元魔王の絶望 その2

 こうして余と異世界勇者あいつの生活がはじまった。


 あいつは朝に部屋をでてギルドに行く、そこで簡単な仕事や、日帰りでできるクエストを請け負っているらしい。

 いっぽう、余の生活はこれまでと変わらないもので、図書館に行って本を読んだり、街をブラブラして暮らしていた。夕刻になると、いつもの噴水で待ち合わせて、その後は共に食事と酒を嗜む。それだけの日日。


 たまにあいつの帰りが遅い日があったりすると、すこしだけ拗ねてやった。そうするとあいつは平謝り。余を倒した勇者が、余の機嫌をとろうと低姿勢なのは、じつに小気味がよかった。いヤツじゃ。


 天気が悪い日は、無言で見つめてあいつが出かけるのを引き留める。

 ……ま、風邪でもひかれたら厄介じゃし。無理をさせる理由もない。そうして時間をつくり、ベッドのなかで屋根越しの雨音を耳にいれながら天井をながめるのも悪くはないものだ。



 ☆



 いつものように過ごした夕刻。街を見下ろす噴水の縁に腰をかけていると、薪を売りに来たのだろう荷車を引いた若い夫婦があらわれた。近隣の村からきたようで、屋台でひとつだけ肉串を買うと、二人で嬉しそうに眺めている。


「ひとつだけ? 二人いるのに……何故?」


 服装から容易に裕福ではない者達と判断できる。おそらく串を二つ買う余裕はないのだ。だとすれば、その一つの肉串をどうするのだろう? そう思って視界の端にいれていると、


 男がまよわず口にした。


「ふむ。なるほど、男だけが肉を食うのか。荷車を引くのは男。より重い労働を担うものが食う。我ら魔族のように優先順位がはっきりしている、納得じゃ」


 感心しながら様子をみていると、男は女に串を渡した。こんどは受け取った女が残りの肉を口にした。む、どういうことなのだ? 女が残りの肉を頬張る。その様子を幸せそうに眺めている男は、どんな気持ちで眺めているのだろうか。独りで全部食えば良いものを……。


 やがて若い夫婦は、来たときと同じように荷車の音を響かせて夕陽のなかを去って行った。


 妙な感情が余のなかに余韻した。なんなのだろうか? 何が幸せなのか理解にくるしむ。貧しいのがそんなにも楽しいのか? おかしくないか? この疑問を晴らすために余もやってみることにした。ちょうど坂の下からこちらに歩んでくる勇者あいつの姿を確認して、見せつけるように肉串をひとつだけ買って囓る。


 「あれ? オレの分は」


 「その必要はない」


 「なんでだよ。どうせなら、もう一つ買ってくれればいいのに」


 不満そうな表情をうかべる勇者。ここまでは想定通りの展開だ。


 「こうすればよいからな」


 余は食いかけの肉串を手渡した。これでいいはずじゃ。どんな反応をするのか注視する。あいつはおどろいた反応をしてから。とびきりの笑顔をうかべた。そうして肉を頬張った。その笑顔をみたら、余もなんだかうれしくなった。


 あの若者夫婦が幸せそうにしていた意味が理解できた。


 喜びというものは、分けても減らぬものなのだ。むしろ……。



 ☆



 そうそう、このようなこともあった。いつものように酒場で酒を嗜んでいると。三人の男に絡まれた。


「おいおい、なんだこのべっぴんさんは?」

「こんな美形みたことねぇぜ」

「ああ……都の高級娼館でもお目にかかれねぇレベルだ」


 見た目から容易に前衛の戦士職と判断できるそいつらは、顔に大仰な傷があるヤツ。毛皮を纏った髭面。モヒカン。それぞれが使い込まれた斧や棍棒を装備していた。揃いもそろってぜったいに魔法は使えなさそうな面々だ。いわゆる冒険者にしてはパーティ編成に難があると思われたから、山賊かもしれぬ。


「オイべっぴんさん。名前なんていうんだよ?」 

「オレらと飲もうぜ! なんなら朝までよぉ」

「こんなしけたヤツと飲んでいないで、オレたちのところ来いよ!」


 そういって男達が余達を取り囲むように近寄ってくる。臭い。


「殺していいか?」余は向かい合わせに座っているあいつに問うた。


「ぜったいダメ!」


「じゃあ消していいか? それなら問題はなかろ」


「問題しかない!!」


「大丈夫じゃ。肉片のこらず全部消すから。痕跡を遺さねばどうということはなかろう。さて、と……」


「どうということしかないから! あと、真顔!」


「むう……いろいろと面倒じゃのう」


「リエル。まえにも言っただろ? 街でもめ事を起こすと追放されて住めなくなるんだ。図書館にいけなくなるんだよ。酒場にも来られなくなる。それでもいいの?」


「ふむ。それは困る……どうしたものか」


「だから、ぜったい、こんな奴ら相手に手を出したらダメだ。オレが話して説得するから、ね? リエルは座って、待ってて。ほら、オレの分も唐揚げ食べていいから」


「オレたちを無視するんじゃねえ!」

「なにを訳のわからないことをいってやがるんだ!」

「さあ来いよ、オレたちといっしょに飲んで、その後たっぷりと部屋でよォ」


 そんな台詞の直後、余の視線がカクッと上に泳いだ。モヒカン野郎に、うしろ髪をひっぱられたようだ。

 触れたな……。

 消すか。人間風情が魔王ドヴァリエールに触れるという一線を越えたのだ、仕方があるまい。


「!? てめえ! 汚い手でリエルに触るんじゃねぇ!!」


 あいつが逆上してモヒカンの顔面をぶん殴った。壁にめり込む勢いで吹き飛ぶ。さすがは勇者。一撃で戦闘不能だ。


「ふふ、お主。手は出さぬのではなかったのか?」


「あ……」と短くつぶやいて、じぶんが何をしたか気がついた。我に返ったようだ。


 そのごはお約束。残りの二人が鼻息荒くかかってきて、酒場中を巻き込んで大荒れの様相となった。まるで、度が過ぎた戦勝パーティのように。

 余は観戦を決め込んで、あいつの戦いぶりを観戦しながら酒を流し込んだ。いつもより心地よく、なんとも愉快な夜じゃった。


 そうこうしていると街の兵士が来て連れていかれた。


 あいつが帰ってきたのは、翌日の夕刻近かった。



 ☆



 このような何気ない日日を続けていると、あいつの前に、ただ者ではない老人が現れた。まるで強者の気配はないのだが、底知れぬ恐ろしさを纏う老人だ。


 あるいは人間ではないのかもしれぬ。


 勇者あいつ魔王を超える存在……。神? もしくはそれに匹敵する力をもっているのか? あり得ぬ話だが、実際に目にしたものは仕方がない。何者かは解らぬが、今でも信じられぬことだ。

 それに、妙にあいつと近しいものを感じるのじゃが……気のせいか。


 その老人と話し込むと、真剣な表情になったあいつは、ありったけの金を余に手渡しながら「すぐに戻るよ」とだけ告げて去ってしまった。


「うむ。そうか。余はへーきじゃ。ぜんぜんへーき。……いってこい」


 突然のことに面食らったが、そのときは言葉通りのことなのだと受け取って送り出した。でも、顔がひきつっていたやもしれぬ。 


 少しだけ……嫌な予感がした。



 ☆



 一年が経った。


 あいつは戻ってこない。

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