竜の爪は愛を知らず・12
上に出てみると、既に暗かった。
夕方になり、雨季に特有の大雨が降っていた。
うっかり長居をしてしまった。雨が上がるまで、王宮に戻ることはできない。だが、雨よりも何よりも、越砂の様子のほうが尋常ではなかった。
一人の少年の上に馬乗りになり、首を押さえつけている。その横で、留架と緑青が、仁王立ちしていた。
「いったい何事だ?」
流緒が慌てて越砂を立ち上がらせると、下になっていた少年は逃げ出そうとした。すかさず、留架が足を取った。少年は再び床に倒れ、くそ……と小さく声を上げた。
「さあ、言ってみろよ! この金をどうしたのか、流緒様の前で!」
緑青が振った袋から、全く似合わない金ぴかの板が数枚転がり出た。五葉という大金である。
越砂が流緒の腕の中で、激しくなじった。
「
少年は、
どうやら、越砂たちとは仲が良くないらしい。ちっと舌打ちしながら、つばを吐いた。
「ひどいこと、したじゃないの?」
一番小さな茶々まで言う。
多比は、ぎろりと流緒をにらみ、すぐに下を向いた。
「何もひどいことなんかしてねえ。ちょっと話をしただけだ」
流緒の手を振り切って、越砂が再び多比に飛びかかった。そして、思い切り殴りつけた。
「何が話だ! あることないこと、べらべらしゃべって金もらって! そこまでして、金が欲しいかよ!」
「ああ、欲しいよ! おいらには、母ちゃんがいるからな! おまえら、孤児とは違うんだ!」
再び越砂が多比を殴ろうとしたので、流緒は後ろから越砂を羽交い締めにした。
「離せよ! こんなこと言われて! こいつの根性を叩き直すんだ!」
「だめだ! 殴っても解決にならないぞ!」
流緒の言葉を無視して、緑青が多比の頭を蹴り上げた。
「よさないか!」
よく事情もわからずに、流緒は叫んでいた。
「こいつ……。金欲しさに、流緒様のことを悪くいったんだ」
ぼそっと留架がつぶやいた。
その日、多比は大通りで物乞いをしていた。
すると、身なりの良い女性が近づいてきて、貧民窟の出かどうかと訪ねた。そうだと答えると、いきなり金を握らせていて、最近、貧民窟に入り浸っている竜人のことをきかせてほしいと言い出した。
多比は、お金を受け取り、望み通りに話をきかせた。すると女性は少しだけつまらなそうにした。
「その話では、お金はもう出せないね。でも、もう少し付け足してくれたら、こちらも少し付けそう」
そういって、金をもう一枚出したのだ。
多比が話をすると、女性はつまらなそうな顔をした。そこでもう少し脚色して話をした。それでもまだつまらなそうだった。そのやり取りが何度か続くと、女性はとても満足して、さらに金を出した。
「今の話を……ある人の前でしてくれたら、この倍のお礼をあげる」
「それでお前は、紗羅様の前で、流緒様が葉希を金で買っているって、話したんだな! 金欲しさに!」
越砂が怒鳴ると、多比も怒鳴り返した。
「仕方がないだろ! おいらには、母ちゃんの薬代が必要なんだ! いつもチャラチャラいい布を被って歩く王子様のこと、少しくらい悪く言ったって、罰はあたらないだろ!」
「あたるぞ! 竜神様が、そんな嘘を認めるか!」
子供たちが、多比を袋叩きにしだした。が、流緒は呆然としていた。
どういう状況なのか、なぜそのような事態が起きたのか、よくわからなかった。
ただ、気になることは……。
「……紗羅は……どうしていた?」
子供たちの手が止まった。唇を拭きながら、多比はうつむいた。
「別に……。顔色ひとつ変えていなかった。恐れ多くて、あまり見れなかったけれど……最後には、『よく話してくれました。ありがとう』って、お礼に菓子をくれた」
流緒の脳裏に、蒼白な顔の紗羅とその横で微笑んでいる珠耶の顔が浮かんだ。気丈な態度で、にこやかにお礼をいう紗羅の声色さえも見えるよう。
血の気が引いた。
珠耶は、土夏との縁組みに乗り気である。そのためには、流緒が邪魔なのだ。
子供を利用するとは、何とも卑怯で稚拙な謀である。浅はかな珠耶らしいやり方だ。だが、今までにないほど、流緒と紗羅の間はぎくしゃくしている。紗羅は、信じてしまったに違いない。
――一刻も早く、誤解を解かないと!
