第92話ひとときの平穏






 風のざわめきと共にひそひそ話が聞こえる。

 ごくささやかな音はつい三日前の朝とは大違いで、今やフルルージュの手助けがない状態でも俺が聞くべき声かどうか、無意識でも判断が出来るようになっていた。


 昨日までの三日間はまさに地獄だった。俺がユノ国で手にいれた能力は囁き声なんて可愛いものではなく、言葉を言い換えればこの能力は万物の声が聞こえるという恐ろしいものだった。

 しかもそれが無差別に俺の耳に届くものだからあの森での修行は地獄と表現しても間違いはないと思う。いや本当に何度気絶したことか……。

 そうしてやっと獲得したのが聞かなくてもいい声を無視することで、そこらじゅうにある石や草、あとは風の声などはほんの囁き程度まで抑えることが出来るようになり今のような安らかな睡眠も可能になったのだ。

 フルルージュはこれがもっとコントロール出来るようになったら、聞きたい声だけ聞くことも出来ると言っていたが、暫くはこれで不便がないのでゆっくりやっていこうと思う。


 「ヒナタ……。あなたいつまでごろ寝している気なの? 明日旅立つから今日は買い物だって言ったのヒナタでしょう?」


 キャルヴァンが音もなく俺に近づきあきれ声で揺り起こす。

 それがなんだが懐かしく思えわざと寝たふりをしてしまう。そんな俺の様子を知ってか知らずかキャルヴァンはもう、と一言いって俺のそばを離れてしまう。キャルヴァンのあまりのあっけなさに俺は嫌な予感がして俺は起き上がろうとしたときだった。


 「っ今よ!!!」


 予想外の所から聞こえた掛け声を気にする間もなく、全身に鈍痛と重力が俺を襲い一瞬息が詰まる。


 「ヒナタにぃ! 早く起きて買い物しにいこうよ!!」


 「寝てばっかりいると目が溶けて無くなっちゃいますよ!」


 「こわっ!! あんた時々エグいこと言うわね……。それよりヒナタ全く微動だにしてないけどまだ寝てるわけ!?」


 「………………あ、圧死する」


 どこからともなく現れた三人分の体重がみしみしと体を押し潰し息が詰まるが、三人はそんな俺の遺言も気にせず楽しそうに談笑を続けていた。そろそろ息できないけど、誰も俺の事気にしてないよね……?


 「ほら、ヒナタが起き上がれないから皆降りましょう。あとヒナタは寝たふりしちゃダメよ?」


 その声を皮切りに一番上に乗っていたサリッチから順々に降りていく。そうして久しぶりになる穏やかな朝を楽しんだ俺達はそのまま朝御飯を食べ、一息ついていた時だった。


 「失礼いたします。サリッチ陛下にお話したいことがございます。今お時間はよろしいでしょうか?」


 扉ごしに聞こえた声はアズナさんで、サリッチが少し緊張した面持ちで、側に控えていたメイドさんに入室許可の合図を送る。

 扉の前にはアズナさんの他、ソルブさんとフウアさんとアンユさんまで旅立ちの前にと会いに来たようようだった。


 「皆勢揃いで話したいことって一体何なのかしら? 言っておくけど今更旅は認めないとかじゃないわよね」


 「いえいえ、そんな無粋なことではありませぬ。話というよりは今更ではありますがサリッチ陛下を助けていただいたお礼を皆々様にするべく、お時間をいただいた次第でございます」


 少しばかり警戒をしていたサリッチはお礼という言葉を聞いて、しまったと言わんばかりに俺の顔をみる。

 俺も俺で色々ありすぎたせいで、サリッチの事件のことをすっかり忘れており、慌ててソルブさんに断りの言葉を口にする。


 「いや、そんな大した訳じゃないからあんまり気にせず…………」


 「いえ、そういうわけにもいきません! 元々は私が起こした事とはいえ、ヒナタ殿がサリッチ陛下の為動いていただいたからこそ今があるのです。それに今後の旅にはサリッチ陛下が同行いたします、そのためにも受け取ってください」


 フウアさんはそう早口で捲し立てると、側にいたアズナさんはずっとてに持っていた袋を俺に手渡す。お、重い…………。

 いや、そんな予感はしてたけどまさかまたこんな大金を目にするとは思いもしなかった。前回はウェダルフ父がおんなじように大金をお礼に用意してくれたけど、あのときは確かアルグが丁重にお断りしたんだったよな……。今回はどうしようか?


