第4話
リボルバーのシリンダーを倒すと、空薬莢がコインのような音を立てて床に散らばった。僕はテーブルの上に立てて並べた銃弾をひとつひとつ、確かめるようにシリンダーの中に押しこんでいった。指先に伝わる金属質な感触と冷たさが、僕を無言で叱責している。ソーセージよりちいさい弾丸が世界をぶち壊し、あるいは築きあげ、革命の合図を鳴らすのだと思えば、それは絶対に、重みを失うことはない。強い朝日が部屋全体を明るいオレンジ色に染め、銃身で光がするどく反射する。
僕が常に持ち歩いているリボルバーは、TPCを作る前、護身用にとミツがくれたものだった。今は同じ拳銃でもベレッタがあるし、ライフルが二つとグレネードランチャーもある。それでも装弾数六発の近距離用リボルバーを未練がましく離さないのは、最初にもらった思い出の品、と言うとくすぐったいが、それなりに愛着があるのかも知れない。
シリンダーをはじいて回し、銃身をかたむけて元に戻した。パチン、と小気味よい音を立てる。子どもの時分は両手に拳銃を持って交互に撃つなんていう映画のワンシーンに憧れたりもしたが、実際に持ってみればその重みに圧倒されるばかりだった。手首や腕の骨にかかる衝撃も半端ではない。怖くてやみくもに撃てば当然すぐ弾切れになり、キャッチを押す指も震えた。戦争に触れたばかりの少年には荷が重すぎた。
リボルバーをしまって部屋の外に出ると、ダイニングでミツが窓の外を見て立っていた。手に色紙が握られている。僕は床の上に放られっぱなしの彼のウィンチェスターを拾って、「なつかしいな」と言った。
「ミツは一生、そういうものを出して感傷に浸ったりしないと思ってた」
「そこまで冷徹な上官に見えるかな、俺」
「いや、単にここで全部記憶してるだろうって思ったから」
僕はふざけて彼の後頭部を指でつついた。色紙には幼く汚い文字と血判がひたすらに敷きつめられている。TPC結成当時、メンバー全員がここに記名し、指を切って宣誓の印を押し、ミツに命をあずけた。四十七人ぶんある。中央に名前が書かれた当時十七歳のミツを最年長とし、下は九歳から十四歳だった僕まで。二年前までこの廃ホテルにはそれだけ大勢の子どもたちが集まり、泣き、怒り、死ぬ気で笑って、ミツが政府軍の武器庫から奪ってきた銃を全員で掲げていた。
「僕も、なつかしい夢を見たよ」僕はミツのウィンチェスターを手渡しながら言った。「去年、空爆のどさくさにまぎれてユウオウ人居住区でテロがあっただろう。民間人を人質にとって立て籠った」
「ああ、あのゴーストタウンでの」
「ときどき思うんだ。僕らだけでも粘っていれば、テロリストを食い止めてヘリも撃ち落とされずにすんだんじゃないかと」
「仕方ないんだ、ああいうのは。コハクが怪我をしていたし。俺だって人民軍のアスペル元帥に、叱られる前に慰められたぜ。気に病むなよ、って。プライド丸つぶれだ」
「あれを事故と処理した幹部代行の顔、一発ぶん殴ってやりたかったよ」僕は自分の銃をいじりながら苦笑いをした。「おっさんめ、都市空爆に便乗してまた民間人巻きこみやがって、ってね」
「おっさん的には非武装の民間人だって、ユウオウ人の血が流れているなら敵だもんな。反シラ教育を受けた純ユウオウ人ならまだしも、シラアイ生まれまで見境なく殺す」
「物でも人でも思想でも、主軸のはっきりしない紛争っていつもそうだよ」
だからシラアイでも内戦が勃発してるじゃないか。僕は小声でそう付け加えた。
君は何を守るんだ? 僕は昔、ミツにそうたずねたことがある。すると、国よりもっとでっかいものだよ、と返事がかえってきた。そのときのミツは、無表情だった。
「子どもの頃、シラアイへ出稼ぎに来てた年上のユウオウ人の兄ちゃんと友達になってさ」
