(3)

 何故かその瞬間、ソリスは目の前の闇が跡形もなく消え去ったような気がした。

 悪夢からの解放。悲しみからの解放。何もかもがぼやけていた視界が、ハッキリと鮮明に全てを映す。

 長い間一緒にいた自分達が信じたタザル。それを裏切ったタザルを、イオラインが真っ向から否定してくれた。そのことが嬉しかった。

 目の前のタザルはタザルの姿をした偽物だと、そんな偽物は信じないと、はっきりとイオラインが言ってくれた。それは即ち、本物のタザルはやっぱりこの世にはいないと言うことになるが、こんなタザルを本物と認めるよりは断然マシだと強く思えた。

 強引で自分勝手な主張だと言うことは分かる。だが、そう思うことで、今までの思い出が大切に出来ると思ったら、タザルをタザルとして好きでいられるというのなら、迷わずソリスはそれを選んだ。

「は、はは。いきなり出て来て本人目の前に全否定か。たいしたもんだな」

 タザルが引き攣った笑みを浮かべて嫌味を口にする。

だが、イオラインは既にタザルから興味を失っていた。

「ゴウラ……とか言うんだったね、そちらは」

「だったら何だ!」突然話を振られて露骨に動揺するゴウラ。

「あなたは『影(シャドウ)』と言う魔物の事を御存知かな?」

 刹那、ゴウラの頬がピクリと引き攣った。

「シャドウと言う魔物の本質は影だ。光が差す所に必ず現われる影と同じ。その姿は平面。決して立体になることはない」

「だから、何だ」

「でも、稀に特殊な技能を持つシャドウもいる。人の中に入り込むんだ」

「!!」

「でも、それには条件がある。あくまで入り込まれる人間の意志が著しく低下しているか、存在していないかに限られる。つまり、睡眠時や昏睡状態。または、死体」

「え?」何となく、イオラインが言おうとしていることが分かって、思わずソリスは小さな声を上げていた。もしもイオラインが言おうとしていることが、ソリスの考えていることと同じなら、今目の前にいるタザルは……。

「その中でも更にレベルの高いシャドウは、ある程度までなら人の真似をして喋ることも振舞うことも出来る」

「ぐっ……」

「ここまでシャドウを仕込むにはどれだけの時間が掛かったのか、僕にはとても想像は出来ない。そこまでしてあなたはタザルと言う人間を憎み、疎んじていたということは分かる。本人の姿で、本人の声で喋る傀儡に自らを貶めるような言動をさせたなら、効果は絶大でしょう。実際、ソリスもディアナも相当な傷を負った。まぁ、その責任は僕にもあるけど、このシャドウ。あるレベルを超えると自分が魔物だということを忘れて、人間のように振舞う癖がある。だから、教え込まれたことを元に、受け答えをして学習して行く。逆に知らないことはどこまで知らない。だから、僕と会ったことも知らないわけだ」

「だからと言って、タザルがシャドウである証拠がどこにある」

「いい加減、苦し紛れの言い訳は止めることを進めるけど、どうしても証拠が欲しいなら見せてあげよう。ソリス」

「は、はい」

 突然名前を呼ばれて戸惑うと、イオラインがすまなそうな笑みを浮かべてこう言った。

「君の力で、あの偽物に強い光を与えてくれないかな?」

「な、何を馬鹿なことを! タザルが死んでもいいのか!」

「さっきも言ったけど、シャドウって言うのは僕達の足元にある影と同じ物なんだ。ただ、稀に人間の中に入り込む。そんな人間に強い光を与えると、何と足元に影がないんだよ。だからね」

