竜の爪は愛を知らず・7


 一瞬、耳を疑った。

 竜神の末裔といえば、王族のことである。つまり、紗羅と血縁を意味する。

 睡世は淡々と続けた。


「人として老師様に育てられたおかげで、血の特徴は目に少しと白髪と脇腹の鱗のみで留まりましたが」


 信じられない。

 が、思い起こせば、人嫌いする流緒が、睡世だけには安心するところがあった。珠耶の間者と誤解しつつも、である。

 それは、血が呼び合ったのだろうか?


「どういうことだ? なぜ、おまえが竜神の末裔なのだ?」


 動揺を隠せないまま、流緒は疑問をぶつけた。

 汝水が、つぶれた目を見開いた。光を受け付けない目玉は、開いたとたん、まるで竜人のように裏返り、白目だけを表にした。


「王子よ。今の沙地の王族は、過去の沙地の竜巫女の直系ではない。最後の竜巫女は名を風香ふうかといった。竜人の弟との間に一人、子を儲けたが男だった。長く続けた近親婚のせいで、男に白雉の因子が伝わるのはご存知じゃろう? おそらくその子は地底湖のほとりで命を落としたと思われる。今の王族は、風香の双子の姉である紅蓮ぐれんの血筋なのじゃ」


 ということは、王族は、竜巫女の力を得なかった女の子孫。

 にわかには信じがたい話だが、歴代の王が、紗羅を例外にして竜人に出なかったことを思えば、納得がいく。


「だが、風香には、従者との間とされた女児がいた。近親婚でなかったことから、七歳で里子に出されて命拾いをしたのじゃよ。盧葉はその子孫じゃ」


 ――竜巫女直系の子孫。


 ならば、紗羅よりも睡世のほうが王にふさわしい血筋と言える。

 これが事実だとしたら? 


「……信じがたい。では、なぜに竜巫女の血ではなく、その姉の血を探して王位につけたのだ? わざわざそのような面倒を」


「風香は娘の目の前で切り裂かれたのじゃ。当時、娘は十七歳で多感な頃。狂気の声をあげて、征服者を呪ったと言われておる。しかも、その後に竜神の祟りがあってはのう。沙地を食い尽くした異民たちは、すっかり復讐を恐れて、彼女に王位を与えるどころか、気の病として幽閉したのだよ」


 流緒はすっかり押し黙ってしまった。

 今まで読んだ文献との整合性もあり、もっともらしい話だ。しかも、この汝水が本当に先王の占い師であったとしたら、ますます信憑性が増す。

 だが、それ故に疑心暗鬼ぎしんあんきが募る。


 そのような血筋がおおやけになれば、紗羅はいったいどうなることだろう?

 常に女王であるべきと育てられ、幼い日々からそう振舞ってきた紗羅は?

 彼女の血が分流であれば、何らかの支障が出るのは?

 はたして女王でいられるのか?


 他国の軍勢が紗羅を殺そうとするならば、流緒は紗羅を守ることができる。だが、政の権力闘争に巻き込まれたならば、何の力もない。

 流緒は国の政に疎く、何の要職にもついていなければ、権力もない。力もなければ結託する仲間もいない。守るどころか、紗羅の足を引っ張る存在になる。

 察したのか、睡世が口を挟んだ。


「流緒様、誤解なさらぬよう。私は、紗羅様を廃して己を王位に据えようとは思っていません。むしろ、紗羅様をお守りしたいのです」


「紗羅は私が!」


 守る……と、怒鳴りかけて、流緒は唇を噛んだ。

 たった今、守れそうにないと思ったばかりである。たかが付き人と侮って睡世を敵にすれば、大事な紗羅を、悲惨な政変へと導いてしまう。

 睡世は軽く目を伏せた。


「確かに私の正体を知れば、自らの権利拡大のために、私を担ぎ上げる者が現れましょう。その力に、私は抗えぬかも知れません。故にとことん身を偽ることにしたのです」


「抗えぬならば、私はおまえを殺す!」


 かっと頭に血が上る。思わず流緒は立ち上がった。


 ――紗羅を不幸になど、させるものか!


 その言葉だけが、流緒の頭にがんがんと鳴り響いた。

 拳を握りし睡世に迫るも、睡世のほうは穏やかで無抵抗だった。


「つい回ってしまう眼球を止め、染まることのない白髪も眉も剃り、親からもらった名を変えたのでございます。その気持ちを汲んでくださいますよう」


 くるくると回ってしまう紅の目を、流緒は抑えることができない。

 幼い日々から、気持ちが悪い、不吉だと言われ、ひどい折檻を受けてきたにもかかわらず……だ。

 流緒は小さくため息をついた。


「では、おまえは何を望んでいるのだ?」

「竜神信仰の復活を」


 睡世は深々と頭を下げた。



 神は人の心を支配する――

 ――国の支配ごときに何の意味がありましょうや。

 



 帰り道も、流緒の頭は混乱していた。汝水の言葉がこだました。

 竜神信仰の復活のためには、流緒と紗羅の婚姻が必要――睡世も汝水も口を揃える。睡世が、流緒と紗羅の逢瀬を見逃していたのも、道理である。


「竜神信仰の時代では、あなたと紗羅様の婚姻は、ごく当然のこと」


 睡世は淡々と言う。

 だが、今の世ではこの婚姻を正式とはできない。誰もがおそらく後ろ指を差す。兄妹のまま、結ばれるのは、異国の教えにより禁忌であるから。 

 壁伝いの道を歩きながら、今はとても遠い紗羅のことを思う。


 妹には日向で輝いていて欲しい。いつまでも……。

 たとえ、この身が日影しか知らないとしても。


 それが、流緒の願いだった。

 ところが、忍びあって体を重ねるうちに、よこしまな欲情に囚われてしまった。日向で輝くべきはずの妹を、闇のしとねに留め置き、この手で壊してしまいたい。その欲望に抗えずにいる。

 この世には、紗羅を陥れる種がたくさんあるというのに?