ミツはウィンチェスターのレバーに指を入れて回しながら言う。「いつも笑顔で明るい人だった。その人の両親はシラアイを批判して死罪になって、学校を追い出されたからシラアイの工場で働いてたらしいんだけど、そんなつらいことを表に出さずに俺をかわいがってくれた。ユウオウ人居住区には入れなかったから近所の公園で待ち合わせしてさ。誕生日には手作りのバースデイ・カードをくれたんだ。シラアイの伝統芸能や音楽を何より愛していた。故郷の町にいる友達のことや、ユウオウでの楽しい思い出をたくさん話してくれた。いずれは両国が和解して平和になればいいのにと願ってた。この国でこれでもかというほどひどく差別されて、それでもひねくれないでシラアイと故郷を愛していた。その人の影響で、俺は子どもの頃から共存派だった」
僕はその先をたずねなかったし、ミツも話さなかった。分かっていた。朝日が完全にのぼりきり、部屋が秒単位で明るくなってゆく。
「だから、ユウオウ人は全員シラアイを憎んでいるとか、ユウオウ人の犯罪率がどれだけ高いかとか、脈々とつづく蛮族の血だとか、そういう話を聞いても現実としてピンと来ないんだよ。その兄ちゃんもそうだし、アサギだっていい奴だ。俺たちは本物を知ってる」
「そうだよな、十把一絡げにしてこんな民族紛争を起こして、何も変わらないと思う」
「いや、変わりはする。いろんなところが」
プラスでもマイナスでも、とミツが言う。頭の後ろで手を組みながら。
「TPCには色んな子どもたちがいただろ。親を殺されたやつが特に多かった。アサギのように差別を受けたユウオウ人の子どもだって何人かいた。銃をとり、命をかけてでも戦いたいと心から願う子どもたちだった。あいつらが全員『平和』の言葉のもとに集い武装蜂起したんだって、そんなことははなから承知だ」
僕はミツの言いたいことがなんとなく分かった気がして、だけど相槌は打たなかった。
「分かってるだろ」
見透かしたようにミツが言う。「あの子たちは、いつだって戦争肯定派になれたんだ」
彼の脳裏に浮かんだ映像を共有できた。四十七人の、ミツの声に同調して命をかけて戦うことを決めた子どもたち。ユウオウ民族殲滅でも反政府でもない、共存の願い。目隠しをして歴史をくりかえすことを許さず、現在からはじまる新しい国家の構築を目指した共存派。民族紛争のさなか、祈りを貫き通した子どもたち。
だけど断言できない。彼らが共存ではなく、憎しみの対象を殺すために武器をとる可能性はひとつもなかったなんて。
「愛する家族を殺された人にとって、戦争を止めろ、憎しみを捨てろ、平和を願え、なんていうのは拷問だ」ミツの瞳は朝日を受けて小刻みに震える。「それは彼らの心の平和にはならない。国ごと恨み、相手を同じ目に遭わせてやりたい、と願うことだってごく自然なんだ。恨むなっていうほうが無理な話だろ。それを『平和』という正論と道徳の鎖で縛りつけると憎しみが重なる。被害者による新たな戦争がはじまるのは至極当然のことだ」
平和という名の鎖。道徳の脅迫。殺人犯に死刑が下れば被害者の家族は救われる。誰かの死を願い、死を喜ぶ人間は確実に、いる。相手の家族のことなんて考えない。それは、戦争がはじまる以前は「どんな理由があっても人を殺しちゃいけない」と浅く答えていた僕が、戦争に何もかもを奪われて気づいたこと。
「俺やコハクみたいに、人柄のいいユウオウ人を知ってる人間からすれば反ユウ派は理解できない。理解してもいないのに外から『復讐は何も生まない、視野が狭い』とか言っても届くわけがない」
「だとしたらアサギは」そこまで言いかけて僕は口をつぐんだ。アサギへの信頼がないわけではない。だが長く迫害されつづけてきたユウオウ人の彼が、いつ何を引き金にシラアイ人全員へ底知れぬ恨みを持ちはじめるか。もしそうなったとしても彼の罪悪感を煽り引き戻すことは逆に罪だ。
「無駄に流れた血や涙を知る人間にとって、自分や愛する人を蹂躙した人間の命なんて潰れて当然かも知れない」ミツの声がちいさくなる。「誰もイカれていない。だから俺たちは彼らを全否定しないんだ。正義であることには変わりないから、TPCは常に誰かにとっての敵なんだ」
――戦争をしなければ憎しみで自分が潰れてしまうもの。正しい望みを望みつづけることは難しいのよ。
サーチライトで照らしたように、僕とミツのあいだに朝日が細くさしこむ。岸壁の隙間から漏れる強い陽の光が、また新しい夜明けを乱暴に告げる。宙に舞う埃。めくれた床に散らばる防弾服や銃火器や空薬莢。
