絶望と絶望と絶望

「同情……そうだったんだ。あのエルフとは遊びで同情。はは、ざまぁ……」


 そうささやくフロランの瞳に光が戻った。


 理由がどうであれ、先ほどまでの邪悪なオーラが消え別存在かというぐらいに印象が変化する。煌めくような美しさのなかにも可愛らしさをあわせもった、本来の女神フロランが現れた。


「マサユキ。もういちど確認するね。あたしのことどう想ってる?」


 少女のような軽いトーンで問う女神。それを受けた父さんが目を細めた。


「懐かしいですね、このやりとり。君と出会ったあのときのようです。錯覚しますよ」


「……もう、質問に答えて」


「わたしからみる君の美しさは変わらず、あのときのままですからね。もうすこしだけ錯覚させてください。わたしの女神様を眺めさせてください。……初めて出会った瞬間から、心から君に惹かれてしまった」


「ふふ。そういうマサユキはずいぶんと皺だらけだけどね」


「それは仕方ないですよ、ここまで時間がかかりすぎました、なにせ――」



「ちがーう。そうじゃないでしょ!」



「フロウ。愛している」


「……………うん」


 ほんの短いやりとりで、二人の間にあった、おおきくて深かった溝が急速に埋まっていくのを感じ取れた。……いや、表面上はどうであれ、そこから生じた行いがどうであれ。心の溝などは初めから無かったのだ。二人は常に心で愛し合っていた。


 つくづく、人の心というのは解らない。かたほう人じゃないけど……神だけど。女神だけど。


 どうやら、決定的な危機は去ったようだ……。



 ☆



「マサユキはこれからどうするの?」


「願いはすべて叶いました。もう思い残すことはありません。あとは、死ぬだけですね。じつは、まだ誰にも言ってないのですが重い病でして。どのみち、あと1年の命なのです」


「!? 父さんが重い病気? あと1年って、それは本当ですか!」


「……ええ、こればかりは勇者といえども仕方がありません。わたしはもう十分に生きましたし、フロウとこうやって再会することも出来た。悔いはなにもありません」


「そんな……」


「そっか……。じゃ、あたしも付き合う。マサユキがいなくなるなら、あたしも消えようと思う。この世界に女神あたしはもう必要ない。あなたたちの世界のように、神は卒業。だからいっしょに、いこ」


「それは夢のような申し出です。ここは、わたしの分も存在し続けてくださいと伝えたいところですが……」


「うん、それはあたしがお断り。いいの、あたしがそうしたいだけだから」


「ありがとうフロウ」


「気にしないで」


「ふむ。そうなれば、どのようにしたらよいでしょうかねぇ……」



 ☆



「タカユキさん。お願いがあるのですが」


 しばらく考え込んでいた父さんが、オレに声をかけてきた。フロランになにか耳打ちしていたのが気になるけど……。


「なんでしょうか?」


「色々と考えたのですが、その剣でわたしとフロウを刺してください。そうすることでしか終わらせることはできない」


「あの? 父さん……? 何をいっているのか本気でわからないんですが。真顔で冗談をいうのは止してください」


「冗談じゃありません。本気です」


「はは、なにを……」


 オレは取り合わない。だってそうだ、実の父親からいきなり『刺してください』て言われて『ハイわかりました』とはならない。


「よく聞いてくださいタカユキさん。この女神空間は人智の及ぶ場所ではありません。私たちのいる世界とはまるで違う場所なのです。……たとえば時間。凄まじい速度で時間がながれています。女神空間の数分はわたしたちの住む世界の数ヶ月。数十分は数年、それ以上に」


「時間の流れが違う?」


「そうです。ですから、貴方が元の異世界に戻ったとき……」


 女神空間に来てから、それなりに時間が経っている。


「!? もしかして、数年後?」


 オレの回答は正解なのだろう、黙って父さんが首を縦に振る。


「おそらく、現時点で3年程度は経っているでしょう。フロウ、そうですよね?」


「……ええ、たぶんそのぐらい」


「このことが意味することが判りますか? あの、なんて言いましたかね? タカユキさんがいっしょに暮らしていた、美しい黒髪の女性」


「!? リエル!」


「そうそう、リエルさんでしたね。彼女はいまごろ、どうしているでしょうか?」


 急に出てきたリエルの名前に、我に返ったオレは焦る。すでに3年も経過しているとか……っうか3年て、オレが渡したお金ぐらいじゃ、ぜったい生活無理じゃんか! それにリエルのことだ、また城壁から飛び降りるとか言い出しかねないし、早く戻らないと! 


