輝・2
物語とは何か?
私は、しばしば輝に聞いた。
もしも、輝があらゆる世界を巡って、語るべき物語を見いだしてきた存在ならば、それを聞かせてほしいと願った。
私の世界は小さい。
おぼろげに、外の世界を感じるものの、ここから出してもらえるはずもなく、本や人の話だけで知るものだった。それも、友がいない私には、難しいことだった。
だが、輝は一度たりとも物語を語ることはなかった。
「語り部であるのに、なぜ?」
「世界を渡り歩く時に、以前の物語は、その世界の語り部に託してくる。だから、私は常に真白の風なのだ」
「何か、語ってほしいのだが」
「おまえに語る物語はない。だか、ここから出してくれるならば、物語を探してこよう」
私はいぶかしんだ。
もしも輝を逃がしたら? 輝はここから旅立ち、二度と帰ってこないだろう。そのような取り引きに乗るほど、私は愚かではない。
「友と呼びながらも、信頼がないのだな? 約束する。この世界を旅立つ前に、この世界の物語をおまえに語って聞かせることを」
そのような嘘に乗るものか。
輝は、風のように去って、二度と戻ってこないだろう。
眠っていると、かたかたと音がする。
枕元においた虫籠が揺れているのだ。輝が逃げ出そうと、必死にもがいている。
私は、いつも知らぬふりをした。
目覚めてしまうと、輝は言う。ここから出せ、自由にしろと。
輝の自由は、私の孤独を意味する。友のいない私には、その願いを叶えることは、できない。
輝……。
この小さな世界が、おまえの世界。
おまえが、語るべき物語を見いだす世界。
私から逃げて、どこへでも行くな。
その日、輝はずっと静かだった。かたりとも音を立てず、逃げ出してしまったのか? と思えるほどに。
だが、私がいつものように話しかけようと虫籠を持ち上げかけると、急にチカリと瞬きして、言い出したのだ。
「見いだしたぞ、この世界の物語を」
輝は、目を輝かせた。
否、水面に映った私が目を輝かせたのだ。私の目元で、輝は光り輝いていた。
「それは、どのような物語だ?」
私は、使用人が持って来たぼろぼろの絵本や絵巻にある物語を思い出した。どれもこれも、今から思えば単調で子供向きの話ではあったが、私をわくわくさせるには充分であった。
だが、輝が語るだろう話は、それどころの物ではないだろうと、期待した。あらゆる世界を旅してきた風が語るのだ。きっとすばらしいに違いないと。
輝は、ゆっくりと語り出した。
「昔、ある王がいた」
王は、美しい妃をもらった。
二人は、とても幸せだった。
沙地の国の王宮には、砂漠とは思えぬ泉があり、美しい睡蓮の花が咲き乱れ、王と妃は、よくその庭を並んで歩いた。
だが、二人の間に生まれた王子は、竜人のとりかえっこで、爬虫類のような赤い目をもち、体は鱗で覆われていた。
妃は、その子を見て気が狂い、王宮の井戸に飛び込んで命を落とした。
王は、子供を憎み、殺そうとしたが、竜の血を持つ子は死ななかった。
しかも、王宮の長老たちが、竜人の子供を殺せば、竜神の祟りを免れぬと言い出したので、王は、子供を岩屋の奥に閉じ込めて、育てることとした。
子供は、誰にも愛されることもなく、岩屋の奥で、一人で遊び、成長し、ただ生きて、ただ年を重ねた。
「そして、長過ぎる天寿を全うし、死んでゆくのだ」
輝の顔はこわばっていた。
否、私の顔がこわばっていたのだ。
虫籠の中の輝は、光を失い、水面に映った私の顔は、色を失っていた。
「……まて。何かあるだろう? 岩屋から出て冒険するとか、喜ばしいこととか、苦しいこととか……」
「そのようなものはない。喜びもなければ、悲しみも苦しみもない。生きている意味もないから、死ぬ意味もない。ただ、そこに居たという事実だけが語られ、やがて忘れ去られるだろう」
まるで、高笑いするかのように、急に輝が輝いた。
「それが、おまえの物語だ」
私は、頭の中が沸騰するかのような、怒りを覚えた。今までかつて、これほど、感情に揺さぶられたことはないほどに。
気がつくと、私は虫籠を鷲掴みにして頭上に持ち上げ、次の瞬間には岩の上に叩き付けていた。
水しぶきが顔にかかった。
水滴が、きらめきながら、宙に舞った。光が煌めいた。
岩の上で、虫籠はばきりと音を立て、壊れて散った。
風が、私の頬を撫でて通り過ぎて行った。
(約束は……守ろうぞ)
輝は、最後に私の耳元で囁き、そして、消え去った。
私は、しばし呆然とした。
やがて、頬に水を感じた。虫籠についていた水滴ではない。涙だった。
それは……唯一の友を失った悲しみの涙……とも、少し違った。
輝と出会い、別れて――
私は初めて己の孤独を知り、絶望を知ったのだった。
私は、もう二度と虫籠を直して、何かを飼おうとは思わなかった。もう一人芝居の友人はいらなかった。真を知れば、偽の友の存在は虚しい。
毎日毎日、膝を抱えては泣き暮らした。
やがて、私は、輝の存在を疑い出した。輝は、私が作り出した妄想の友だったのかも知れない。
実のところ、今でもそう思う。
この身に背負った運命に身を委ねるのには、私は賢すぎたのだ。
いっそのこと、世に言われる竜人のように、白雉であればよかった。ならば、ただ、飯をくらい、一人遊びで満足し、日々怠惰をむさぼって、一生を過ごしても辛くはない。
そのような物語で、充分だったはずだ。
なぜ、この世に生まれてきたのか?
この世界にいる意味はあるのか?
などと、どうしようもない問いを繰り返すこともなかった。
役割を探していたのは、輝だったのか?
生きる意味を見いだしたかったのは、誰だったのか?
語る物語を探していたのは……。
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