アサギはシラアイで生まれ育っていながら、シラアイ人に今まで差別されつづけていた。ユウオウ人学校に通い、乗り物の座席も分けられ、レストランでは劣悪な待遇を受ける。税金や保険金も高い。シラアイ人の僕を恨んでいるかとたずねると、関係ないよ、と言って涙を浮かべながら笑っていた。同じだ。腹の中で獣が眠っている。彼らはいつだってその靴のつま先の向きを変えられる。その理由をかざす準備がある。
「それでも」と僕は言った。言葉が急にドラム缶のように重みを増す。
「みんな、理想を実現するために集まってきてくれた」
僕はミツの持っていた色紙を彼の胸に押しつけた。名前と血判。両国共存の誓詞。ただの正方形の板。ミツはすこしだけ目を見開いて、僕をじっと見た。
今ここにいる共存派としての矜持や憎しみを越える意志がある。いつかおさえつけた過去の痛みが首を締めだしたときに後悔するかどうかは誰も知らない。
「戦争の真っただ中に放り出された、まだろくに英語も掛け算も分からないような子どもたちが、十七歳の君が掲げた平和の夢に同調してくれて戦場で銃を持ったんだ。僕は今でも四十三人全員のフルネームが、死んだ順に言えるぞ。例え聞き飽きられたありきたりな願いでも、ありきたりになるほど大勢の人間が望んだ夢を絶対にあきらめなかった。彼らはその上で散った。僕は副司令官として、戦争が終わったら、武装蜂起した子どもたちがここで戦ったことを世界に知らしめてやる。TPCはただのテロリストじゃない、子どもたちの願いが結集したチームだったんだと」
さらに強く色紙を押しあてた。厚紙が少し変形する。僕はミツから目を離さなかった。届かないものは何もないと信じて、睨みつけた。やがてミツは僕の手をぽんと叩き、色紙を取った。板の中央が少しへこんでしまった。
「そうだな」ミツは優しく笑った。「俺の友達の兄ちゃん、お前の友達、アサギ、そしてカイ。彼らがシラアイを愛してくれたことは確かだ」
その優しさを知ろうとしないままじゃいけない。彼はそうつぶやいた。
僕らはTPCに骨を埋めた。どれだけ誰かを憎んでも、戦争と破滅を願うことは絶対に間違っていると信じた。平和のために銃をとらなくてはいけない悲しみも罪悪感も、流した血も涙も、ごまかさずに正当化せずに未来永劫記憶する。
「誰も忘れないよ」僕は笑った。
―――君がTPCの誇り高き総司令官だったということを。
きっと、ミツの父親のことを聴いたらカイは彼に謝ってしまう。その光景すら鮮明に脳裏に浮かんだ。ワンピースの裾をつかんで泣く少女。彼女の優しさと無垢さが、出会って間もない僕らにそれを容易に想像させるほど、まっすぐに届けられた。僕らが築いてきた自我なんて簡単に壊れてしまうほど、強くて、だけどやわらかい。
そのとき、木が軋むちいさな音がして隣の部屋のドアがひらいた。隙間からひょっこり顔を出すカイ。驚いた僕らが声をかけるより早く、彼女は小走りに駆けよってきて、僕とミツの手を片方ずつとった。それをよろけるほどきつく、胸元に抱きよせる。何回りもちいさな手が僕の手のひらに食いこむ。
『おはよう』
カイはそれだけ叫んだ。僕とミツを交互に見て、少し不安そうな表情で、丸くてきらきらした瞳で。すっかりのぼった朝日を全部奪い取ってしまいそうな笑顔は、ない。どうしてそんな顔をしているのかたずねてみたかったけど、なんとなくはばかられた。僕には音が聴こえる。サチコが見ていた夢の音だ。人々の歓声と爆竹と花火とビルが炎上する音。政権の崩壊が招いた音。上空を通過する戦闘機の音が、地上の音をさらってゆく。もし僕がTPCにいなかったら、街角で火炎瓶を投げ軍隊に制圧される暴徒化したデモ隊のひとりになっていたかも知れないんだ、と考えればシンプルだったし、それは腰のリボルバーを一層重く感じさせた。
僕はミツの手ににぎられた色紙を見た。赤黒い血判が、僕に重力を思い出させる。
『おはよう』
僕はカイに笑いかけて答えた。彼女は一瞬笑顔になったものの、すぐに険しい表情に戻った。そしてはっきりと言った。
『私、みんなの仲間になりたい』
え、と彼女の顔をのぞきこんだ。聴こえなかったわけではない、信じられなかった。