 俺が考えあぐねていたその時、両手で持っていた袋は突然その重さを失い気づかないうちにその袋はサリッチの手に収まっていた。


 「…………どれだけあたしのことが心配なのよ、あんたたち。言っとくけどあたしは娯楽のため旅に出る訳じゃないのよ? それにあたしが我が儘放題すると思ってるわけ?」


 袋のなかを眺めながら呆れ声で話すサリッチに、フウアさんはしどろもどろにそんなわけではないと否定をするが、嘘を隠しきれなかったようで顔はそうだと思ったと言わんばかりにひきつっていた。

 ……ごめん、正直俺もそうだと思ってたわ。


 「なんであれこんな大金持ってたら十中八九ヒナタはすられて終わりよ。むしろこれを発端に事件に巻き込まれる可能性まであるわ。皆もそう思うでしょ?」


 いや、巻き込んだ側がそれいっちゃう?! 確かになんの間違いもないし俺すらもそう思うけど、なんか納得いかない! 俺は別に巻き込まれたくて事件に首突っ込んでる訳じゃないんだから!!


 「そうねぇ、ヒナタならあり得るわね。ヒナタもお礼欲しさにサリちゃんを助けた訳じゃないからそこまで貰うのも何だかよねぇ?」


 「ま、まあな!! お金なんて大量に持つもんじゃないってアル……誰かも言ってたし!」


 俺とキャルヴァンが受け取り拒否をすると、そばでずっと話を聞いていたアンユさんが、ならこれはどうかと色鮮やかな反物を幾つか差し出す。


 「これは……?」


 「ユノ国の植物を使った草木染めになります。少々荷物にはなりますがこれを他の国に売れば旅の資金ぐらいにはなるかと思います。勿論服をくつることにも使えますので、お金よりは気が楽かと……」


 確かにお金よりは幾分か気楽に持ち歩けるし、何より売る以外の活用も出来そうな反物は受け取りやすい。というよりこれ以上ここの人たちの気持ちを無下にし続けるのは忍びないよな……。


 「そう、ですね……。では有り難くいただくことにいたします。皆さんありがとうございます」


 一礼をし、反物を受けとるとサリッチが本当に小さな声でそういう魂胆か、と呟きフウアさんを睨み付ける。……え、もしかして俺はめられた?


 「さて、それでは私どもはこれにて失礼いたします。皆様の憩いの時間をこれ以上奪うのも申し訳ないので、アズナもサリッチ陛下に話したいことがあるなら手短にしなされ」


 そういってソルブさん達は腰をあげ立ち去ろうとするが、俺はこの間借りた本を返すべくソルブさんのあとを追いかけ声をかける。


 「あっ、ソルブさん! ちょっとだけよろしいでしょうか?」


 「ヒナタ様如何されましたかな?」


 「すみません、呼び止めてしまって……。この間借りた本を返したいのですが、今手元になくて申し訳ないのですが、少しだけここで待っていただいてもよろしいでしょうか?」


 申し訳ない気持ちでそう伝えるとソルブさんは穏やかな表情で、おぉその事でしたらと話を切り、何故か俺をみんなとは少し離れた椅子へソルブさんは案内をする。


 「私も忙しくてすっかりお伝え忘れておりました。その本なら側仕えのメイドに渡していただければ結構なのでおきになさらずに。それよりもあの本を見てヒナタ様はどう思いましたかな?」


 「そうですね、率直な事を言えば何故ソルブさんがあの本を薦めたのか……少し疑問に思うところがありました」


 確かに怪しいところは幾つもあったが、“忌まわしき血戦”については一切触れることがないあの本は俺にとって見ればただのお伽噺と同じだ。


 「ほうほう、なぜ私が薦めたのかわからない、ですか。例えばどんなことがヒナタ様に疑問を落としたのでしょうか?」


 「そうですね疑問点としては、何をきっかけに神様候補が争うことになったのかと、あの本の作者は太陽の想い人なのか……。最後にあの本では歴史が全く見えてこない所ですかね」


 俺がそう伝えると、ソルブさんはただうんうんと頷く。その様は学校の先生のようで少し緊張してしまう。


 「なるほど……ヒナタ様の疑問はもっともですな。先程の疑問は全て私が一つお伝えしていなかったことに起因しておりまする。というのもそもそもどことどこが戦争を始めたのか……、これを知っていなければあの本を読んでも半分しか答えが出ません」



 「それってもしかして……」



 「そうです。…………“忌まわしき血戦”は元を正せば神様候補が種属同士の戦争に巻き込まれた結果の悲劇、ということでございます。そして神様候補はドワーフとエルフから顕現した、と言えばあの本の意味がわ理解できるかと……」


 俺はとっくのとうにあの本の答えを手にいれていたのだ。なのになんで今まで気づかなかったのだろうか。

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