麗しきかな・4


 耳元の産毛うぶげをくすぐられて、紗羅はますます体を硬くした。


「あ、嫌……」


 否定の言葉は額面通りに受け取られず、胸元に忍び込もうとしている手に手を重ねてやめさせようとしても、無駄だった。

 玉座が邪魔をして、抱きすくめられることはなかったが、後ろから押さえられて、身動きができなかった。


「兄様、戯れは……」


 首筋に口づけられ、紗羅は身をよじった。胸元の合わせが乱れ、肩が半分姿を現した。そこに流緒は顎を乗せた。


「兄ではない」


 確かに、流緒が不義の子であれば、紗羅とは血が繋がっていないことになる。だが、それを今、証明するものは何もない。

 いや、むしろ証明してしまっては、流緒が王子であることさえも否定することになる。


「名を呼んでくれ。あの時のように」

「兄……様」


 願いを聞き入れなかった罰なのか、優しく胸に触れていた指先が強く握りしめられた。

 紗羅は思わず小さな呻きを上げ、その声の恥ずかしさに紅潮した。

 時は正午。陽は南中している。

 王宮の謁見の間には、日差しこそ入らないが、透かし編になった窓の外は明るく、さわやかな風が入る。

 その風が、紗羅の頬の熱をかすかに冷ます。


「……いけません。兄様」

「なぜ? 我らは古の時代から、一つになって力を得た。それは定められていたこと」


 真昼時も風も、流緒の高ぶった気持ちを抑えることはなかった。

 手の中の柔らかい感触。と同時にまさぐられて硬くなる乳房の先端。指先でなぞると、紗羅はぴくりと反応した。

 かつて、この美しい妹をどのような苦難からでも救い出したいと願った。ところがどうしたことか、流緒にはこの苦痛に歪んだ顔すら愛しくて、更にいじめてあげたいと思った。


 ――もっともっと、みだらな紗羅が見たい。

 あの古の竜巫女のように。


 長年、手に届くはずのない者だった。

 だが今、紗羅は流緒の手の中で、どのようにでもなる存在だった。まるでなれた楽器がつま弾くたびに美しい音を響かせるように、紗羅もかすかに切ない声を上げる。

 今この瞬間、流緒は紗羅の支配者だった。

 胸を攻めている手を抜くと、紗羅はふっと息を漏らした。だが、その手は更に下を目指した。もう片手は、容赦なく紗羅の顎を押さえ、指先は唇をなぞっていた。流緒の唇のほうは紗羅のうなじを撫でていた。

 こうなると女王が座っている玉座は、流緒と紗羅をはばむ壁にしかならない。

 流緒は紗羅を押さえつけたまま、ゆっくりと玉座の回りを後から側面へと移動した。もっと紗羅を我がものとするために。

 ぐったりと玉座にもたれかかるようにして座っている紗羅は、女王でもあるが流緒の奴隷でもある。

 流緒は、紗羅の前に膝をついた。敬意を示すためではない。その太腿に手を伸ばし、秘められた奥の世界に押し入らんがため。


 だが。


「流緒様。お下がりください」


 背後から聞きたくもない声が響いた。

 そのとたん、紗羅はいきなりしゃんとして、玉座に座り直してしまった。すっかり我に返ってしまったらしい。

 女として見られたくない場面を、乳母であり、育ての親といえる存在の珠耶に見られてしまったのだ。

 真っ赤になり、硬直して、紗羅は座っていた。が、流緒のほうは透き通るような肌のまま、立ち上がり振り返った。

 そこには、唇をふるわせて拳を握りしめている珠耶の、厳しい顔があった。


「紗羅様は、公務の最中ゆえ」


 その目には、明らかに竜人に対する侮蔑の色がある。怒りの様は、顔面赤を通り越して赤紫ともいえる色になっていた。

 快楽の絶頂に達する手前で、崖に突き落とされた気分である。流緒もさすがに気分が悪かった。


 ――あともう少しで、紗羅のすべてを我がものとしたのに。


 窮地の時だけまるで竜人を神のごとくに崇め奉り、危機が過ぎれば恐れおののき忌み嫌う。

 珠耶のあからさまな態度が、いつも流緒を苛立たせる。

 それでも彼女は紗羅のためにならば、命を厭わない女――だから、流緒は耐えてきた。

 しかし、今回は我慢がならない。


「珠耶は知らぬか? 古の竜巫女は、男をはべらせて謁見したものだ。そうして力を得ていたのだ。おまえは竜巫女の力が欲しいのだろう? ならば、我が手に紗羅をゆだねるのが当然であろう」


 挑みかかるような目は、何度もくるくると裏返る。まるで珠耶を小馬鹿にしたような、笑っているような動きである。

 珠耶は、きりきりと悔しがった。


 ――竜巫女の力は欲しい。だが、流緒には紗羅を盗られたくはない。


 その矛盾した願いを、流緒は察していた。

 今度は本当に、にやりと微笑んで珠耶を睨みつけた。


「既に紗羅は私のものだ。下がるのは、おまえのほう……」


 流緒がそう言いかけた時だった。

 突然、紗羅が立ち上がった。


「兄様、お下がりください。部屋にお戻りになってください」


 乱れた髪を手で直し、かんざしを差しかえながら、紗羅は言った。

 流緒には信じられなかった。

 珠耶の瞳が、してやったり……と、輝きだした。

 唖然として立ちすくむ流緒の前を、紗羅は一瞥することもなく通り過ぎ、衣装の胸元を整えだした。珠耶が以心伝心の早業で胸元から手鏡を出す。


「珠耶、次の謁見の者を呼んできてください」


 凛とした紗羅の横顔を、顔色なくして流緒は見つめていた。

 明らかに、紗羅の顔には流緒に対しての怒りが見え隠れする。

 その様子をちらり……と、珠耶は見て微笑み、やや傾いてた紗羅のかんざしをまっすぐに直した。そして、満足そうにうなずくと、一礼してその場を立ち去った。


 流緒は、紗羅を手に入れたと思っていた。

 だが、思い違いだったのだ。

 紗羅は流緒を拒絶し、竜巫女の力を得ることを拒んだ。


 それは……。

 正しい。確かに……。


 流緒も、そうあるべきと思っていたことではあったのだが。

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