 ――竜人の力など使わなくても、私はこの国を守ってみせる――


 その言葉は、言うには易く行うは難い。

 国を守るどころか、竜人の兄と契りを交わす女王など、民は認めるのだろうか? その隙に、睡世を王にと推す者が現れたら? いや、この男にそのような下心はないだろう。


 だが……。


 事実を知れば知るほど、未来は混沌としていて、闇に包まれている。

 いっそこのまま、何も動かないままだったら、昨日と同じ明日が続くのだろうか? そっと黙って日々を過ごして、何事にも触れず、何も見ようとしなければ。


 もしも、岩屋に閉じこもったままの子供であったら?


 ふと、流緒は昔を懐かしく思った。

 幼い日々のまま、遠くで憧れる妹のままであったなら、肉欲という名の浅ましい竜は、眠り続けていただろうに……。

 何もしないほうが、よほどよかった。

 触れてしまったばかりに、眠る竜を起こしてしまった。


 もはや、紗羅とは一緒になれぬ――


「睡世。もしも、私が紗羅と結ばれなかったら、どうするのだ?」


 睡世は即答した。


「私が紗羅様と結婚します」

「貴様っ!」


 思わず全身に血が巡る。発作的に睡世の首に手をかけた。その手に睡世の手がかかる。視線が正面から絡んだ。


「ご冗談の通じない方だ。私には妻がいる」

「……うっ」


 全身から力が抜け落ちた。

 流緒の紅玉の目は、恥ずかしさもあって何度も何度も回転し、睡世の微笑みを誘った。すっかり葉希の存在を忘れかけた。それほどまでに、きつい冗談だった。

 睡世は、襟元を整えた。が、再び真顔になった。


「ですが、流緒様が動かないのであれば、冗談では終わりません。私は妻を捨てても、この本願を達する所存」


「何!」


 信仰のために葉希を捨てる。あれほどまでに明るくかわいい妻を。

 流緒の眼球が動きを止める。虹彩が鋭く弧を描く。まるで爬虫類の目。だが、その目を見つめる睡世の瞳も、一瞬きゅんと縮まった。

 その瞳は紗羅と同じ群青である。

 この男を好いたのは、おそらく竜人の血故だろう。だが、真実を知ってしまうと、不安になる。


 ――紗羅をとられてしまうのでは?


 紗羅と睡世――いや、盧葉の結婚は、同じ竜神の末裔でありながらも、血が離れているだけに異国の教えの範疇はんちゅうであり、世論を味方につけやすいだろう。

 不安がどんどん募ってくる。


「何をお考えになっているのです? 紗羅様のお心は、既に決まっているというのに。流緒様がこのままでは、異国の王子にとられます。それぐらいならば……ということです」


 不機嫌そうに、睡世は呟いた。

 その後、二人はすっかり無口になり、ただ黙々と歩き続けた。



 王宮の門に近づいた頃、流緒は足を止めた。


「睡世、おまえは帰るのだ」

「はい? 今帰り着きましたが?」

「いや、違う。葉希の元へ帰るのだ」


 睡世の瞳が、珍しく裏返り、くるりと元に戻った。

 正体を明かして気が緩んだのだろう。まさに竜人の目だった。


「私は、流緒様にお仕えしております」

「だから、その私が命令するのだ。おまえは、家に帰るのだ」


 睡世はない眉をひそめた。


「私はお払い箱なのですか?」


 流緒は、睡世を疑っていた。どうやら睡世も同じらしい。

 あまりにも突然な話で、同じ竜の血を引きながら、未だ同志にはなれないでいる。

 流緒は、被り物の内側で笑った。


「いや、ただおまえたちの話を聞いて、いかに紗羅を愛していても、目的のための道具にはなりたくはないと思った。それに、おまえにも道具にはなってほしくはない。葉希はいい女だ。泣かせてほしくない。それに……」


 それに――竜人ならば、どうやって肉欲を抑えていたのだ? と、聞きかけて、流緒は口ごもった。さすがに恥ずかしくて聞けなかった。


「それにもう夕だ。雨が来るまでに行ってやれ」


 紗羅のことを思えば、絶対に敵に回してはならぬ男だ。彼は、己の望みとあれば、荒々しい竜の血を解放して、沙地の国を破壊することができるだろう。

 素直に信じるには、危険が伴う男なのだが……。

 流緒の言葉を聞いたとたん、睡世の顔が明るくなった。口元から微笑みがこぼれ落ち、恥じたのかうつむく。


「ありがとうございます。明日の朝には戻ります」


 深々と頭をさげ、来た道を急ぎ足で帰ってゆく睡世を見送って、流緒も思わず微笑んでいた。

 危険が伴うのは、誰も一緒だ。

 風向きひとつで、人は敵にも味方にもなる。

 だが、疑うよりも信じよう。彼は、紗羅の味方――つまり、流緒にとっても味方だと言った。同じ血を持つ仲間として、信じられる男だ。

 いや、それよりも葉希とともにいる時の、穏やかな睡世が流緒の目に焼き付いてる。

 あれこそが、睡世の本来あるべき姿であってほしい。

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