元魔王の絶望 その3

 ☆



 二年が経った。


 嫌な予感は的中した。未だあいつは戻ってこない。


 途中から、かなり節約したので暮らしを保ってはいるが……。さすがにもう限界だ。いよいよ金が尽きるとき。そのころはたまにしか行かなくなっていた酒場で、余は深酒に興じていた。どうにもそうしないと気が済まなかったのだ。壁に張られている『給仕募集』の張り紙が目に入る。


「働いたら負けなのだ……」


 余はいらだっていた。一瞬でも気持ちが揺らいだのが許せなかった。なんなら、張り紙が目が入ったことさえ許せなかった。吹き飛ばしたかった。なにもかも。


「やっぱり人間は嘘つきじゃ。あいつは余と約束したではないか! まいにち唐揚げと酒を貢ぐって! ずっと貢ぐって……ずっと」


「だいたい、聞くものがいなければ読んだ本の内容を話せる者がおらぬではないか……あと、ちっとも酒がうまくない!」


「働いたら……負け。でも……。あー、もう! なんで余がこんな思いをしなくてはならぬのだ!」


 ムカつくので有り金ぜんぶ飲んでやった。遅かれ早かれどのみち尽きるのだ。あとのことは、もう知らん!!


 そういう覚悟をきめて席を立ち、店の主人に代金を払おうとしたとき。予想外の言葉を耳にすることになった。


「あのリエルさん……。お代は結構です。今回から毎日どれだけ召し上がられてもお代はいりません」


「何故そのようなことになるのだ?」


「……それは、あの」言いよどむ主人。隣にはさいきん嫁になった女が、心配顔で寄り添っている。元冒険者で余とおなじく店の常連だったのじゃが、ここに至るまでの経緯が傑作で……って、そのはなしは、いまはいい!


「店の主人よ。莫迦にするではない。このようなことがあり得ぬことぐらい余でも解るぞ。代金はお主らの生活の糧ではないか。それを受け取らぬとは合点がゆかぬ。理由を聞かねば申し出を受けるわけにはいかぬよ」


 酔いが醒めた余は問い詰める。このようなときには何か裏があるものだ。

 真正面からみつめると、人のよさそうな主人は語りはじめた。


「とある大貴族のご子息なんですが……リエルさんの噂を聞いて。その……、リエルさんはこの街の有名人なんですよ『バティストの美姫』遠い異国の亡命貴族だと……。そんなリエルさんに、そのうち会ってお話をしたいと……。だから」


 そういう主人に続けて、嫁が口をひらいた。


「リエルさんのことを考えたら、そのほうがいいかなって。一時期いっしょにいた方も帰ってこない様ですし……。みたところ彼って、冒険者でしょ。わりとよくある話なんで……。もしかしたら、もうこの世に……。!? あ、こんなこと言うつもりじゃ! リエルさん。ごめんなさい!」


 悪意がないことは様子から理解はできた。だが、考えないようにしていたことをはっきりと言われた。その事に、うすうす気がついてはいた。ショックだった。


「…………。事情は理解した。その、どこぞの貴族の子息とやらの好意を今宵は受けるとしよう。だが、その者にちょくせつ会って話をせぬことには要領を得ぬ」


 その者を呼び出して欲しい。と告げて酒場を去った。ショックを受けた余は、一刻も早くその場を離れたかったというのが真相なのだ。夜風に交じり歩む宿への帰路が、こんなにも長く感じた夜は、はじめてのことだった。



 ☆



 数日後。いつもの酒場に余はいた。向かい側に座っているのは、余の好きな物語から飛び出してきた王子そのままといった容姿を保った、うつくしい男だ。


「余にはツレがおる」うすうす意図は理解できているので、そう伝えた。多分に虚勢がある、我ながらまるで子供の発言。声がうわずっていたやもしれぬ。


「お相手がいるのはしっています。しかし、こんなことを言うのはお気持ちを害するかもしれませんが……。いえ、言わせてもらいます『ツレが』……ですよね。貴方の元から、冒険者の彼が去ってから、もう二年にもなります」


 言外に匂わすのは、あいつがどこかで死んだのだろうというニュアンス。たしかに冒険者には危険が多い。報酬を得るために危険をおかすことを生業とする職業だ。腕や脚を無くす程度の怪我は日常だし、とうぜん途中で命を落とす者も多い。


「そ、そんなことはない! 其方そなたになにがわかる!」


 あいつは魔王である余を倒したのじゃ! そんじゃそこらの人間とはレベルがちがう! あろうはずがない! ぜったいにそんなことはない!!


「それに、考えられることは他に……。現実的には、こちらの方が可能性が高いかもしれません。言いにくいことですが、リエルさんの他に女性ができたとか」



 ――他に女。



 …………。


 あいつが死んだという可能性よりも。もっと、気がつかない振りをしていた事を言われた。


 ……他の女。


 焦燥が火のように燃え広がる。燎原の火のように。それほどまでに余の心は乾燥していた。カラッカラに乾いていたのだ。


「そのようなことは……クッ」


 余は言い返せなかった。最期に手渡されたあの金は、手切れ金だったのだ。気まぐれに余と一時期だけ付き合っていたのだ。飽きられたから捨てられた……。これだと説明ができた。勇者であるあいつが死ぬ可能性はそうそう無いだろう。だけど、この可能性なら……。


 人間の男は基本そういう生き物だとも聞いている。そういう風にできているのだと。酒場で嫌というほど聞いていた話。他人事だと笑い話だが……。まさか、己の身に降りかかるとはな。はは……。


「……。そういうリエルさんのお気持ちはわかります。だから僕は待ちます。もう二年待ちましたから。バティストの図書館ではじめて貴方を見かけてから……僕には貴方以外かんがえられないのです。みたところ生活にお困りの様子。僕に面倒をみさせてくれませんか? もちろん貴方はいままでどおり生活してくださって構いません。待ちます」


 そういう此奴は掛け値なしにうつくしい。容姿はもとより、話し方身振り手振り、身に纏うもの。その全てから洗練されたものを感じる。粗野なあいつとは大違い……あいつとは。


 余はどうすればいい? 


 酒場の主人夫妻を眺めると、そうなさい。そのほうが幸せになると表情が語っていた。


 働いたら負けだ。かといって、いまさら自ら命を絶つなど考えられなくなっていた。このときはじめて、じぶんが最低限の強さすら失っていることに気がついた。この世への未練と執着。余は、なにに未練がある? なにに執着する?


 そういうおもいをくれたのは……勇者おまえなのじゃぞ。


 なのに……。なのに……何故? 帰ってこないのだ。余のことを嫌いになったのか? 余のことは遊びだったのか? 知りたい。教えてほしい。 何故? どうして? あの笑顔は偽物だったのか? あの二人ですごした日日は……。


「余は……弱い」

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