第四章『保護された人』
(1)
「どこに行った!」
「おかしい、確かにこの路地に……」
「向こうだ! 向こうを捜せ!」
「っち」
壁の向こうから、『審判者』達の悔しがる声が聞こえて来る。
ソリスはその声を、背後から口を塞がれ、腹部を両腕ごと抱き込まれた状態で聞いていた。心臓が早鐘のように打っていた。だが、何もそれは恐怖のためではない。驚きのせいだった。
袋小路に追い込まれたソリスとディアナは、突然横から伸びて来た手によって食物庫に引き込まれていた。積み上げられた紙袋の中身はおそらく小麦粉。麻袋の中身はジャガイモかにんじんか。もしかしたらたまねぎかもしれない。少なくとも、長ネギがはみ出している袋は確実にある。その他、果物系の匂いも漂うひんやりとした狭い部屋。
そして、一番近くからソリスの鼻をくすぐるのは甘い花のような匂い。同時に、自分を抱き込んでいる人間の温かなぬくもり。状況的には羽交い絞めと大差ないように見えるが、全く嫌な感情は浮かんで来ない。むしろ、心臓の鼓動が相手に伝わる恥ずかしさに顔が赤くなるのが分かった。全く場違いな感情だとは分かっているが、こればかりはどうしようもなかった。やがて、
「……ふぅ。どうやらあいつらも行ったようね」
頭の上からゾクリとする素晴らしいハスキーボイスが降って来る。直後。
「……いつまでその子を捕まえているつもり」
心なしか不機嫌なディアナの声が受けて立つ。実際、目の前に立っているディアナの表情はいつにもまして不機嫌だ。
「ああ、ごめんなさいね。別に捕まえているつもりはないのよ。ただ、ほら、声を上げられると気づかれるからね。ごめんなさいね、嫌な思いをさせて」
と、後半は束縛を解いたソリスに向かって言葉を掛けて来る。
ソリスは慌てて壁側に立っている人物を振り返り、その姿を見た。
歳の頃は二十歳前後にしか見えない。長いストレートのさらさらの髪はすみれ色。怪しげに光る眼は金色。ただでさえ中性的な容姿に、その濃いめの化粧は一際妖艶さを引き立たせ、見る者を魅了する。
スラリとした長身を包むのは、大胆にも太腿からスリットの入った紫色のワンピース。足は膝下まで編み込まれたサンダルを履き、胸元を隠すように巻かれたショールは淡い緑色。耳にはルビーのイヤリング。首には小さな華の銀細工がついた黒いチョーカー。手首にはぶつかり合う度にシャランと涼しげになる細い腕輪を何個もつけ、手と足の爪にはそれぞれ真っ赤な色が塗られていた。
正直、かなりの美人であり、全く持って食物庫が似合わない人間だった。
「あたしの名前はレイデット。よろしくね、可愛らしいお嬢さん達」
「!」
妖艶極まりない微笑を向けられ、一瞬クラリとするソリス。
こんな微笑を向けられたなら、男なんて一発で落ちるだろう。自分ですらドキドキするのだからきっとそうだと強く思う。
だが、ディアナは違った。
「……あなた、何者?」
狭い食物庫に殺気が満ちる。
「ディ、ディアナ、落ち着いて、この人はあたし達のこと助けてくれたんだよ」
慌ててディアナを落ち着かせようと傍に立つも、ディアナは明らかな警戒心を隠そうともせずに言った。
「……だから、おかしい」
「何が?」
「……何故、私達がここに逃げ込むと分かっていたの? 偶然にしては出来過ぎているし、事情も知らずに匿うのは危険なこと。それなのに匿った。相手はあの『審判者』なのに」
「あ……」
言われて見ればそうだった。自分達ですらどこをどう走って来たのか分からずに追い詰められたのだ。別に誰かに誘導されたわけではない。自分達の意思で道を決めていたのだ。
だが、もし誰かの誘導に引っ掛かっていたとしたら……。
ソリスは弾かれたようにレイデットと名乗る女を見た。
女は楽しそうな笑みを口元に浮かべたまま、腕を組んで自分達を見ていた。
ソリスは明らかな悪寒を感じた。今度のは恐怖。得体の知れないものに遭遇したときに覚える感情だった。
「あなた、何者?」
ディアナと同じ問いを投げかければ、レイデットは苦笑を浮かべてこう言った。
「あたしはただの盗賊よ」
「え?」
「……盗賊?」
全く想像すらしていなかった単語を耳にして、反射的に問い返すソリスとディアナ。
そんな二人に邪気のない笑みを向けて、レイデットは続けた。
「そ。盗賊。だから『審判者』に追われている人間に味方するの。まして、こんな可愛いお嬢ちゃんたちを追い掛け回してるんだもの。匿わなくてどうするの? みすみす捕まえさせたら盗賊の名が泣くわ」
「泣くわ……って」
「……何の見返りもないのに、そんなことして何の得があるの?」
「あのねぇ。盗賊やってる人間の事をどう思っているか知らないけど、別に損得だけで動くわけじゃないのよ?