「うっわヤバ! ちょっとオレ、リエルの様子を見に異世界にもどります!」


 と、ダッシュ開始してはたと気がつく。果ての無い白い女神空間を、どこに向かって走ってるんだオレ。急ブレーキをかけて元の位置にもどる。


「ちょ、父さん! どうすれば異世界に戻れるんですか!」


「フロウ。お願いします」


「……うん」


 フロランが手をかざすと白い空間に穴が開き、元いた場所である宿屋の部屋が映しだされた。いつもの転移ゲート的なものだろう。


「ありがとうございます! じゃ、オレはここで!」


「そうはさせないから!」 


「ぐぁ……、って、ぐっ、何を……」


 鋭い衝撃が身体を通り抜けた、オレはたまらず転倒して首だけで振り返ると、

 舌をちいさく出しているフロラン。その様子から本気じゃないことは伝わってきたけど。何故に稲妻攻撃……。


「タカユキごめんねー。あたし女神の稲妻は使えるぐらい回復したっぽいから」


「フロウ。手荒な真似は止してくださいよ……でもね、わたしたちに止めを刺さずに行くのならば、どのみち世界ごと滅ぼします。ですねフロウ」


「マサユキがそう言うのなら、そうしよっかなー。いまさら世界を1個消すのも、2個消すのもいっしょだしー。あ、でもでも、いまなら世界を滅ぼすまでの力は戻ってないよ。これは大チャンスー」


「!? そんな無茶な……!」


「わかっています、無茶ですね。ですが本気です。本気で私たちを倒して欲しいと願っている。もし、倒さずに去るというのなら、世界を滅ぼします」


「だ、だったら……。父さんがフロランをやればいいじゃないか!」


「愛する者をあいてに、それはできません。ここは、『彼女の力が再び戻れば止める術はない! そうなれば世界が滅ぼされてしまう!』……と、いうことにして。私たちを倒してください」


「虫がいいかもしれないけどさ、あたしからもお願い。しょうじき、もう存在することに疲れたんだ。この場で見逃されて存在し続けたとしても。すぐにマサユキがいなくなる……。その時あたしは何をするかわからない。マサユキと居られる幸せないま、幸せなまま消え去りたいんだ……」


「そんな……」


「この通りです。タカユキさん、お願いします」そういって、父さんが深々とオレに頭を下げた。つられて、たどたどしい動作で女神であるフロランまで頭を下げる。そこに打算や利害といったものはなく、祈りにも似た清々しいまでの二人の姿があった。


「わたしとフロウをいっしょに消し去ってほしい。これが正真正銘。最期のお願いです」



 ☆



 無情にも、時間だけが流れていく。オレは二人に手を下せないでいた。


 気持ちばかりが焦る。数分が数時間にも感じられた……もっとも、この場合は数ヶ月だろうから余計性質たちがわるい。


「覚えていますか? いぜんわたしが言ったことを。貴方にはわたしにはないものがあると……」


「そういえば……そんなことを言われた気が」


「強さとは、強さだけではない」


 思い出した。化け物にされてしまった魔女っ娘レフィエを止めるために倒した時のことだ。


「それって、どういう意味でしょうか?」


「タカユキさん……、いえ、息子よ。わたしから最期の言葉を贈ります。貴方にはするという、わたしには出来なかった。すぐれた能力が備わっている。全てを背負いその上で決断する力。それを『勇気』といいます。勇者がもつすぐれた資質にして、他と勇者を分かつもっとも決定的な差」


「勇気……」


「この『勇気』がもたらす結果によって、失ったものに対する後悔や悲しみは……後でゆっくりと、独りで相対あいたいして欲しい。それがどんなに苦しいことか解ります。過酷を強いていることも解ります。……けれでも、できます! いまの貴方なら、きっとできる! なぜならば、どのように決断すれば、最善の結果をもたらすかを理解している。その為に必要な行動をとることが出来る、真の勇者だからです!!」


 父さんは、全てを言い終えたといった様子で深く息を吐くと、少し離れて女神の背をこちらに向けるかたちで抱き寄せた。



 ――世界を賭けた決断が迫られている。



 もし、賭けられたものが世界ということだけなら、オレは考えを放棄して逃げ出していたかもしれない。……しかし、そんななものよりも、リエル1人の存在が、オレにこの場を去らせない。彼女の柔らかさや滑らかさや温もりを、また肌で感じたい。そんな想いがオレをこの場に釘づける。去ればそれが失われるかもしれないのだから。


 どうすべきかは解っている。

 ひとりの人間として、ひとりの勇者として、ひとりの男として……。


「フロウ。ずっとこうしたかった」

「マサユキ。すっといっしょだよ。これからは、ずっと」


 女神と抱き合うパイセンが目配せをした。やれということなのだろう……。


 わかっている。なにをすべきかは解っている!


 やるべきことをやる。それだけなんだ。父と女神の苦しみを終わらせ、未来を掴むために行動するだけだ。剣の柄を握る。あとは、振るうだけ。


「――クッ」


 解ってはいるけれど……。二人を手にかけることなんて

 

 

 なにか他の方法があればと、考えを巡らせる。


 他の……道があれば


 他の光明が……。


 光明ェ……。



 ……………………ない。



 うん、しってる。


 サクッとマサユキとフロランを斬り捨てた。

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