第72話理想には程遠い現実
——朝顔が綺麗に咲き乱れる屋敷の庭から、珍しく話し声が屋敷の中まで響き、中で書物を読んでいた美しい黒髪の女性が顔をあげ、音の発生源である庭を見る。
訪問者の姿をチラリと一瞥し、そのいつもの様子に彼女は納得した。また自分に会いたがった街の者が己の愚かさも省みず、訪ねてきたのだと。チィ・アンユという人物は自身の美しさを自覚していた。だがそれに驕る事ない姿勢と、国民にも優しい彼女は貴族の中でも特別人気だった。
代々朝顔の一族は向日葵に次ぐ“知名度”のある夏の植物として、その地位の高さを誇っており、"新緑の儀"でも月下美人一族やナナカマド一族よりも、先に王に花を捧げることが出来る名誉ある一族。
当然彼女もそのことを誇りにおもっているし、そのための努力を惜しまずこれまでの人生を歩んできたのだ。だからこそ、なんの努力もせずに王座に就くサリッチが許せなかった。
先代の女王とも交流があるアンユは、先代女王の機智溢れる政とその豪気さに忠誠を誓い、自身の全てをもって先代女王に捧げる覚悟を決めていた。なのにも関わらず先代はその役目を終えたかのように崩御なされ、よりはるかに劣るサリッチへと王位は引き継がれた。そんな王としてのサリッチは、彼女の足元にも及ばない凡俗さと度を越えた我儘を繰り返し、次第に彼女の中にあった忠誠心は薄れ、王に対する価値観さえも変えることとなった。
「先ほどはお騒がせしてしまい、申し訳ありませんでした。彼女はまだ若く、アンユ様に熱心なだけなのです。なので時々声を荒げてしまうようでして……。はしたないので何度も止めるようには言ってもなかなか難しいようですね」
長年アンユに仕えている落ち着き払った老女が、アンユに近づいて滑らかな動作でお茶を差し出すと、アンユは顔色一つ変えず熱いお茶を喉に通していく。
「気にしてないわ。それよりもフウア様からの便りや言付けなどはなかったかしら?」
なんでもない素振りで聞いてはいるが、アンユの頬は赤みがかかり所作もすこし落ち着きがなくなる。その乙女のような反応に、長年世話アンユを世話してきた老女もクスリと笑いを一つ零し、まだなにも起こっていない事を伝える。
「ところで先程の訪問者……珍しく旅人のようでした。大方街の者から噂を聞いてきたのでしょうけれど、それにしてもあまりにあっさり帰っていったのがすこし……」
そこまで老女がはなし、アンユは老女が言わんとすることに気付き、手に持っていたお茶をテーブルに置き、小さく笑みを零し冷淡な顔つきで老女を見上げる。
「訪問者と話していた彼女をここに。上手くいけばフウア様にいい報告が出来るかもしれないわ」
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小さな子供のように泣きじゃくっていたサリッチは、泣き疲れたようで、俺の膝を枕にぐっすり眠っていた。
「……普通逆じゃない?」
思わず声に漏れてしまった俺の本音はさておき、俺はサリッチをどうやってベットまで運ぼうか頭を捻らせていた。少女マンガとかだったら、こういう時の男性はお姫様抱っことかが理想なのかもしれないが、お姫様抱っことか一度もしたことがなかった俺は正直躊躇っていた。一日一善で畑仕事やらをしているので、平均男性並みの筋力はあると思いたいが、それでも人を両腕だけで持ち上げるのはやはり怖いものがある。万が一落としたりしたら、頭を強く打つだけでは済まないし、運んでいる途中でサリッチが目を覚ましたりでもしたら………うん、俺の命はないだろうな……。
だがいつまでも、こうしているわけには行かなかった俺は覚悟を決め、彼女の頭をそっと俺の膝から床へ移す。よし、起きる様子はないな。
そのままサリッチの右側に回りこみ、セクハラにならないよう慎重に手を体の下に滑り込ませ、バーベル上げのように全身を使いサリッチの体を見事持ち上げる。………なんだ、意外に軽いかも……?