まぁ、正直に打ち明けてしまえば、今回は頼まれたから助けたんだけどね」
「頼まれた?」
「……誰に?」
「あら。あなた達はもう会っているはずよ」
「……だから、誰?」
「……『虹の羽根のイオライン』そう呼ばれている男よ」
「虹の羽根の、イオライン……って、もしかして」
ソリスは瞬時にしてタザルと同じ顔をしていた男のことを思い出していた。
イオライン。あの人、イオラインって言うんだ。
何故か胸がドキドキした。
だが、そんな気持ちを霧散させるように、ディアナの淡々とした声が問い掛ける。
「何故、その男が私達を助ける……」
「それは直接本人に聞けばいいわよ。これから連れて行くことになっているから」
「え?」
「……私達をどうするつもり?」
素早くソリスの手を掴み、レイデットから隠すように自分の後ろへ移動させるディアナ。
それを見たレイデットは、微笑ましいものを見たと言わんばかりの微笑を浮かべると、緊張感の欠片もない軽い口調で返して来た。
「あたしにあなた達をどうこうするつもりは欠片もないわ。勿論、イオラインにもないわよ。それは保障する」
「……信じられない」
「だと思うわ。あたしだって逆の立場だったらそう思うし、絶対に信じたりしない。それは当然のこと。守ってくれる者がいない人間は、常にそうやって自分を守っていかなくちゃならない。まして、守るべき者があるのなら尚更ね。
だから、あなたの反応は当然ことよ。でもね、あたしも一応頼まれた以上はあなた達を連れて行かなくちゃならないの。そうしないと『信頼と信用』を失うからね。
信頼も信用も大切なものよ。特に、自分が気に入った人間から信頼もされず、信用も失ったら、それこそ生きてなんか行けないわ……って、言ったところでまだ解らないかしら?」
と、小首を傾げる姿まで一々悩ましげで絵になるが、ソリスはレイデットの言葉にドキリとしていた。一瞬だが、橋の下で見たタザルの幻影を思い出していた。絶対の信頼と信用を寄せていた人間に拒絶されたときの心境は、大げさなどではなくこの世の終わりを見たようなものだった。たとえ自分が作り出した幻影の言葉だとしても、それはソリスの心をズタズタにした。
だからこそ『信頼と信用』を失うと言うことが、どう言うことかソリスには解った。
レイデットにとってのイオラインは、自分達にとってのタザルと同じなんだ。
ソリスはそう、二人の関係を理解した。そこには、何故自警団と盗賊の間に『信頼と信用』が芽生えたのだろうか? などという疑問が挟まる余地はなかった。だとしても、
「……助けてくれたことに感謝はする。だけど、そっちの都合を聞き入れてやる理由はない。私達には行くべき場所がある」
ディアナの考えは変わらなかった。
「困ったわね……」
本当に困ったように頬に手を当て、レイデットは呟いた。
「出来れば手荒なことはしたくないのよね。面倒だし、あまり気分のいいものじゃないし」
その突然の物騒な発言に、ソリスは一瞬息が詰まった。
どう見ても強そうには見えないのに、本能的に勝てないと悟ってしまっていた。
「……ディアナ」
不安になってディアナの服を背後から引っ張る。
「……そっちがその気なら、こっちにも、考えがある」
淡々とした声とは裏腹に、治まっていた殺気が食物庫に充満する。が、
「いや、止めておいた方がいいわよ、お嬢ちゃん。あなたじゃあたしに勝てないわ」
「……やってみなくちゃ、分からない」
刹那、ディアナの服の下がもぞりと動くのをソリスは見た。
ディアナは『アビレンス』を使うつもりだ。
盗賊と言えども普通の人間。そんな人間に『アビレンス』の力は脅威。しかも、『審判者』から助けてくれた命の恩人を傷つけようとしていることに、ソリスは若干の躊躇いを覚えた。しかし、次の瞬間には躊躇いを覚えること自体が間違いだったと思い知らされた。
「あなたの力じゃ、あたしに敵わないわよ」
「……っ」
何が起こったのか一瞬理解出来なかった。
レイデットが自分たちに向かって右手を伸ばしたと思った瞬間、目の前に細身の刀身が突き付けられていた。
一体全体どこから現われたのか解らない。鞘すらどこにもない。まるでレイピヤその物の刀身に、二人は全く動けなかった。
