのディルディーア人共同租界出身で、語学が堪能なのよ。ずっとフランデール語で生活をしていたのですって」

「そのあとの話です」

 息子の突っ込みにエイリッシュは、得心顔で頷いた。


「お嫁さんって言ったの。あなたのお嫁さんよ。かわいい子でしょう。こんなかわいいお嫁さんをもらえるなんてライルは幸せ者ねえ」


 エイリッシュは息子の地を這うような口調などお構いなしに無邪気な笑顔で嫁という言葉を連呼する。

「初耳です。今日だってマックギニス卿がいらしているとしか聞いてません」

「うふふ。そこはびっくりサプラーイズ的な? あなた決まったお相手がまだいないでしょう。ちょうどマックギニス卿が娘さんの結婚相手を探していらしてね。わたくしぜひにと立候補したのよ」

「本人の意思関係なく立候補……ですか」


 無邪気な少女のような母の言葉にライルは呆れたような、怒りを抑えたような、あきらめたような声色を出した。

 もしかしたら全部なのかもしれない。

 そろりと隣の父の気配を伺うと、彼はこのなりゆきに動じることもなく、口を挟む気配もない。


「あなたもそろそろ結婚なさいな。侯爵家の跡取り息子なのですからね」

 その一言でライルは反論する意思をなくしたようだった。

 コーディアは間近で本物の貴族を見た気分だった。


 いや、本物なのだが、コーディアにとって本国の貴族なんて物語の中のことだった。ムナガルの各国大使は確かに本国から派遣された貴族階級だったが、一介の学生であるコーディアが気軽に会える人物でもなかった。


「娘はこちらの生活に不慣れですがじきに慣れましょう。必要なものがあれば遠慮せずにケイヴォンにある私の事務所の人間に申し付けてください」

「ええ大丈夫ですわ。わたくしがそばにおりますもの。インデルク流の生活をきちんと教えますわ」

「母上、一体どういうことですか」

 親同士の会話に不穏めいた気配を感じ取ったライルが口を挟んだ。

「あら、マックギニス卿は多忙だもの。だからコーディアは今日から我が家で花嫁修業も兼ねて滞在してもらうのよ」


「なんですって」


「部屋は余っているのだし、ここはわたくしたちの屋敷だもの。別に行儀見習いの少女を置くくらいいいじゃない」

「なっ……」

「あなた、ここ最近わたくしがお部屋の模様替えをしていてもまったく気づかなかったものねえ」


 エイリッシュはころころと笑った。

 図星だったようでライルは黙り込んだ。

 コーディアはぽんぽんと進むインデルク語に目を白黒させる。


「ほら、おまえからも何か言いなさい」

 ヘンリーに小突かれたコーディアである。


「え、っと。その……。ふ、不束者ですが、よろ……よろしくおねがいします」


 緊張からしどろもどろな口調になってしまった。最後にお辞儀をして、そろりと上を窺う。

 と、またライルと目が合ってしまい慌てて視線を下へずらした。


「こちらこそ、よろしく」

 彼の言葉が聞こえてきた。本音はどうあれ一応迎えてくれる気はあるらしい。


「さあさ、せっかくだからあなたのお部屋へ案内しましょうか。船の旅からずっと気が休まらなかったでしょう。今日からここがあなたの家になるのだから気兼ねなく何でも言ってちょうだいね」

 彼女に先導されてコーディアは応接間を出て階段を上がってあてがわれた部屋へと連れて行かれた。


 部屋の中にはコーディアの少ない荷物がすでに到着しており、小間使いたちが長持ちを開けてドレスの整理を始めていた。

 そこでコーディアは自分付きになる侍女のメイヤーを紹介された。

 部屋の中を一通り案内され(なんと寝室と居間と衣裳部屋と浴室に分かれていた)次に下に降りたとき、すでに父の姿はなかった。


◇◇◇


 朝。薄暗い部屋でコーディアは目を覚ました。重たいカーテンのせいで部屋の中に火の光が入ってこない。きっと今日も曇りなのだろう。ムナガルとは光量が違う。


 コーディアは身を起こした。

 分厚い上掛けにくるまって眠る必要があるくらい夜は冷える。

 といってもまだ秋も始まったばかりで寒さは序の口らしい。ぶるりと身を震わせたコーディアには冬の寒さなど想像もつかない。


 何しろ生まれて十七年、夏しか季節が無い国で生活をしていたのだ。

 フラデニアで育ったドロシーがムナガルの暑さにうんざりしていたが、冬がないのは嬉しいと言っていた。

 冬という概念は物語の中の話だった。


 コーディアは寝台近くに置いてある肩掛けを羽織って、寝台近くにある紐を引いた。

 ほどなくするとメイヤーを筆頭に侍女が入室し、コーディアの支度を整えていく。


 使用人を使う生活も初めてだ。

 一応寄宿学校でも召使はいたが、ここまでなにもかも彼女らに任せるということはなかった。コーディアが寄宿学校時代に習ったのは一家に一人くらいは雇うようになるはずの女中の使い方であって、貴族の奥方として何人もの使用人にかしずかれることではなかった。


 朝用の室内着にそでを通したコーディアは階下へと向かう。

 朝食はいつもエイリッシュがよく使う小さなサロンで取っている。

 男性陣はその日の予定により早い時間に取っていることも多い。


 サロンにはすでにライルの姿があった。

 朝食は食べ終わっているのだろう、コーヒーを片手に新聞に目を通している。


「おはよう、コーディア。よく眠れて?」

「おはようございます。エリーおばさま。よく眠れました」


 コーディアは慌てて席に着席をした。

 この中では一番遅い。

 居たたまれない。


「ああ、いいわあ。あなたにエリーおばさまって言われると、わたくしドキドキしちゃう」

 エイリッシュは朝から上機嫌だ。


 コーディアがデインズデール侯爵家で暮らすようになって数日が経過していた。

 エイリッシュはコーディアがこの屋敷で暮らしているだけで機嫌がよいのか、いつもにこにこしている。


「おはよう」

「あ……おはよう……ございます」

 ライルの短い挨拶にコーディアもなんとか返事を返した。


 寡黙な彼とはまだあまり会話らしい会話をしていない。

 ライルはコーディアの返事を聞いて、それからすぐに新聞に視線を戻した。


 コーディアはライルに視線を移した。

 端正な顔立ちをしている青年だ。彼はあまり表情が豊かな方ではないようで、屋敷に住まうようになってから、彼の笑ったところはまだ見ていない。

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