「あたしの力で、タザルに影があるかないかを調べるのね?」

「ああ。蝋燭の明かりは陽の明かりに比べたら役不足な所もあるからね。特大の炎で照らしてみれば一目瞭然だよ。影がなければそのまま燃やし尽くせばいい」

「そんなことしたら、タザルの体がなくなるぞ!」

「でも、タザルだって、自分の体をいつまでも好き勝手に操られているのは嫌だと思うよ。しかも君達が傷つく様を見るのはもっと嫌だろうね。タザル自身を安らかに眠らせてあげるためにも、そうしてやることが一番だと僕は思うよ。でも、辛いならその役目は僕が受けるけど……」

「ううん。大丈夫。あたしが、あたしの手で、終わらせる」

「おい! 本気か?!」

 タザルの中のシャドウが本能的に後ずさる。

「ディアナ、そのクッションちょうだい」

「ん」

 ディアナの眼に、強い光が戻って来ていた。

 格子の間から次々とクッションを押し出して来る。

 ソリスはパンと手を打ちつけ、ゆっくりと左右に開いた。タザルの声が蘇る。


《いいか? ようは集中力の問題だ。自分が集中出来る形を見つけるんだ。どんなんでもいい。基本初めは皆掌サイズらしいからな。手と手の間に小さなボールがあると思えばいい。初めは分からないだろうけど、イメージするんだ。こんな形になればいいってな。でも、あくまで火種程度でいいからな。あまり大きなの作ると負担が掛かる。小さな炎を生み出して、何か大きな物を燃やせばいい。あとはその炎に命じるだけさ》


 こんな形になればいい。

 手と手の間に小さな明かりが小さく灯る。やがてそれはビー玉ぐらいの大きさになる。それをポンとクッションに投げつければ、瞬く間にクッションは燃え上がった。

「さぁさ、お立会い。ここに見えるは魅惑の炎。人は何故炎に魅入られ惹かれるか。この場で答えを教えましょう」

 かつてタザルが考えてくれた口上を口に乗せる。

 炎に向かって大きく手を回せば、生き物のように円を描く炎。

「一つ二つと合わされば、やがて大きな蕾となりて――」

 二つ三つと炎を合わせれば、やがて一抱えほどの炎の玉が出来上がる。

「投げて弾ければ艶やかな華を咲かせるからでございます。さあ、あたしの気持ちを受け取って!」

 初めて聞いたときはあまりの恥ずかしさに絶対嫌だと拒絶した。

 せっかく真剣に考えて来たのに! とショックを隠し切れなかったタザルの姿が思い出される。物凄く落ち込んだタザルに止めを刺したのは、やっぱりディアナで、真剣に考えてその程度? の一言で、タザルは自室に閉じ籠った。

 そんな微笑ましい記憶が蘇って、今まで一度として口にしたことのない口上を口にしたのは、やっぱり本物のタザルが好きだったから。

 そのタザルが本物か偽物かを見極めるために自分の力が役に立つことが嬉しかったから。

 ソリスが力一杯炎の玉をタザルに投げつけると、真上で彼岸花のように大きな華となって炎が弾けた。

「うわぁぁああっ」

 タザルの中のシャドウが情けない声を上げて蹲る。その足元に、

「影がない! やっぱりあいつは偽物だ!」

 ソリスの心も喜びに弾けた。あの数々の酷い言葉は全てタザルのものではなかった。タザルはタザルのままでいられることが嬉しくて、心の底から高揚感を感じた。

 それが過ぎればやることは一つだけ。

「よくもタザルを使って好き勝手なこと言ってくれたわね……」

「ま、待て、ソリス、話し合おう」

「……話すことなど一つもない……」

「ディ、ディアナ、いつの間に……」

 喉元に鋭い枝の先端を突きつけられて、ゴウラが小さく呻く。

「僕は戦闘用の『アビレンス』は持っていないけど、鍵開けなら子供の頃から得意なんだよね」

 これ見よがしに鳥籠の出口を開いて教えるイオライン。

 形成は一気に逆転した。虐げられた分、騙されて来た分、傷つけられて来た分、全ての束縛から解放されたソリスとディアナを止める手段は、ゴウラにもシャドウにもなかった。


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