流緒は、永遠に紗羅を失うだろう。
「睡世、帰るぞ!」
「ですが……雨です」
冷静な声に苛つく。確かに、外を見ると、大雨で歩くのも大変そうだ。
「私一人で先に帰る! 紗羅が心配なのだ」
せめて雨がやむまで……の制止も聞かず、流緒は外に飛び出した。
とたんに、殴られたような衝撃を頭や肩に感じる。天が割れたような雨だ。
しかし、いても立ってもいられない。流緒は、足早に歩き出した。が、奇妙な気配を感じ、振り返った。
振動が、地面を伝わった。
まるでゆっくりと、どどど……という音を生み出しながら、何かが傾き、消えていった。後は、水煙に包まれて見えなくなった。
貧民窟の一部が、崩れたのだ。
流緒の目に崩れゆく日干し煉瓦の赤が残った。足は、すっかり止まっていた。ただ、雨だけが消えた建物があった場所を洗っていた。
呆然とする流緒の近くに、音を聞きつけて人々が飛び出してきた。その中で、ひとつ小さな影が、流緒の前を走り抜けた。
「かあちゃん!」
多比だった。崩れた場所は、多比の家だったのだ。
「
誰かが言った。
「では……! 生き埋めではないか!」
流緒が叫ぶと、ひそひそと小さな声が響いた。
「……あんな方法で金をもらうなんて……やはり、竜神様の祟りか……」
「違う!」
そう怒鳴ると、流緒は走り出していた。多比の後を追いかけて。
日干し煉瓦は、さほど弱くはない。
乾季はもちろん、雨季の雨にも充分に耐えうる。ただし、毎年の修繕を怠らなければ……。
既に見捨てられて壊れかけた建物群である。何年も修繕はなく、人々は壊れたままの建物に、皮を張った屋根を付けて生活していたのだ。
多比は、泣きながら崩れた煉瓦をよけている。時折、母親の名を呼びながら。だが、どう考えても、きりがない。しかも、暗くて足元もよく見えない。
「睡世! 何か掘るものを持ってきてくれ!」
泥にまみれながら、流緒は叫んだ。多比よりも力があるとはいえ、手作業では埒が開かない。しかも、掘った先から水が土砂とともに流れ込み、台無しになてしまう。
それに、今夜に限り、雨がやまない。葉希が持ってきた明かりは、油が安物のせいか、雨に打たれて直ぐに消えてしまう。
ああ、我が身が竜であったなら――流緒は、生まれて初めて紗羅を救う以外のことで、竜神の力を求めた。すでに力は得られないのだが。
それでも、住人のほとんどが手伝い、どうにか多比の母親を掘り出すことができた。だが、既に息はない。泥だらけの屍は、睡世の家のひさしの下に運びこまれた。
「か、母ちゃん!」
多比がすがりつくも、屍は何も言わない。
人々は沈痛な顔をしながら、目をそらせ、自らの顔を泥を拭ったりしていた。言葉はなかった。
流緒は、人々と離れ、外に出ていた。
人々の切なそうな感情の中に身を置くのは、慣れていない。なぜか息苦しくなって、耐えきれないのだ。
雨が泥だらけの体を洗い流してくれる。他の人ほど濡れることをいとわないのは、竜人の血のせいかも知れぬが、それで多比の母を救う事はできなかった。
「……母……か」
多比の泣き声が、井戸に捨てられてもなお生きて、母を呼んだという赤子を思い起こさせる。とすれば、その赤子――流緒が母を殺したようなものだ。
死ねばよかった。そうすれば、今の苦しみはなかった。
だが、次にあがった多比の声に、流緒の血は逆流した。
「おいらが……おいらが悪いんだ! 罰が当たったんだ! 母ちゃんを殺したのはおいらだ!」
流緒は慌てて家に入ると、母親にすがりついている多比を突き飛ばした。
「どけ! 竜神はそのようなことで祟りはせぬ!」
「流緒様!」
葉希が、多比を助け起こしながらも、抗議の声を上げた。
だが、流緒は干良の手を取り、その場に座り込んだままだった。
――これが祟りでないならば、どうか
いかに古の竜巫女が死人を生き返らせていたとしても、万に一つの可能性もない。
だが、流緒は祈らずにはいられなかった。
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