竜の爪は愛を知らず・3


 夢の中で、流緒は何度も紗羅を犯した。

 何度も押し入り、何度も壊し、滅茶苦茶にして、食い尽くした。紗羅はなすがままに体を開き、淫らな姿で流緒を誘った。

 が……。

 気がつくと、紗羅を組み強いているのは自分ではなかった。流緒は、それを見ているだけだ。

 見知らぬ土夏の王子が、流緒だけが見ることができる紗羅を見つめ、彼女の大腿に頬ずりする。そして、彼のものを紗羅に押し込み……。


「あああっ!」


 夢の中の紗羅の悲鳴とともに、流緒は飛び起きた。


「いかがなされました?」


 声は、睡世だった。

 どうやら、悲鳴は自分のものだったと気がつき、流緒は紅潮した。



 このような朝も、ふだん通りに過ぎて行く。流緒は憂鬱だった。

 布をすっぽりと被り、日差しを遮り、渡り廊下を歩く。まるで、囚人のような気分に陥る。

 向こう側から珠耶を引き連れて歩く紗羅の姿が見えた。まさに女王そのものだ。

 なんと、今日も土夏の衣装を身にまとい、子羊の手袋をしていた。これでは、まるで土夏の王子を婿にとると宣言しているようなものではないか?

 夢を思い出し、吐き気がした。

 流緒はあとずさりすると、そのまま身を翻し、足早にその場を去った。


 ――身も心も凍えるほどに冷やしたい。



 どのような季節でも、同じ環境を保つ場所――それが、流緒が育った岩屋である。

 風輪との争いの中、この場所は破壊され、今は深い洞窟となっている。白竜が飛び出した穴から水が湧き出て、古代の地底湖が蘇った。

 古の時代、この湖のほとりは、沙地の王族のみが許された神聖な場所であった。


 冷たい水に、流緒は身を任せていた。

 流緒は、真白の髪を水面に広げ、ただただ、ぷかりと浮かんでいた。かつて命を失い、この水に抱かれたように。

 どのような熱さが襲っても、この水は一定の温度。その冷たさが、流緒の燃え盛る肉欲を抑えてくれるはずだった。

 だが、場所が悪い。

 ここは、紗羅と流緒が初めて体を重ねた場所でもある。

 頭に浮かぶのは、人の身を捨てて流緒を救い出してくれた紗羅のことばかり。そして、初めての繋がりを持ったことばかり。

 それは、生を食いつくし、また吐き出すような激しさだった。人ならぬ身であったからこそ達した極上の快感――二人は内なる竜人の血に溺れた。

 それを人の身に戻った紗羅に、知らず求めてしまう。

 紗羅は人だ。そして、流緒は忌まわしい竜人の血を濃く持つ。


 その血に抗えない。

 何度も正気を保とうとした。だが、だめだった。


 思えば、かつてこの湖は、王族男子――竜人が幽閉されていた場所でもある。

 彼らは皆、餓えしかしらない先天的な白雉だった。食欲と性欲に支配され、この湖のほとりを彷徨っていたという。

 流緒の中にも、彼らと同じ血が流れている。とすれば、この場所で欲望を満たすことしか知らなかった彼らと、どうして決別できようか?

 竜神の力を得るために、古の竜巫女は時々この場所を訪れて、己が兄弟である彼らと交わった。

 もしも竜巫女が人であれば、彼らの欲望のはけ口となって、抱き殺されたかも知れない。だが、竜巫女は死んでも生き返った。


 ――死者をも蘇らせる力を持って。


 紗羅をここに連れ込めば?

 彼女が竜神の血を持っていれば、何度殺しても蘇るだろう――。


 恐ろしい考えが浮かんで、流緒は水に沈んだ。

 慌てて浮き上がり、顔を出す。ごほごほと水を吐き出す。


「紗羅は竜巫女ではない!」


 声に出し、我が身に怒鳴った。

 そう。竜神の末裔であっても、紗羅は人だ。人なのだ。

 竜神の血を持つ紗羅と流緒は、竜人として日々を送れば竜人となり、人として日々を過ごせば人となる。

 現に、かつては白竜と化身し、沙地を救った流緒だったが、今や、冷たい水に浸るだけで、唇が紫になってしまう。深く沈めば、人として命を失うだろう。


 いや……。

 身は確かに人に近づいたが、その実、心は竜人だ。


 流緒は泳いで岸辺にたどり着くと、ぶるぶると震えた。

 ふと、布をかける手があった。見上げると、睡世である。なんと、ここまで来て、流緒のしていることの一部始終を見ていたのだ。

 彼は何も言わない。ただ、流緒が脱ぎ散らかした衣装を拾い集め、じっと主人を待っていた。


「すまない」


 珠耶の間者と疑っていても、人の身に近くなっていた流緒にとって、乾いた布のぬくもりは救いだった。だが、ここまで体を冷ましても迷いは消えない。


「睡世。翼竜を用意してくれぬか? 行きたいところがある」


 どこへです? とも聞かず、睡世はうなずいた。




 かつて、白竜となって半日で飛んだ距離を、翼竜に乗って二日かけて飛ぶ。

 沙地の国は、大半が砂漠。だが、地下に大きな水脈を持っているおかげで、水と木々があちらこちらに点在する。故に、砂漠を渡る隊商の天国でもあり、異国に狙われる豊かな国でもあった。

