勇者の絶望 その3

 ☆



 泣き崩れたフロランをいたわるように抱き寄せる父さん。


 まるで長年連れ添った夫婦のような雰囲気を受ける。ルイユさんのことを愛していないと言ったこと、亡くなった母のことをどう思っているのか? 


気になることは山ほどあるけど、聞くのが怖い。それにしても――



 人の心はまるで解らない。



 異世界に転移して冒険をした。魔王を倒して全てのパーティメンバーに振られたオレならわかる。あれだけいっしょにいたのに、まるで彼女たちの気持ちを理解できていなかった。なんとなくうまくやっていると思っていた。気持ちは自分に向いていると錯覚していた。希望的観測だった。


 でも……。そんな日日は、とても幸せだった……。


 辛い結末が解ってしまった今でもそう思えるんだ。


「タカユキさんにはすべてを話します。包み隠さず、これが真実です」


 オレはだまって頷く。


「みたように、わたしは貴方が思うような立派な大人ではないし、ましてや立派な勇者などではない。みっともない男だ」


「そんなこと……」みっともない男代表のオレとしては、リアクションに困る。


 父さんの記憶は、すでに過去につながっているのだろう。オレの反応をたしかめるということもなく訥々とつとつとかたりはじめる。


「あの頃のわたしは有頂天でした。異世界に転生して勇者と持ち上げられて、最初の魔王軍幹部も倒し、調子にのっていました。そんな中、パーティメンバーであるエルフの少女に手を出した」


「それって、ルイユさん?」丈長パーカーにニーソ装備の緑眼エルフの顔が浮かんだ。


「…………そうです。ルイユと関係をもちました。愛を誓った女神を別の魔王軍幹部にさらわれてしまった最中の出来事です。……そして、その情事の現場を自力で逃げてきたフロウに偶然見られました」


「うっわ……あ」


 絶句。あまりの展開に、オレにはなにもいえなかった。


 泣きはらした瞳のフロランが言葉をつなぐ。


「ははっ……しんじられないでしょ? マサユキを驚かせようと頑張って逃げてきたら……。愛をささやいていたその口で他の女の口を塞いでいた。それまで毎晩わたしとつながっていた男が、そんなことをしているなんて。……まるで獣だ」


「フロウ。ほんとうに、君を傷つけてしまった……すまない」


「もういい。すべては済んだこと。このあとは、あたしが話す。浮気現場を目撃した女は発狂した。発狂してうす汚れた世界を消した。まるごとぜんぶ。……………………はい、おしまい」



「…………」



 オレは言葉を失った。男女間の浮気なんて、ごくありふれた話だ。


 しかし片方の男がたまたま勇者で、もう片方の女がたまたま――


 


 だったら……。


 そのことが引き起こした惨劇。結末の大きさに目眩がする。どうにも話の大きさに思考がついていかないけど、これはまさしく女神という神が絡んだ、文字通りの神話じゃないか。行使する力が桁違いの、人智を超えた存在が引き起こした物語。


 目の前の二人はその神話の当事者なのだ。


「けれども、わたしだけは別の世界に飛ばして救ってくれました」


「そうだったっけ? あの時のことはよく覚えていない」


「偶然、抱き合っていたルイユも……」


「……ッ」


 エルフの名がでてきて顔を歪ませるフロラン。父さんにたいする想いはあっても、ルイユさんに対する配慮など欠片もないのだろう。たまたま飛ばしてしまったというのが実際のところだと理解が出来た。きっと、いちばん消したいのは世界ではなくて、浮気相手のエルフだったのだから……。


「わたし達が飛ばされたのは別の異世界でした。そこで別の女神に会い、その女神から事情を聞きました。いちどでも人間と通じた女神は女神ではなくなると。女神界と行き来はできなくなり、フロランはいくつかの世界だけを保つ独立した存在になったと」


「……そう、世界を消した女神はその後。残ったじぶんの世界のなかで好き勝手に暮らすことにした。人間なんかの命を弄んで快楽に身を任せ……。墜ちるところまで墜ちていった」



「わたしの責任です」



「…………そうね」


 そういうフロランの声音は怒るでも咎めるでもない、おちついたもの。すべてを受け入れた者が放つしずかな声音。ここにくるまでに、長い時間を独りで苦悩したのだろうと想像できた。オレも苦悩したからさ……。立場もシチュエーションもまるで違うけど、そのことによって起こされた苦悩はいっしょなんだよな。女神も……人間も。


「じつは、別の女神の好意で……このタイミングでわたしは選択することができました。元の世界に戻るという選択が。このときタカユキさんと妻が待つ家に帰ることができれば、どんなにもよかったでしょう……。しかし、そのことはルイユを別の異世界に独り捨てるということが条件になる。別れも告げぬまま、彼女の前から、黙って消える……」


「父さん……」


「……ですが、わたしにはその決断ができなかった。わたしの犯してしまった若気の至り、過ちで……。独りになってしまったエルフを見捨てておけなかった。……ルイユは世界で独りだけのエルフなのです。消え去った異世界唯一の存在。種族はおろか動植物、虫でさえも、山も川も海も全て、大気でさえも! 過去も未来も全て消え去った! 滅んだ世界の憐れなエルフ!!!!」


 父さんの感情が昂ぶったのだろう。比例して声量もたかくなった。


「せめて一緒に暮らすことでしか、暮らし続けることでしか彼女への罪滅ぼしはできない。そう自分に言い聞かせました。ですが、頭の片隅ではフロランとやり直したい。その機会を得たいとも思っていた。とは、つまりはそういうことなのです……」

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