「あなたが『アビレンス』かもしれないって話はイオラインから聞いていたからね。
昨日の『ヒューマイン』の火事騒ぎはあなた達の仕業だろうし、そうなるとその力は『炎』か『植物』。対してあたしは『金属』を操るの。植物を扱うあなたにして見れば相剋の関係よ。余程力に差がない限り、大体勝つのはあたしの方。
まぁ、その理屈で行くと、そっちのお嬢ちゃんにあたしは弱いことになるけど。そこはそれ。人生経験の差でどうにか対処出来る方法も学んでいるから簡単には負けてあげたりは出来ないけどね。だから……出来れば大人しくついて来てくれないかしら。絶対悪いようにはしないって誓うから」
と、突きつけていた刀身を消し去って、顔の前で両手を合わせ、拝むようにしてこちらを見て来るレイデット。その足にはディアナの力によって忍び寄っていた蔦が絡まったままだった。
こちらの攻撃がまだ持続している状態で、先に力を収めるのは、自分が絶対に負けるわけがないと言う自信の表れ。それなのに、レイデットは悪戯を詫びる子供が大人のご機嫌を伺うように見て来る。それでもディアナが蔦の束縛を解かないと分かると、再び困った表情を浮かべてこう言った。
「まぁ、逃げるのも一つの手だけどね。その度にあたしが捕まえに行くと思うのよ。こう見えてもあたし、駆けっことか鬼ごっこ得意だし。だからね、そっちがその気ならいくらでもあたしは付き合えるのよ。そうなったら根気の勝負よ! 若いからって勝てると思わないでね」
などと、ウィンク付きで宣言されたなら、何故かソリスは脱力感を覚えた。
それはディアナにしてみても同じだったのだろう。
まるで緊張感のない雰囲気を撒き散らされたなら、本気で相手をしようとしているこっちが馬鹿みたいに思えて来るから不思議だ。
「あら? 望むところだって言わないの? じゃあ大人しくついて来てくれるの?
どちらかと言えばその方が本当は楽でいいんだけど。
だって、考えてみてちょうだい。まだこの辺りを『審判者』達が捜し回っていると思うのよ。そんな中追いかけっことかしてたら、あなた達のことも気になるけど、あいつらのことも気にしなきゃならないでしょ? 正直それは面倒なのよね。あ、でも、面倒だといっても出来ないって言ってるわけじゃないからね。やろうと思えばいくらでもやれるの。ただね、あいつらのことはあたしも嫌いだから、なるべくならあいつらの目に触れずに済ませたいのよ。絶対その方がお互いのためにもなると思うのよね。そう思わない?」
などと、コロコロ表情を変えて語るものだから、ソリスもディアナも面食らった。
黙っていれば近付きがたい雰囲気なのだが、喋り出すと途端に近付きがたい雰囲気が霧散する。それこそ気さくな年上のお姉さんと化した姿を見たなら、尚更緊張感はどこかに行ってしまった。
「ね、ねぇ、ディアナ……」
「……」
皆まで言わずともディアナには伝わったのだろう。
「……信じたわけじゃないから」
「それでもいいわ。あたしはイオラインを信じているから。
どうしてもイオラインがあなた達にとって不利になるようなことをしたなら、そのときは全力で逃げてもらっても構わない。あたしが頼まれたのは今のあなた達を連れて行くことだからね。連れて行った後のことはあたしの責任じゃないから。何なら逃げるのを手伝ってあげてもいいし。
ああ、でも、とりあえずあたしの言い分を受けてくれて嬉しいわ。ありがとう」
本当に嬉しそうな笑みを浮かべて感謝の言葉を言って来るレイデット。
確かに怪しいし、疑わしいものはあるし、信用し切れないと言う点はあるものの、それら全てを打ち消すほどの何かを持っているレイデット。
ソリスは単純に憎み切れないから信じてみたいと思ったし、ディアナは色々な損得を考えた上で妥協した。
二人の表情からそれぞれの感情を読み取ったレイデットは、とりあえず満足して二人を食料庫から連れ出した。
「さ、そうと決まれば早速服を選びに行きましょう。いつまでもそんな姿じゃいけないよ。女の子なんだからおしゃれしなくっちゃ。ね?」
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