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「今日はね、インデルク語の先生がきたあと、仕立屋がドレスを届けに来てくれる予定よ。ああそれと、昨日注文した別の店から連絡があって、ドレスが仕上がるのは五日後ですって。帽子屋からも同じ連絡が届いていたわね」

 エイリッシュの軽やかな声が響く。

「そうだわ、せっかくだから『マリーア』でも仕立ててもらいましょうか。最近若い子たちの間で人気なのですって。あなた、何色のドレスがお好みかしら」


「えっと……」

 流れるようなエイリッシュの会話に付いていくだけで必死になる。彼女は一体いくつの仕立屋と懇意にしているのか。

 コーディアはすでにもう三軒の仕立屋から採寸された。


「母上。いったい何着ドレスを作るつもりですか」

 ライルが口を挟んだ。声に呆れが混じっている。


「あら、コーディアはずっとムナガルで生活をしていてこちら用の衣服はほぼ持っていないのよ。こちらで生活をするんですから一式必要でしょう」

「それにしたって多すぎです。彼女は母上の着せ替え人形じゃないんですよ」

「いいじゃない。あなたでできなかったことを楽しむくらい」


 エイリッシュは唇をつき出した。

 ライルと違いエイリッシュは感情表現がとても豊かだ。顔の表情もころころとよく変わり少女のようなしぐさをすることもよくある。

 実際彼女の言う通り、屋敷に到着をした翌日には仕立屋が呼ばれていて採寸をしてたくさんのドレスを試着した。


 店にあるドレスの中でコーディアの寸法に合いそうなものをいくつか持ってきてもらい、その場で細かな直しをしてもらい買い取ったものと、一からコーディアの体にぴったりと合うように作ってもらう夜会用のドレスや訪問着など、すでに何着も買っている。


「コーディアもたくさんのドレスに囲まれて楽しいでしょう」

 矛先がこちらに向いたのでコーディアは困ってしまった。

 今まで寄宿学校の制服を常用していたのでこんなにも衣服をとっかえひっかえしたことがなかった。

 これが貴族の標準なのかと問われたら、頷くしかないような気もする。


「ええと……毎日新鮮ですが……。その、お金は大丈夫なのでしょうか?」


「あら、大丈夫よ。実はね、ヘンリーからあなたのインデルク生活の支度のためにっていくらか支度金を預かっているの」

「はあ……」

 たしかにそんなようなことを父が言っていた気がする。


 ライルがため息をついた。

「それは彼女のためのものであって母上の人形遊びのためではないでしょう」

「人形遊びってコーディアに失礼だわ。わたくしはこれからの生活に必要なものを買っているだけです。あなたに女性の何がわかるのよ。だいたい、コーディアと一緒に生活をするようになってあなた、ケイヴォン散策の一つでも誘いなさいな」

