元魔王の絶望 その1

 行き着いた先、人間の街バティストにある大図書館で、物語というものが余を虜にしていた。いうまでもないが、魔族にはそのようなものはない。記録はあっても物語というようなで無駄なものはない。生きるために、勝つために必要ないものは不要なものだ。


 しかも、物語というのは嘘なのだという。つくづく人間というものは嘘がすきな生き物だ。嘘だとわかっていて、このようなものを生み出すのは何故なのか? 嘘だとわかっていて、このようなものを愉しむのは何故なのか? そのようなことを感じながらも、おおくの物語にふれるうちに余は物語にハマっていった。


 なかでも余が気に入った物語は、人間の国の王子と王女の恋物語だ。それ自体はよくある話なのだが、秀逸なのは互いが敵国同士の立場だということだ。二人が属する両国が戦になり親や周りは殺し合う。それでも愛し合う二人。惨劇がすすむほどに孤立が深まり強まる愛の炎。まさに悲恋。読み進める手が止まらなかった。


「君が君でなければ、このような苦しみを負わずにすんだ」


「貴方が貴方でなければ、どんなによかったでしょう」


 よくできておる。敵国同士の二人がすべてを捨て去り、連れ添って逃げることができたのならば、どんなに良いだろうか。しかしそのようなことは許されない。生まれの運命から逃げることは許されないのだ。どこまでも立場によって縛られ、もがくように生きる彼らの姿は、余にはとても好ましく思えた。


 なんども借りて読んでしまった物語。とある日、その本が売られているのを何気なく入った古道具屋でみかけた。この出会いに胸が高まったが、すぐにその感情を打ち消した。中身はなんども読んでいるので知っている。そのようなものを買うなど無駄いがいの何ものでもない。そんな余裕はないし、よしんば余裕があったとしても買う意味がない。


 そう考えて、いちど店を出たのだが……。宿への帰路をすすむ途中でも本のことが頭から離れない。それどころか増幅してつよくなる一方で、――ついに、いたたまれなくなった余は、店に戻ってその本を買ってしまった。


 無論、安い買い物ではなかった。何十回も酒場に来られる金額だ。余はどうかしているのかもしれない。人間のなかで暮らすことで、徐々に毒されてきているのか? とも思う。もしかしたら物語には、読んだ者をそのように変えてしまう呪いのようなものがあるのかもしれない。それでも、えも言われぬ安堵感が余のなかにひろがっていた。本を手元に置いておけば、いつでもどこでも物語の中に入り込める。何百回でも何千回でも。


「すまない。君の弟を手にかけたのは私だ。この手で」


「わたしの弟を手にかけたのが貴方だと知ったとき。これでやっと貴方を憎むことができる。憎みきることができると思いました。やっと、このような苦しみを終わらせることができると」


 街のあちこちにはお気に入りの場所ができていた。街を見渡す噴水の縁。来る者のいない崩れかけた古い城壁。それらに腰掛けて、風を感じながら外で物語を嗜むというのもなかなかに乙なものだ。本を抱いて目を瞑れば物語は余と共にある。


 このような趣味。かっての配下達にみられたら羞恥のあまりそいつを消さねばならぬだろう。幸いにも魔王衣を解いたいまの姿は誰にも見せたことはないので、そのような心配は無用なのじゃが。



 ☆



 酒場にいると、なめ回すような視線を飛ばしてくる無礼なヤツらが少なからずいた。そういった類いの人間から頻繁に声をかけられたりするのだが、きまって無視をすることにしている。そうしていると大抵はおとなしく諦めるのだが、中にはしつこいヤツもいて、そんなときは店の外に連れ出して、ぶん投げてやった。即座に首を引き抜かないだけ余も丸くなったものだ。


 独りで飲むのは好きだが、酒場の喧噪に漂っていると時折うらやましくもある。

 群れると人間はじつにたのしそうに酒を飲む。


 だが、そうではない人間もたまにはいた。余のように独りで飲む人間が……。


 ある日、出逢ったそいつは荒んだ目をしていた。すべてを知り世に打ちひしがれた絶望の瞳だ。魔族というのは多かれ少なかれ、このような人間の感情を心地よく感じるものだから、そのようなとびきりの絶望を宿す男に、しょうじき心惹かれた。


 その男は、よくよくみると余を倒した異世界勇者だった。そう気がついて、思わず二度見してしまった。初見で気がつけなかったのはしかたが無い、それほどまでに別人のオーラを纏っていた。あの莫迦そうで妙に軽かった人間の勇者が、どのような経験を経たらこのような瞳を保つようになるのか? 純粋に興味が沸いた。


 泥酔してテーブルに突っ伏して、世を呪う言葉を吐いている。

 いいじゃないか、ますます興味が沸いてきた。


 気取られぬようにテーブルを移動して、さりげなさを装ってきっかけを誘った。酔ってじぶんの世界に沈み込んでいる勇者は、すぐには余の存在に気がつかない。最大のライバルに対して無礼じゃないかと憤慨したが、粘りつよく誘いをかける。そうしてやっと何度目かで気づいたようで――


「魔王! こんなところで何をしている! うらぁ!」


 そういって、いきなり斬りかかってきた。予想外の反応におどろいたが、深酒でふらついているような者の攻撃があたることなどはない。


 こうして。余は『リエル』となった。

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