絶望と絶望の間 その3

 こんなにも小さいのに、彼女は多くのものを背負って生きてきたんだ。幸か不幸か、背負ったものを下ろすことができたいま、個人としての幸福を手に入れようとしている。そのこと自体は喜ばしいことだけれども……すぐに、単純に割り切れるものではないだろう。それほどまでに、背負ってきたものはおおきくて重い。だからこそ、こうして自分自身を刺してしまっている……。


 オレを振り払うことなく、おとなしく魔王は抱かれていた。


 魔王ごしに目に入る、何気ないバティストの街並みに心をうばわれる。

 異世界に来たばっかりのころは、こんな光景にもいちいち感動していたっけ。はじめて野宿した夜の星空を思い出す。そんな光景だけで幸せな気持ちになっていたっけ……。

 いつの間にか、そんな気持ち。みずみずしい気持ちを失っていた。


 オレは何をしていたのだろうか。


 アントワーヌは仕方が無かった。でも……異形の姿になってしまったレフィエを自ら手にかけた。とんでもないことをしてしまった……もう戻れない。戻せない。


 そうするしかなかったんだ。



 ☆



「なんか落ち着いた」


 どのくらい、オレたちはそうしていたのだろう。恥ずかしそうに魔王が身体を捩り離れた。


「よかったよ……オレもさ、なんか落ち着いた」


 そんなことを伝えると、オレもきゅうに恥ずかしくなって場がもたない。なにか言葉を発しないと……と、焦ってしまう。それは魔王も同様だったようで。


「そ、そうさの。こんな処でこうしているのもなんじゃ……恩人の其方には礼をせねばなるまい。今夜はとくべつじゃ。ついてこい」


「どこへ?」


「いい店がある。別の店じゃ。さっきの店には、しばらく行けないからのう」


「たしかに……ごめん」


「お気に入りの店だったんだが。ふふ……それにしても、酷い再会じゃな」


「たしかに酷い。勇者と魔王の再会が場末の酒場て……はは」


「よし、余の奢りじゃ! 財布がすっからかんになるまで飲もうぞ! 再会の祝いじゃ。じつはの、そなたとはいちど、こうして話してみたかった。死闘を繰り広げたそなたと。余を破ったそなたと語りたかった」


「なんだかんだいって、じぶんが飲み足りないだけなんじゃ……」


「それもある」


「プッ……」


 顔を見合わせて笑った。こうしてオレ達は朝までしこたま飲んだ。


 

 ☆



 太陽が傾きだしたころに起きると、ベッドの傍らには魔王が寝ていて。身体のへんな部分が痛かった。


 「っ、痛い」


 「むちゃくちゃしよって……」


 「ゴメン魔王。せ、責任はとるよ」


 途中から記憶はないけど、オレたちの間に何があったのかは、容易に想像ができた。大人だから。


 「は? そんなものはいらん。嫁にもならんぞ」


 「それじゃ、どうすれば償える。酒の勢いとはいえ、君を……」


 「野暮じゃのう……どうせ減るものじゃ無し。余は楽しかった。其方は?」


 「たのしかった。……いや、すごく幸福な体験をした」


 あれだけ荒んでいた心が嘘のように満ち足りている。いろんなことが立て続けに起こって、正直まいっていた。でも、久々に笑ったし、なんか落ち着いた。嫌なことを魔王の身体にぶつけてしまった。


「なら、よかろ」


「う、うん……」


「じゃあ、さらばじゃ勇者。達者でくらせよ。最期に其方に会えてよかった……」


「最期? さらばって……魔王はどこへ行くの?」


「城壁じゃ。ちと用事がある」


 そんなところに何をしにいくのだろう?


「城壁に用事? なんの?」


「飛び降りる」


「はあああああああ?」


 いきなり何をいっているのか、マジわからない!


「城から持ち出した金が尽きたのだ。もう宿代も払えぬし……だから生を終える」


「いや! なんでそうなる! 金が無いんなら、とりあえず働けよ!」


「ふっ、余は働いたことなど、ない」


「働いたことがないて……たしかに魔王だから、そういうものかもしれないけどさ。でも、いきなり死ぬことないだろ! 死ぬぐらいなら働こうよ!」


「そのような卑しいこと先祖に恥ずかしくてできぬ。いくら落ちぶれたとはいえ、魔王ドヴァリエール。働くぐらいなら、潔く死をえらぶ!」


「あの? 魔王さん? なにをいっているのかわからないんですけど」


 普通に日本で会社員をしていたオレからすると、魔王の斬新すぎる発想に驚きをとおりこして感心してしまった。常識というのはここまで違うのか……。たしかに生まれながらの王様とか貴族とかは、彼女のようなものかもしれない。



「働いたら負けだとおもっている」



 キリッとしたカオでそんなことをいう魔王。


「ぷっ、なんだそれ! あはははははははははは!!」


 まさかその名台詞を異世界で聞けるとは! しかも魔王の口から! このタイミングで!