俺の腕の中でつかれきった顔で眠る彼女は、こうしていると本当にただの女の子で、起こさないようそっと隣にあるベットまで彼女を運ぶ。
「……ぅ、もう……嫌、やめてよ……」
寝言でも誰かに責められているのか、顔を歪め苦しそうに寝言を呟いていた。……今日はもう帰って、また明日しっかり話を聞こう。
俺はサリッチに布団を被せ、そっと音を立てないように部屋を出る。
色々あった今日も、外に出るといつの間にやら日も落ちていたようで、仕事終わりの街は賑やかな雰囲気に包まれていた。
俺はまだ終わっていない今日を見上げ、意を決して仲間達が待っているであろう宿へと足を踏み出す。
「皆……ただいま」
宿に戻り、俺の部屋に集まっている仲間達へ静かに声をかける。
キャルヴァンとウェダルフは俺が帰ってくるやいなや、心底安心したかのような顔で俺の帰りを出迎えた。
…………思ってた反応と違うんだけれど?!
「ヒナタにぃお帰り!! 早く部屋に入って!」
ウェダルフは俺の手を引っ張り、ぐいぐいと中へ押し込むが、その中で肩を落とし椅子の上で正座をするセズが、一人ぽつんと部屋の片隅にいるのが見え、俺は瞬時に状況を把握した。
俺を部屋に引き込んだウェダルフは、俺の後ろに回りこむと扉を静かに閉め、キャルヴァンのいるところへ寄っていく。そのしぐさに二人が言わんとしていることが伝わり、いまだ俯いたままのセズと向かい合わせに座る。
「今日、サリッチと会ったんだってな。……どうだった? あの威張りんぼうの超絶我儘王は。セズとは真逆で驚いただろ?」
普段する会話のように話しかけると、セズは俺にやっと目をむけ、じっと俺の目を見つめてきた。ただ話す気はまだないのか口は固く閉ざされており、目は必死に自身の感情を抑えているようで潤んでいた。
「……その様子だとやっぱり喧嘩になったみたいだな。サリッチも大分取り乱してたから話はよく聞けなかったけど、セズもはじめての喧嘩で大変だったな」
問いかけにも反応は示さず、下をむき続けるセズに俺は構わず続ける。
「俺もちゃんとセズやウェダルフやキャルヴァンに、サリッチの事話さないままで……迷惑かけてごめん。俺が話してればもっと……」
「……脅されてたんですか?」
さっきまで喋る事を拒んでいたセズが、俺の謝罪にピクリと眉をひそませ単調な声で聞いてくる。……成る程、セズはサリッチの不用意な発言がきっかけで、今回の騒動を起こしてしまったのか。
「最初のきっかけはそうだな。でも今は……違う。そりゃあいまだに我儘放題で俺のこと平気で脅してくるけど……だけどセズのおかげで今日やっと、本当のサリッチが垣間見えたんだ。……セズも気付いただろう?」
「それでも……!!人の良いヒナタさんを脅すなんて、人として王として許されません!! 私の目指す王はっ、私の知っている王はあんなのじゃ……」
そこまでいってセズは再び肩を落とし俯いてしまう。それもそうか。なにせセズの目的はこの国の王と会って王になるために必要な情報を得ることだったのだ。それがあんな我儘で尊大な王だと分かった今、彼女は王になる事すら諦めているのかもしれない。
「……なぁ、セズ。王様って一人でなるものなのか? 王位を継承すれば、即座に王として遺憾なく能力を発揮するものなのか? 俺はサリッチを王ではなく人としてちゃんと内面を見てやりたい。あいつ自身の苦しみをわかってやりたいんだ」
今感じている正直な気持ちをセズに伝える。始まりは最悪だったかもしれないが、そんなのはきっかけでしかないのだ。そんなことは彼女もわかっているようで、微かに睫毛が震えていた。
「まぁ………たしかに脅すとかかなり間違ったやり方だったけどな!」
それだけ言って俺はセズの頭をぽんぽんと軽く叩き、席を離れる。セズは王に対して憧れを抱きすぎたのだ。だから余計にサリッチが許せなくなっているのは分かりきっていた。だけど仲直りさせるため俺が動くのは違う。それは二人にとって余計な行動でしかないのだ。
そうして一先ず落ち着きを取り戻したセズを俺たちは部屋に残し、俺は俺自身が犯してしまった間違いの説明をするため、階下にあるホールで話し合うことにしたのだった。
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