 特に、今は雨季である。深い井戸に頼ることなく、水を使うことができる季節だ。川辺で水遊びする水牛やその世話をする子供達の姿が見え、流緒は思わず微笑んだ。

 紗羅が女王になって、もう少しで二年。風輪が去って一年が過ぎた。

 この国は安定した。ますます豊かになるだろう。彼女は、完璧な女王だ。

 だが、流緒にとっては。


 ――私はただ……流緒に側にいて欲しいのです。

 かつて、紗羅は泣きながらそう訴えた。


 流緒だけがわかる弱い紗羅。誰にも弱みを見せられない気丈な紗羅。

 流緒は、そんな妹を助け、支えになりたいと願った。

 それが、いったいどこで狂ってしまったのか? 流緒に答えは見つからない。

 まるで、国を追放された時のように、絶望している。



 あの頃。

 風輪との戦が佳境を迎え、国中が緊迫していた。

 民を鼓舞するため、忌み嫌われた王子は、すべての禍を背負わされ、国を追われた。

 流緒は、沙地の王宮を追い出され、通りをよろよろと歩いた。民人は皆、浅ましい竜人め、不幸の運び手め、と、心ない言葉と石を投げつけた。

 厳しい日差しは容赦なく流緒を襲い、わずかな布の隙間から肌を焼いた。


 なぜ、こうまでして生き延びているのか?


 体の痛みと心の傷に耐えきれず、流緒は砂漠を歩きながら泣いた。

 今までは妹のためだけに生きてきた。それだけが、生きる意義になっていた。だが、その妹に追放されたという事実が、流緒から生きる力を奪っていた。

 途中に点在する村々でも、竜人である流緒は、受けいられることがなかった。だた、人に隠れて水や食料をくれる親切な人はいた。食欲を満たしながらも、流緒は悔やんだ。


 食いさえしなければ、死ねたのに。


 だが、飲み食いしなくても、流緒は死ななかった。

 人であれば越えられないだろう砂漠を徒歩で渡り、竜人が住むという森にたどり着いた。

 おそらく実の父である竜神が、流緒をそこに導いたのだろう。森の奥深くに眠る滝に住み着いて、流緒は様々なことを悟るに至った。

 この世に生まれた本当の理由さえ――。



 翼竜を降りた流緒は、陽も差し込まない深い森に足を踏み入れた。

 長時間の飛行は、流緒を弱らせていた。被り物が風になびき、流緒の肌をさらしたため、あちらこちらに火傷を負っていた。

 竜人としての力を失っても、流緒は完全な人ではなかった。不都合なことに、竜人の容姿と弱みを残したままだった。

 真白の髪と血のような瞳。その眼球は爬虫類のように時々裏返り、唇からのぞく舌先は細く、二つに割れていた。ここしばらく脇腹の鱗だけは姿を消していたが、竜人の地底湖に浸ったせいか、再び生えていた。

 腐葉土の中をよろよろと歩き回り、やっとの思いで滝を見つけた。流緒は、倒れるようにして、川のなかへと入った。

 陽に焼かれた肌が癒されてゆく――やっと安らいだ気持ちになれた。

 疲れが癒えると、流緒は立ち上がり、滝の中へと進んだ。そして、手を広げ、激しい流れを身に受けた。

 しかし。

 かつて流緒を受け入れて、竜と化身させた力は、何度願っても訪れなかった。生きる意味を教えてくれた父の声も聞こえなかった。

 それどころか、人と変わらぬ身になった流緒は、時々、滝の流れを避けるようにして、呼吸しなければならず、かつてのように留まることができない。燃える血を冷ますことさえ、ままならない。


「いっそのこと! もう人であることをやめさせてくれ!」


 竜のほうがましだった。

 確かに強い憎悪と破壊欲に支配されたが、何もかもが紗羅を救うという願いに集約され、昇華された。

 今はこうして形ばかりは人に近いが、荒ぶる竜の心に翻弄されている。


 ――ここでも悟れぬのか! 何も教えてはくれぬのか!


 何度も何度も水を叩き、流緒は懇願し、泣いた。だが。

 竜神の滝は、何も流緒に答えなかった。

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