『みんなって、TPCの?』
『そう。私もTPCの隊員になって戦いたい。平和をとり戻して、ユウオウに帰りたい』
『悪いけど、それは無理だ』ミツがぴしゃりと拒否する。『死んでも英雄扱いなんかされない。ただの反政府派の暴徒として殺される。まして君はユウオウ人だ。自分の命に名誉を求めず、エゴ同然に平和を叶えるつもりじゃなきゃ、俺は君の命をあずかれない』
『それでもいいよ。私はお父さんとお母さんに喧嘩して欲しくないだけ。友達や先生が殺されるところを見るのはもう嫌。みんなが仲良くしてくれるようになるんだったら、私は死んでもいい。私ひとりだけ助かりたくない。私にはもう誰もいないもの』
目の端に涙をにじませるカイ。僕とミツは顔を見あわせた。何を言えばいいのか分からなかった。きらきら光るカイの大きな瞳。火薬臭い世界から拾い集めた記憶のあちこちに、子どもたちの涙を見た。四十七の決意。息がつまった。僕が今まで何度も、未来では見たくないと思いながらも何度も、かつて、こんな瞳を見たことを思いだした。僕らが大人になったとき、次の世代の子どもたちに伝えたいことよりも伝えたくないもののほうが多すぎて、それが現状のシラアイという国を形成していて。ここに生まれた僕らは、何を誇りにして生き、何を恥と定め、子どもたちの目の前に何を示せばいいのだろう。贅句を削いだ真実ひとつの言葉で。
TPCの隊員には、ともすれば甘いと一蹴されるかも知れない、両国共存への依存があった。TPCができるずっと前から、僕らの中で、シラアイとユウオウは不安定に地続きだったから。サチコの持っているユウオウのレコードを蓄音器にかければ、それは確かに、確実に質量をもつものとなって僕らの意識になだれこんでくる。
もし、僕らとカイが聴く音が同じ旋律なのだとしたら。
僕は総司令官のほうを向いた。ミツは頭を掻き「デジャヴュか」とつぶやく。遠くで拍手がこだまするような音が聴こえた。銃撃戦。そんなに遠くない。鳥が一斉に話し声をやめた。ミツは立ちあがってテーブルの上のペンをインクにつけた。小型のナイフを取り出し、ペンと一緒にカイの前にさしだす。幼い少女の瞳はペンとナイフとミツの間で泳ぐ。
「同じ場所に立ってるっていうことぐらいは、俺にも分かる」
カイの目がすっと焦点をむすんだ。気がした。だけどもう泳がない。はじめから何もかも決められていたようだった。家出をしてユウオウの共存派のところで暮らし、今、この色紙を前にしている。反発意識じゃない。そうなることが彼女の中で結論づいていた。
ペンをゆっくりと手に取ると、カイはぎっしり名前が書いてある色紙の隅にスペースを見つけ、つよい筆圧でしっかりとフルネームを刻んだ。ユウオウ語で。カイ・ブレンストレームと。うつくしい名前だと思った。カイはナイフを手にすると、息を止めて人差し指を少し切った。半泣きになりながら血を親指にこすりつけ、名前の下にちいさな血判を押した。
これがすべてだ。誓詞だ。僕らの覚える仲間がひとり、ミツに命をあずけた。泣きそうな目、と思ったときにはカイは泣いていた。必死で声を殺しながら、歯を食いしばって涙を流していた。ミツは眉をひそめて色紙を強くつかんだ。僕はカイの頭を撫でてやった。やわらかい髪が砂で少しざらついていた。
僕らは戦わなくちゃいけないわけじゃない。理不尽な戦いをあえて望んでここに集まった。――だから、
ピーピーピー、という無骨な電子音が部屋中に響いた。カイが肩を震わせて泣きやむ。ミツは無線機のボタンを押した。
「こちらTPC、ミツ・ベリクヴィストです」
『アスペルだ。反過激派勢力人民軍本部よりTPC総員に告ぐ』アスペル元帥は早口に言った。『すまない、我々ではおさえきれなかった。リーブルの一個中隊がそっちへ向かっている。ホテルの場所が割られたんだ。こちらは敵の奇襲攻撃で半壊滅状態、とても応援をひっぱれそうにない。ヘリはまわせたからそれに乗ってこっちへ来い。奴らは国際テロ組織と組んだんだ。間に合わなかったらなんとか耐えてくれ』
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