 親子げんかの様相を帯びてきたが、コーディアも巻き込まれた事態になった。


「私は忙しいんです。急に言われても予定というものが立て込んでいて、すぐには開けられません」

「あらそう」

 エイリッシュはすました声を出し、テーブルの上にあるベルを鳴らした。

 ほどなくして若い男性が入室する。


「エイブを呼んできて頂戴な」

「かしこまりました」

 男は慇懃に礼をし、ライルは眉を持ち上げた。

 間を置かずにライルと同じような年頃の金髪の男性が入室してきた。彼はエイブ・ディーケンスといってライルの従者だ。


「エイブ、あなたライルのスケジュール調整をして頂戴。コーディアのケイヴォン案内をライルにしてもらいたいの。いつならできるかしら?」

 にっこり笑ったエイリッシュの言葉にエイブは上着の内ポケットから革製の手帳を取り出した。


「三日後の午後二時からでしたら可能です」

「あら昼食も一緒に取りたいわ」

 彼はエイリッシュの要望を聞き手帳を見つめる。


「それでしたら六日後なら可能でございます」

「そう、だったら仕方ないわ。三日後にしましょう。どこか、そうね……お茶でもしてきたらいいわ。コーディア行きたいところはあるかしら?」

 エイリッシュとライルの視線を浴びたコーディアは空腹に耐えかねてパンをちぎっていた手を止めた。

 それからうーんと租界に住んでいたころ、友人たちと話した他愛もない会話を思い出す。


「あの……わたし、百貨店に行ってみたいです」


「あら、いいわねえ」

 エイリッシュが弾んだ声を出す。


「あんなところ貴族の行く場所ではない」

 対するライルの声は厳しい。


 コーディアはびくりと背を震わせた。

 それを見たライルは少しだけ気まずげに視線を逸らしたが、コーディアは気づかなかった。


「あなたって本当に固いのねえ」

「百貨店というところは中産階級を主な顧客としているところですよ、母上」

「あら、上階のパーラーで出されているアイスクリーム、評判がいいって話よ」


 アイスクリームと言う単語をコーディアの耳が拾った。

 暑いムナガルでは絶対に作れなかった西大陸風の菓子のうちの一つが冷たいアイスクリームだ。


「いえ、いいんです。その……友人から話を聞いたり、新聞で読んでちょっと興味を持っただけなので」

「きみは新聞も読むのか」


 これも駄目だっただろうか。

 活字好きなコーディアは新聞にも目を通していた。といってもムナガルに到着するころには新聞の伝える情報もだいぶ古い物になっていたが、社会情勢や政治欄ではなくて、主に生活情報欄や短編小説を読んでいた。寄宿学校の生徒たちの数少ない楽しみでもあった。


「淑女は新聞など読むものではない」

「……はい」


 コーディアは反論せずに頷いた。

 実はメンデス学長も苦い顔をしていたからだ。


「あら、わたくしも新聞くらい読むわ。面白いじゃない」

「母上。話をまぜっかえさないでください」

「あなたがいちいちお堅いのよ」


 ライルはため息一つついてコーディアに「他に行きたいところは?」と聞いてきた。

 本当はもう一つ気になる場所があったが、これを言ったら絶対に彼は呆れるだろう。短い会話の中でライルが女性に何を求めているのか、なんとなく分かった。


「ええと、聖カール大聖堂とか……気になります」

 今度は無難な観光名所をあげておく。

 ケイヴォン市内に建てられた大きな聖堂ならば大丈夫だろう。


 ライルが頷いた。

 よかった。今度は正解だったらしい。


「そうだな。帰りに王宮の外側や市庁舎、裁判所などにも案内する」

 彼はそう付け加えた。


「あなたったら本当に……」

 社会科見学のような面白みのないコースを羅列するライルに、エイリッシュは額に手をやった。


◇◇◇


「お嬢様、お召し替えのお時間でございます」

 インデルク語の教師が帰った後、メイヤーからそう告げられた。

「は、はい」


 職務に忠実な優秀な侍女は家令の父を持つという。黒髪黒目の彼女からは感情らしきものを読み取ることができない。

 淡々とした侍女にコーディアは付き従う。

 貴族は日に何度も着替えをすると聞いていたけれど本当のことだった。

 学校にいたときも、暑い日はドレスを変えたりしたけれどそれは必要に駆られてだ。ケイヴォンは暑くもないし、むしろ寒いくらいで普通に生活をしている分には着替える必要性が感じられない。


(こんな風に思うのはきっとわたしがムナガル育ちだからなのよね)


 コーディアはメイヤーにされるがまま気つけられていく。着せられたのは部屋着にしては少し飾り気の多い服で、彼女はそのままコーディアを鏡台のまえへ連れて行き髪の毛を整え始める。


「奥様からコーディア様をお連れするように申し付かっております」

 何も聞いていないのにメイヤーはよどみなく答えた。

 鏡越しにコーディアのもの言いたげな表情を確認したのかもしれない。


「ええと……お客様がいらしているの?」

「さようでございます。ご挨拶がてら紹介されたいとのことです」

「わかりました」

「わたしに丁寧な言葉は必要ありません」

「あ……ごめんなさい」

「この場合謝罪も結構でございます」

「け……結構?」

「必要ございませんということでございます」


 メイヤーの淡々とした口調がコーディアの胸に突き刺さる。

 家庭教師からは正しいインデルク語の発音を習っている。どうにも慣れ親しんだフランデール語の発音に引きずられてしまうからだ。


 今だってインデルク語が出る前に最初にフランデール語で言葉を考えている。ずっとフランデール語で生活をしていた。この癖はしばらく消えてくれそうにない。


 コーディアは顔を曇らせる。

 メイヤーの発音は完璧でとても美しいインデルク語を話す。

 その彼女の前で自分がインデルク語を話すと、内心けなされているのではないかとびくびくしてしまう。仕える主人がちっとも貴族らしくなくてがっかりしているのでは、と気に病んでしまうのだ。


「できあがりましたわ」

「ありがとう」

 コーディアは立ち上がって部屋から出て行った。


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