麗しきかな・2


 その頃、紗羅は謁見の間にて若い男の願い事を聞いていた。

 だが、その願いは、いにしえの竜巫女が持つような人ならぬ力でなされるものではない。


 紗羅は、流緒の命を呼び戻したあと、一ヵ月に渡って寝込んでしまった。その後、すっかり元気になったが、あの竜巫女としての力は、それっきりになってしまった。

 今の紗羅は、爬虫類のような目を若干名残に残すものの、その色は群青であり、流緒のように裏返ることもない。

 髪も不思議なことにかつての濡羽色に変わっていた。頬にも桃色が差し、ふっくらとしてきて、かつての紗羅に戻ったかのようだった。

 確かに竜巫女でもあるが、それよりも沙地の女王であった。


「わかりました。あなたの村の訴えは、心の中に留めておきましょう。帰りの旅路にも幸あることを」


 女王の言葉に、若い男はかしこまり、ありがたき言葉……とつぶやいて退席した。

 艶かしい口づけも、生々しい愛撫も、そこにはない。

 立派な玉座に座ったまま、紗羅は、ふう……と息をついた。

 それは、口づけを求めてではない。

 竜巫女の力がない女王には、民の願いを完全に聞き入れることは出来ないからだ。

 あの男の願いも、善処はするが、聞き入れられぬものだった。



 その様子を御簾みすの陰から、流緒はこっそりと覗いていた。

 男が紗羅にもう一歩近づこうものならば、警告を発するつもりで刀の柄に手をかけていた。

 男がそのまま退席したのでほっとしたが、同時にやや呆けたままの、どこか恍惚こうこつとした紗羅の表情に、苛々が募った。


「紗羅!」


 つかつかと歩み寄る流緒の姿を見て、紗羅は頬を染めて体を起こした。

 妙な緊張感が紗羅に走ったように見えて、流緒はますます顔をしかめた。


「兄様? お久しゅうございますね。いったいどうしたのですか?」


 少し慌てたような口ぶり。無理もない。流緒は滅多に人前に姿を現さない。紗羅にも会わない。その兄が血相を変えて謁見の間に姿を現したのだから。

 しかし、紗羅の動揺は、流緒の心をますます乱れさせたのだった。


「どうした……ということではないが……」


 流緒はやや上気させた顔を伏せた。

 まさか、今の男と何かあったのか? などとは聞けない。なぜ、頬を染めているのか? などとも聞けない。自身抱いた不埒な思いをすり替えて、流緒はくるりと目を回した。


「紗羅が疲れているのではないか、と……」


 その言葉を聞いて、紗羅は竜人らしからぬ瞬きをした。


「私が? ですか?」


 女王としての居住まいを正す紗羅にくらべ、流緒は自身が発した言葉に動揺した。

 矛盾した発言だった。

 これではまるで、いつも紗羅をこそこそ観察していたような物言いだ。

 紗羅が女王として務めて以来、流緒は紗羅の身近にいなかった。避けていた……とも言えるのに。

 だが、紗羅は形良い唇から、はぁ……と小さく息を吐いた。


「兄様には、隠し事はできませんのね」


 紗羅の唇から息が漏れた時、流緒はひゅるり……と舌を出し、そしてあわてて引っ込めた。

 知ってか知らぬのか、まるで古の竜巫女のように恍惚とした表情で、紗羅は首を回している。

 その仕草が、どれだけ流緒を刺激するか、この美しい妹は知らぬようだった。


「岩屋より戻って以来、誰もが私を竜巫女であり、女王であるとしますけれど、私にはその力はありません。でも、民の期待は裏切るわけにはいきませんもの……」


 流緒は玉座の背後に立ち、紗羅の肩に手をかけた。

 触れるのはいったい何ヶ月ぶりであろう? 強く握ると、紗羅はかすかに声を上げた。


「あぁ、痛い……。す、少し肩が凝っていて……」


 確かに紗羅の肩は硬くなっていた。流緒は、指を強く押しあてた。


「……うっ」


 思わず漏れた声。そして、かすかにゆがめた眉。流緒は、先ほど見た竜巫女の絵を思い出した。

 ゆっくりと肩をもみほぐすと、紗羅は気持ち良さそうに、しかし、少し涙目になって訴えた。


「あ、兄様。少し強すぎます」


 震える唇。閉ざされた瞼。

 加減して欲しいと懇願するように添えられた手。

 流緒は、なぜもこう苛立つのか、やっと知るに至った。

 竜巫女の破廉恥な絵を罵りたかったのではない。許せなかったのでもない。

 ただ、古の竜巫女のように、紗羅を抱きたかったのだ。

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