竜の爪は愛を知らず

わたなべ りえ

麗しきかな

麗しきかな・1


 薄暗い空間に、蝋燭を灯す。

 王宮図書の間――といえば、さぞや豪華な場所に思われるだろうが、実際は古書が数多くあるため、どこかかび臭い。滅多に人の出入りがあるわけでもなく、空気がよどんでいるせいだ。

 流緒は、おそらく紗羅が読んだであろう書物を追って、この図書の間で過ごすことが多かった。

 唯一の楽しみとも言えた。


 風輪との和平がなってからというもの、人の目は流緒に少しは優しくなった。とはいえ、死人が生き返るという不吉さより、けして好かれているとは言えない。

 竜巫女として、愛のみではなく畏怖すら民に与えるようになった紗羅のためにも、流緒は相変わらず人前に出ない生活を続けていた。

 妹は忌み嫌われる存在ではなく、やはり愛される女王としてあり続けて欲しいと思い、竜人を感じさせる存在である自身は隠れていた方がいいと考えた。


 闇にこもる日陰者――


 だが、長年人々とのふれあいを避けて育ってきた流緒にとっては、かえってそのぐらいのほうがちょうどよかった。

 人々との会話は気を遣うし疲れてしまう。人目を気にするのもうんざりである。

 流緒は爬虫類の目をぐるりと回し、山になっている本や巻物を眺めまわし、その中の一冊に目を留めた。


 蝋燭の光に浮き上がる色彩豊かな本。

 とても古いとは思えない。

 手に取り、ぱらぱらと何気なく開き……流緒は真白な頬を染めた。


 それは、竜巫女にまつわる絵巻であった。


 竜人は邪悪な存在でもあり、竜巫女といえど竜人である。

 真白な顔に釣り上った血の瞳。それは爬虫類の目であった。眉を剃り上げた顔は、紙に描いたように生気がない。

 髪も顔も衣装も白い。それでいて贅沢な竜巫女は、額に耳にそして首に、しゃらりしゃらりと宝玉をぶら下げていた。

 これが古の竜巫女の姿である。

 だが、流緒が微妙な嫌悪感とともに頬を染めたわけは、その後に描かれている竜巫女の行いの数々にあった。


 竜巫女は謁見の間で、民人の願いをよく聞いていたという。

 そして横に従者を五人置き、常に奴隷のように使っていた。一人は巫女の右手をさすり、一人は左を、二人はそれぞれの足を、そして一番見目よい男は、肩や首を揉み解していた。

 その男が竜巫女の唇に唇を重ねている姿が描かれている。竜巫女の長くて細い赤い舌が、若い男の生気を吸い取るかのように絡みつく様子が、流緒の目からどうしても離れない。

 次の頁は、更に妖しかった。

 竜巫女に懇願する男が、その見返りに竜巫女の脚部を嘗め回す。巫女の眼球は快感のために裏返っていた。

 更に次の頁。

 今度は、美しい男が巫女の胸に手を入れている絵。頁が進むにつれ、絵は更に艶やかさを増す。

 次も、次も、男と女の営みが、ますます激しく熱ぽい筆致で描かれている。全裸こそないが、踊り乱れた衣装や、そこからちらりと見える真白の肌、それが桃に染まる様子など、鼓動や息づかいさえ聞こえてきそうである。


破廉恥はれんちだ……」


 流緒は、本を閉じた。

 だが、閉じたあとも、竜巫女と若者が絡み合う絵が目に焼きついて離れない。気が動転して、眼球が何度も裏返ってしまう。

 生気のない竜巫女は、時に従者から、時に願い事を持ち込んだ若い男から、その生気を吸い取っていたのだ。

 そもそも竜神は人間の女をはらませるような神である。

 その末裔である竜人は色香を好み、体を重ねることにより相手の生気を奪うといわれている。

 竜巫女は、血縁の竜人と交わることで人ならぬ力を得ていたが、同時に若い男とも交わることで、人の生気も得ていたのだ。


 流緒はふっと紗羅のことを思い出していた。


「紗羅も……この本を読んだのか?」


 彼女は、幼い日々から竜神についての書物を読み漁っていた。そして、流緒はその書物を追っているのだから……。


 紗羅は、流緒のために竜人についての知識を蓄えた。流緒は、心から感謝している。

 が、まるで何か裏切られたような気分になった。


 はるか幼い日々までさかのぼって、紗羅のすべてを思い浮かべてみる。

 この淀んだ空気の図書の間に、思えば紗羅ほど似合わぬ存在はない。陽ならぬ蝋燭の不健康そうな火に、快活な笑みも色褪せてしまう。健全ではない光に頼って、流緒の知っている少女は本の頁をめくってゆくのだ。

 清楚で美しい微笑みの下で、このような書物を熟読し、このような絵をじっと見つめて、このような……。


 たまらない不快感。


 心臓が激しく打って、体中に熱い血が回り、息苦しくさえあった。

 真直ぐに美しい群青の瞳で流緒を見つめる少女。手折れぬ花のように、遠くから恋焦がれる少女――それが、紗羅であり、妹の姿でなければならない。

 流緒にとって、紗羅は聖女であり――男を食いつくす竜巫女であってはならないのだ。

 しかし、紗羅は竜巫女として血を開花させた。


 ――ぞっとした。

 紗羅は今、何をしている?


 今日の沙地の女王の予定は――民人との謁見・願い事を聞いているはず。

 流緒は、無性に苛立った。そして立ち上がった。

 謁見の間で、若い男と唇を重ねている竜巫女の姿が、紗羅と重なって目の前をよぎる。

 そのようなことは、絶対に許せない。

 見ず知らずの男に、紗羅を触れさせるわけにはいかない。

 流緒は乱暴に本を棚に投げ込むと、足早に図書の間を後にした。

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