「むー。なにがおかしいのだ? なにかおかしいこといったか? 余のどこがおかしい? おしえてくれ!」


 きゅうにオレに笑い飛ばされて、戸惑う魔王。彼女にしたら想像もしていないリアクションで気になるのだろう。理由を聞きたくて必死にすがってくる。その様子が可愛すぎて――


「わかった。じゃあ。オレが君を養うよ」


「は?」


「勝手にオレが養う。勝手に貢ぐよ。魔王は働かなくていい。それなら構わないだろ? もちろん、嫁とか言わないからさ?」


 このまま彼女をうしなってしまうようなことだけは、ごめんだ。


「ふむう。其方が余に貢ぐ? ……そうじゃのう。なら……」顎に手をやり考え込んでいる魔王「まいにち唐揚げを食わせてくれるか? おなかいっぱい」


「唐揚げ毎日て……たまには野菜も食べた方がいいとおもうけど。君が望むならいいよ。それだけ?」


「まさか? そんな安い魔王とでもおもうたか? 余の躯にあれだけむちゃくちゃしたのだ。その対価がそれだけで済むとは世間知らずも甚だしい」


 ギラリと紅い瞳でオレを睨む。魔王の牙が覗く。命をとられても文句はいえない。オレを喰うのか? 魔族の掟ではそんなことがあるといっていた。


 あ、……それでもいいか。最期に素敵な記憶をもらえたんだから。彼女に感謝すればこそ恨むことはない。

 次の言葉を待っていると、彼女は意外な言葉を口にした。


「酒がいる」


「は? 酒?」


「そうじゃ。一杯の酒じゃ。毎日唐揚げと酒を振る舞え。わらわに貢げ」


 悪戯っぽく笑う魔王。魔族ジョークだったようだ。

 どうやら快く了承してくれたらしい。よかった。


「そんなんでいいのか? 魔王のくせに安いなあ」


「余を破った其方だからこそ、まけてやっておるのだ」


「そうか……。ありがとう魔王」


 オレは生きることを選択してくれた彼女に感謝した。深く頭を下げる。

 生きることを選択するということは……彼女にとっては辛いことなのかもしれない。重い記憶を強いることになるのかもしれない。いや、きっとそうなのだろう。

 だけれども、オレにとっては幸いだ。生きる目的を失っていたオレにとって、彼女の存在は救いだ。光だ。


「……あと、この際だ魔王というのは止せ。余はもう魔王を辞めたのだ」


「うーん。そうか……じゃあ、なんて呼べばいい?」


「呼ぶのは其方じゃ。好きに決めるがよい」


「わかった。じゃあ。ドヴァ」魔王ドヴァリエールだから、そのまま短くしてみた。


「あ゛あ゛?」眉間にシワを寄せたリアクション。気にくわなかったらしい。


「ヴァリエールとか?」小声でオレ。


「いまいちじゃのう……センスない」


「リエール……とか。わるくないけど、これじゃすこし呼びづらいか……。じゃあ伸ばさないで。おっ、いいな。リエルはどう?」


「リエル。ふむう。リエルか……うん。それでよかろ。余はこれからリエルと名乗ろうか。魔王はもう仕舞いじゃ」笑顔をうかべた。気に入ったようだ。


「『好きに決めろ』といった割に、妙にこだわったな魔王」


「ちがうじゃろ! 余は、リ・エ・ル!」


「……そうだった、リエルだった。ごめんっ!」


 もう、何度めだろう。オレとリエルは、顔を見合わせて笑った。



 ☆



 こうしてオレは魔王……じゃなかった。リエルの借りている小部屋に転がり込んだ。

 

 日雇いの労働や日帰り程度で終わる初級クエストを請け負って金を稼いだ。そうして帰ると、稼いだ僅かな日銭で彼女と飯を食う。いっしょに酒を飲む。


 冒険はなくとも、不思議と満ち足りた日日。


 深く酒が入った日は「酔わせてなにを企んでいるのだ?」と、小悪魔っぽい笑顔をむけてくるリエル。そんな夜は、どちらともなく身体を求め合った。


 永遠に続けばいいのに。そんな日日が数ヶ月続いた。


「ひさしぶりですねタカユキさん。すべての準備がととのいました。さあ行きましょう」


 あくる日の夕刻。いつものように街の噴水で待ち合わせをしていたオレとリエルのまえに、パイセンが現れた。

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